操体法大辞典

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タオ、気のからだを癒す

私は以前、外気功を習って修めている(しつこいようだが、気功治療はやっていない。操体で足りるから)。気功が何故効くのかというと、潜在意識を書き換えるのだ、と、ドクター苫米地が書いていた。
数日前のことだが、ある方からメールをいただいた。悠長に構えていられない症状で、現在気功治療を受けているというのだ。5ヶ月程通っても効果がなく、逆にこの気功の先生は、その方の前世の話をはじめたらしい。
5ヶ月通って効果があるのだったら、前世の話も納得できるかもしれない。また、その方が気功の先生に頼りっぱなしで、何もしていない(生活習慣を改めるなど)のだったら、効果がない理由もわかる。

また、この気功の先生は「診断」(診立て)をしたのだろうか。診立て抜きで単に「気を送った」のだったら、これにも問題があるのではないだろうか。

体重過多で膝が痛み、食事内容や生活習慣は変えたくないし、ダイエットもしたくないけれど、膝の痛みはどうにかしてほしい、というのと同じである。また、私は前世療法を素晴らしいと思っているが、効果がない場合、前世とか先祖の霊のせいだ、というのも昔から聞く話だ。
前世とか先祖霊の話をするのだったら最初に「息食動想」を正す指導をしたほうがいいのではないだろうか。

この件に関しては、師匠に多大なるアドバイスを頂いた。ありがとうございます。

タオ、気のからだを癒す

タオ、気のからだを癒す

増永師は、その著『経絡と指圧』(医道の日本社)の中で、「ある療法が医学の名に価するかどうかはそれが診断体系を持っているかどうかによる。どんなに効果のある治療法であっても、それが診断体系を持っていなければ、それは民間療法であり、普遍性のある学問(医学)と呼ぶことはできない」と述べている。
診断とは、西洋医学のような病態の客観的な認識によるもののみとは限らない。東洋医学のように個々の患者へ働きかける治療法を選択する「証」という、行為そのものが診断である場合もある
タオ、気のからだを癒す_遠藤喨及 122ページより

最近とみに思うのは「診断」(診立て)の重要性である。患者が「○○が痛い」と言えばそこを揉む、押す、そこをゆるめる、というのは、患者の言い分を聞いているだけである。また「私は○○病なのでそれを治して下さい」という患者に対して「はい、○○の治療をしましょう」というのも言い分を聞いているだけである。
西洋医学にせよ、問診したり、ノドを見たり、聴診器で胸の音を聞いたり、血圧を測ったりする。診断しているわけだ。
上の増永先生の言葉に加えて、遠藤先生は「診断体系がない指圧は単なる慰安である」とも言っておられる。
操体も同じだ。操体には「動診」という診断法がある。動かして診るのである。
第2分析以降は、ある動きを試し、その中にきもちのよさがききわけられるかという分析(診断)を行う。きもちよさがききわけられたら、それを味わうのが治療(操法)である。

操体をやっている先生方で、最初から「きもちよく動いて」という指導をしているケースがあるが、動いて感覚をききわけなければわからないのだから、この問いかけは、診断(分析)をすっ飛ばし、いきなり操法に入っている。
「きもちよさを探して動いて」とか「きもちよさがでてくるように動いて」というのも、ある意味出言えば「きもちよく動けてしまう人(身体能力の高い人)」などに多いが、一般の方々は「きもちよさを探して動いて」と言われても、今まで自分がやってみたことのある動きをもぞもぞ試し、分からなくなることが多い(私のところに来られる方の多くは「きもちよく動けと言われてもわからない」「きもちよさって、どこかから出てくるんですか」「探すと言われてもわからない」というケースが非常に多い。そのような場合、手順を踏んで説明し、体験して頂くと「わかりました!きもちのよさをききわけ、味わうというのは、こういうことだったんですね」と言って下さる。

楽と快の違い(第1分析と第2分析の違い)。動診(診断)と操法(治療)の違い、この二つの区別をつけることが、「快」をききわける操体の臨床には不可欠である。これを言い始めて長年になるが、繰り返し世の中に発信しなければなるまい。