今日の午前中は、足趾の操法®集中講座です。
前回に引き続き、指骨間のモミ、横モミをやり、次は「趾廻し(あしゆびまわし)」の、基礎。操者の膝と被験者の踵の位置と角度の確認、持ち方(一ミリ違っても感覚は変わります)を再確認しました。
とても細かいチェックですが、この違いが大事です。
殆どの受講生は、午後も引き続き、三浦先生の講習に参加、今日も操体漬けの一日なのでした。みんな上手くなりました。
先日から何冊か読んでいる大嶋信頼氏の本、これは割と最近の本らしい。
ミラーニューロンというのは「他の個体の行動を見て、まるで自身が同じ行動をとっているかのように"鏡"のような反応をすることから名付けられた。(一部wiki)」神経細胞のことだ。
大嶋氏は「突然襲ってくる不愉快な感覚などは、脳のネットワークを通じて他人(離れていてもあり)が入れている感覚である」という仮説をたてている。
興味深い一例として、一緒にいた友人のコンプレックスを受けとってしまった例なども挙げられている。
なお、他の著書を読むと分かるが、大嶋氏は厳しいキリスト教の家系に育っている。その辺りの葛藤は、先にも紹介した下記二冊に詳しい。
支配されちゃう人たち 親や上司の否定的な暗示から解放される超簡単テクニック
ミラーニューロンがあなたを救う!- 人に支配されない脳をつくる4つの実践テクニック -
ネットサーフィンをしていた大嶋氏は、突然の不安感に襲われる。「この先、自分はこの仕事を続けていけるのだろうか?」とか、「自分はこの先、誰からも相手にされなくなってしまうのでは?」などの考えが止まらなくなり、ものすごく不安になる。
そこで大嶋氏は〈心〉に聞いてみる。
「心よ!今、襲ってきた不安って何なの?」
すると〈心〉は「それはあなたの感覚じゃなくて『入れられてる』感覚だよ!」と教えてくれた。
誰が入れているのかというと〈心〉は「お母さんが入れてる!」と教えてくれたのだ。
大嶋氏は母親とは全然連絡もとっていないので「なぜ今、母親なの?」と疑問に思うが、小さい頃から母親に「お前はだらしがない」とか「何をやっても長続きしない!」と言われ続け、実際に何もできなかった(みじめな)幼少時代を思い出す。
「もしかしたら、遠く離れた母親が私に対してよけいな心配をして、それが脳のネットワークを通じて入って来ているのかも?」と思った大嶋氏は〈心〉に聞いてみる。
「心よ!お母さんがどんな感覚を入れているの?」と聞くと〈心〉は「『いつまでも私が面倒をみていないとダメな子』と入れてる!」と教えてくれました。
この最低な人間だという感覚は、脳のネットワークを通じて遠く離れた母親から入れられている感覚なんだ!とわかりました。
そこで「心よ!だったらこの母親からの感覚に対してどうすればいいの?」と聞いてみます。すると〈心〉は「あなたの感覚じゃなくて、お母さんがやってきた!と無視すればいい」と教えてくれます。
「心よ!無視しようとしたら、母親をないがしろにしている罪悪感がわくんですけど!」と聞いてみると、〈心〉は「その罪悪感こそお母さんから入れられている感覚だから、無視しても大丈夫だよ!」と教えてくれました。
実際に、あのみじめになる不安感を母親からのものとして無視すると、「あれ?これって本当にいらない感覚だったんだ!」と、心が軽くなって、身体に一本芯が通った感じになりました。
ふらふらしていた気持ちがまっすぐになって、いらないものを捨て去った時の爽快感を感じていました。〈心〉の教えてくれることは本当に不思議なのです。
私はこれを読んで「なるほど」と膝を打った。
誰でもたまに、突然に不安を感じることはないだろうか。
もう一つ、アリのエピソードを紹介しよう。アリでも人間でも構わないのだが、「2・6・2の法則」というものがある。
アリの世界では一つの巣にアリが100匹いたら、そのうちの二割がものすごく働いていて、六割は働いているフリをしている。そして残りの二割が全く働かないという構成になっている。
(すごく働くアリだけを100匹集めても同じような割合ができあがって、20匹がものすごく働くアリになる)アリの脳も、人間ののうに無線LANのようなネットワークになっているのかもしれない。
さらに興味深いのは、働いているアリのストレスを、働かないアリが請け負ってしまい、「働けない!」という状態になっているという仮説も立てられる。
人間で言えば、会社をひとつのグループとしてみると、仕事ができる人は必ず二割になっている。
「脳のネットワーク」を通じて、「仕事ができる二割の人」のストレスを負わされるため、二割の人は「全く仕事をしていないダメ人間」にされてしまう。
会社の中だと、仕事ができる人と比べられて、「あの人って全然仕事ができないよね~」と悪口を言われます。
悪口を言っている人は、仕事ができない人の悪口を言うことで自分のストレスを発散しているのです。
というわけだ。この、当たられてしまう二割から脱出する方法も書かれている。
このように感じるときは、実は知らず知らずのうちに、親や上司、パートナー、友人などから否定的な「暗示」を入れられてしまい、「支配されている」状態です。
この本には、簡単な(本当に簡単な)言葉で、暗示を解く方法が紹介されている。
脳の緊張のスイッチが壊れて緊張しっぱなしになってしまうと、常に相手におびえて気を使って、「支配される人」になります。
緊張度が高いとみんなと打ち解けられず、常にビクビクして「自分が攻撃されないように」と周囲に気を使ってしまうからです。
すると自動的に〈上下関係〉ができあがってしまい、「支配される側」と、「支配する側」が生まれるのです。「支配される側」は緊張のレベルが高いので、情報を選別することができなくなり、言葉を真に受けて「だまされる!」という被害者=「支配される側」なってしまいます。
さらに。緊張のレベルが高くておびえているのえ、威圧的相手に対してめっぽう弱く、そんな相手に自己主張ができずに振り回されて支配されてしまうのです。
実は、この「緊張度の高さ」は生まれた直後に決まります。
そして、これに「あの人そうだなぁ」と当てはまる人や「自分もたまにあるよね」と思うところがある。
気になる方は是非お読み下さい。
操体の臨床に必要なのは、「操者自身のからだの操り方」「操者が被験者をよく見ており、動きを確認できるか」「操者が被験者に適切な言葉をかけているか」ではないかと思います。
操体というのは「単に相手に動いて貰う」ものではありません。
実際にやってみるとわかると思いますが、他者を「自分の思い通りに動かす」というのは、大変なことなのです。
かといって、操者が被験者に断りもなくバンバン進めて行くのは「他力療法」であり、操体とは言えません。
意外と忘れがちなのが「どういうコミュニケーションを用いるか」ということです(言語が通じなくても、ジェスチャで通じることもありますが、ここは日本語ということでお考え下さいね)。
例えば「講習の場」ですが、皆さん動いてくれるし、専門用語も分かるので、ちゃんと動いてくれます。
しかし「操体は初めて」という人に、それが通用すると思ったら、大間違いです。
相手にわかるようなコミュニケーションが必要です。
コミュニケーションと言えば、言葉のみではなく、接触も入りますね。
私の「視診触診」では「失礼にならない触れ方」を伝えていますが、整体院などで「セクハラ」とか言われてしまうのは、この「失礼にならない触れ方」をしていないからです。
★女性は、この「失礼な触れ方」にとても敏感です。また、よく「おばあちゃんだから気にしないだろう」というオッサン(すいません)がいますが、年配の女性ほど気にします。
そして、先日ですが、膝の開閉の動診と操法をやっていました。
当然ですが「足を開いて」と言おうものならば、私の鉄拳が飛んできますので、受講生は「膝を倒して」とか、失礼に当たらない言葉を使います。
★昔、40代の女性に「マタ開いて」と言った輩がいました。
私が雷を落としたのは当然です。
★また、ある輩は、ご夫婦でいらしたクライアントの奥方に「お母さん」を連発したところ、実は御主人はサラリーマンで、奥方は会計事務所を構える先生だったということもありました。
そしてこれは、本人には申しわけないのですが、リマインドで書いておきます。
「膝を広げていただけますか」と言った方がいました。
これはダメです。何故ダメだかわかりますね。
「マタ開いて」「マタ広げて」と同じです。最高に失礼ですし、もし私がこういう言葉を使われたら、その治療院には二度と行きません(笑)。
ここまで書いておけば、一生忘れないでしょうから、書いておきます。
そして「膝を倒してもらえますか」とか「膝を倒してもらっていいですか」「膝をたおしてもらってみていいですか」というのを聞くこともありますが、「接客時」には
「膝を倒していただけますか」というのが、限りなく正解に近いです(標準語対応ですけどね)。また、橋本敬三先生の時代のドクターと、現在の手技療法家とではポジションが違いますし、今は、ドクターも結構丁寧な言葉を使いますよね。
いただけますか?というのは、からだに Please と、お願いしているのです。
「ほれ、動け」みたいな言い方で、果たして(本人はともかく)「からださん」はお願いを聞いてくれるでしょうか?
「動いてくれない」というのは、被験者(患者側)の問題ではなく、操者、指導者の問題なのです。
そして、考えてみて下さい。仰向けやうつ伏せになっている場合、足首は見えませんよね。見えないところを動かしてもらうには、伝え方が必要です。
以前、あると~ってもアタマのいい人が「それなら、最初から手順を全部説明しておけばいいじゃないですか」と言いましたが(非常に合理的な考え方ですね。また、実際にヒトサマのからだに触っていないからの発言です)、
人間、一つくらいならできますが、いくつかの行程を思い出しながら再現するのは結構大変なのです。操者はラクかもしれませんが、被験者にとっては、負担ですし、多分「操体ってめんどくさい」と思われてしまう恐れが大アリです。
そして、こういう「言葉の」勉強をちゃんとしておくと、後で「あの指導が本当に役に立ちました」ということになったりするのです。
「足を広げさせて頂いてよろしいですか」というのもありましたが、いくら丁寧語でも「広げさせて頂いて」はないだろう(笑)というのもありました・・
これも、書いておけば二度とやらないと思うので、書いておきます。
その「橋本敬三先生が実際に臨床で行っていたこと」を、再現するのが、東京操体フォーラム理事長であり、我らが師匠、三浦寛先生です。
赤門鍼灸柔整専門学校の柔道部で練習していた18歳の頃、いつも自転車で学校にやってくる、姿勢のいいお洒落な紳士がいました。
三浦青年はその紳士に興味を持ち、受付の女の子に聞いてみたところ、「橋本敬三というドクターで、鍼灸科で講義をしている」という情報を得て、じかあたりします。
★シマジ先生もおっしゃっている「じかあたり」ですね。
「先生の講義が聞きたい」という願いが叶い、橋本敬三先生の講義を聞くことになりました(一番前で聞け、と言われたらしいです)。
その後、橋本敬三先生は、三浦青年のお父様を内緒で仙台に呼び
「息子さんを預からせてほしい」ということになり、弟子入りします。
そして、5年の間、柔整科、鍼灸科を卒業するまでの5年、弟子として過ごすというわけです。
★橋本敬三先生は結構筆マメだったようで、三浦先生もハガキとか手紙とか色々もっていらっしゃり、見せていただいたことがあります。
この辺りの話を含めて、実際に橋本敬三先生がどのような操体臨床を行っていたのか、
(有名になったのは80歳越えてからですから、その前の、臨床家として一番アブラがのっている時ですね)ご紹介するのが
2017年春季東京操体フォーラムです。
「足関節の背屈」に戻りますが、私自身、最初に操体を習った時は、足の甲に手をかける、ということを習いました。そして、自分で実際にやってみていたのですが、足の甲は甲でも、ある場所に手をかけると、全身が連動することがわかったのです。
★橋本敬三先生は、多分無意識のうちにそのポイントに触れており、連動を誘発していたのではないでしょうか。そしてそれを至近距離でいつも見ていた(見ることの大切さ)三浦先生も、その秘訣を自然に体得していたのではないか、というのが、先輩方には叶いませんが、それなりに20年以上操体をやっている私の意見です。
★抵抗をかける場所(我々は抵抗とはいわず、介助補助と言います。抵抗だと、相手が力んだりしてしまいますから)なんて、どこでもいいじゃん!というのは大間違いです。とくに、効果が欲しいのであれば、なおさらです(みんなそうですよね?)。
まず、大切なことを挙げましょう。
準備
操者は「身体運動の法則」は体得しておきましょう。これは「体操としての般若身経」ではなく、「からだの使い方、動かし方」のことです。特に「側屈」は大切です。
しつこいですが「わき伸ばし」ではなく、側屈です。
からだが倒れる方と反対側の足(つまり、体側が伸びるほう)の母趾球に体重がかかり、からだが倒れるほうの足の踵は浮きます。踵は浮きますが、母趾球でしっかり支えます。
これは、立位だけではなく、正座位でもこのようにします。
正座の場合で右側屈する場合は右の膝蓋骨の内側、床についている辺りを押し込むと、体重が左の臀部に移動し、左体側が伸びて、上体が軽く右側屈します。
側屈と捻転はしっかり体得しておいて下さい。側屈は、膝の左右傾倒の場合などの介助補助には必須です。これができないと被験者の動きについていけません。
あ、当然ですが爪は切っておいてくださいね。
★私の講義では「抜き打ち爪切り検査」しますよ(笑)。
そして、座る位置ですが、被験者の足元になります。操者と被験者の正中を合わせるコトもありますが、操者の正中と、被験者の足関節を合わせることもあります。
横からやっている場合もありますが、からだの使い方、動かし方からみると、操者被験者互いに、やりにくいとか、からだを壊すようなことにもなりかねません。「身体運動の法則」に従い、被験者の足元に座しましょう。
(つづく)
最近改めて、介助補助法の詳細を残しておきたいと思うようになりました。
というのは、残っている資料などを見ると、手のかけ方とか、置く場所とか本当にアバウトなんです。
適当でもいいとおもっているかもしれませんが、それは大間違いです。人間のからだは精巧にできており、皮膚感覚という優れた感覚がありますから、触れる場所が一ミリ違っても、感覚が変わります。
★で、これを言うと「いろんなやり方とか先生がいるからいいじゃないか」という声を聞きますが、それは「操体の質を上げるため」にはなりません。私共は、より効果があり、健康に貢献できるよりよい手法を考えているのです。
指導者がマンツーマンで細かく、手のかけ方や方向、力の入れ具合まで指導できればいいのですが。
その前に一番の問題は、受講者が「見ていない」ことです。そしてその回避をすることが大切です。
以前、スポーツ関係の講習に参加して、なるほどな、と思ったことがあります。
指導者がデモンストレーションをしているときに、一緒に手足を動かしている人がいるのです。
操体の講習でも、指導者や准指導者がデモンストレーションをしている時に、一緒に手足を動かしたり、一生懸命ノートを取っている人がいたりしますが(はい、これは何度も何度も書きます)、これは、見ていないのです。
その昔、師匠の講習時、師匠の模範実技の直後にもかかわらず、その再現ができずに、注意を受けている受講生がいました。その理由は簡単です。
絵が得意だったので、師匠の模範実技をスケッチしていたのです。
スケッチと、模範実技を見て、介助補助を体得するのは、目的が違います。
見るということは、アタマの中にイメージを作ること。
イメージできない動きは再現できません。
というわけで、操体法東京研究会の講習では「見るときは見る、書く時は書く」ことに集中させます。
見るのも、診断法と勉強の一つだからです。
ちなみに、アタマの良い人や、デバイス使いの方は、iPadで録画してもいいかとか聞いてきますが、基本的に認めていません。というのは、撮っていると、撮ることに夢中になって満足してしまい、結局は習得できないからです。これは、何例も見ていますので、間違いありません。
★なお、私は記録のためなどに写真を撮ったり録画はします
前置きが長くなりましたが、臨床家にとっては、この「見る」(広い意味での視診)の力も必須のスキルです。見る、観る、診る、視る、など色々な漢字がありますが、それぞれの意味が微妙に違っていて面白いものです。
さて、操体法の操法の中でも、有名といったらこれ、というのが、足関節の背屈です。
「つま先上げ」という言い方もあります。連動的には「足関節の背屈」よりも、足趾の背屈とかのほうが、連動的には正しいような気もしますが、我々は取り敢えずカルテに書いたりしますので、便宜的に「足関節の背屈」と言っています。「足趾の背屈」と言ってもいいかもしれません。
これ、実際には足首を背屈しているような言い方ですが、実は、足趾(あしゆびの付け根)を背屈させています。というのは、足首を反らす、背屈しただけでは、全身形態への連動が起こらないから。
よく「操体の足首反らしをやっても効かないことがある」という話を聞きます。
もしくは「効くときとそうでない時がある」という話も聞きます。
★私達は「足首反らし」とは言いません。念のため
これは何故でしょう?
先程も書きましたが、足首の背屈だけでは、全身形態への連動は促せないからです。
また、これももう一度イラストと写真を載せますので、よ~く視てください。
これは「万病を治せる妙療法」からです。
これ、ホントに持ち方がアバウトすぎます。
そして、同書の写真です。
イラストと、橋本敬三先生の介助法、違いますよね。こちらは指先を少し曲げているのがおわかりでしょうか?
なお、もっと細かいことを言いますと「操体法写真解説集」では、
よくみてください。指が伸びています。
年代から考えると、この写真のほうが後ですね。
これは、側で実際に橋本敬三先生の臨床を見ており、なおかつ撮影現場に立ち合っていた三浦寛先生によると、当時は、中指と薬指で、ベッドに支えを作っていたのだそうです。やってみると分かりますが、確かに支えを作ったほうが、安定しますし、患者が足首を反らしすぎることを防ぐことができます。
★前の写真は「実際の操法の最中」っぽいですが、こちらは「スタジオで撮ったポーズをつけた写真」とみてもいいでしょう。つまり、シチュエーションが違うわけですし、
橋本先生が「よりよい介助法」を発見し実践なさっていたという可能性は大です。
★私達も、三浦先生が「もっといいやり方を見つけた」ということで、新しい介助法をやることが多々あります。日々やっていれば、よりよりやり方が見つかり、それに移行するのは当然です
そして、これも再掲しますが、英語版の写真とイラストがアバウトすぎて笑えます。
WRONG position of the helper.
橋本先生は横からやってませんよね。
これは「万病」のイラストを描き直したものでしょう。もとが大雑把すぎるので、さらに大雑把になっています。
そうなんです。「万病を治せる妙療法」を読んで、口絵の白黒写真よりも、イラストを参考にする人のほうが多いのではないでしょうか。
あれだと、足のどこに手をかけるのか、全くわかりませんし、実際の橋本先生の写真とも違います・・・・。
というわけで、効果のある、全身形態が連動するやり方を少しご紹介したいと思います。
Yさん(編集者さん)からお知らせがありました。
「新潮45」2017年3月号に、慈眼寺住職、塩沼亮潤大阿闍梨と、ビートたけし氏の対談が掲載されているとのこと、早速書店に行きました。
表紙はピアニスト、グレン・グールドです。
【達人対談】荒行の果てにあるもの 修験道の達人/塩沼亮潤vs.ビートたけし
ビートたけしと対談!ということで、期待して読み始めましたが、しょっぱなから「阿闍梨殺し」という話になり(詳細は読んで下さいね~)、
「そう来たか!」(笑)
さすがビートたけし氏です。映画のネタ(千日回峰とか)とか、自著「教祖誕生」に関連する質問など、ツッコミどころが違います。
昨年末、慈眼寺の護摩祈祷にはじめて参加しましたが、また行きたいと思っています。
なお、ハタケヤマの護摩焚き体験記はこちらをどうぞ。