操体法大辞典

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操体の指導で全身を使ってきもちよく、と伝えるのはなかなか難しいと聞いた

温古堂(仙台)で出している、隔月刊の「イサキ」という小冊子がある。今回その中に、操体指導をした際「どちらが楽か辛いか」というのは伝えやすいのだけれど、全身を使ってきもちよく、と伝えるのはなかなか難しい、という話を聞いた。

これは「楽と快」の違いということを考えれば当然のことである。



1.楽か辛いかをききわけさせるのは、「運動分析」であり、「快」をききわけさせるのは、「感覚分析」である

2.運動分析と感覚分析をそもそも同じ方法で行っていいものか?繊細な分析(診断を行うのだったら、別の分析法ですべきだろう)

3.操体は「臨床」である。臨床とは、「診断(分析)」を行ってから、その結果によって「治療(操法)」に入る。この点は忘れてはならない。

4.「診断(分析)」「治療(操法)」の区別がついていないとどうなるか。「きもちよく動いて」「きもちよさを探して」という問いかけとなり、

「診断(分析)」をスキップして、いきなり「治療」に行ってしまうことになる。つまり、臨床が成り立たないということだ。

5.「きもちよく動く」のではなく「ゆっくり動いて」1つ1つの動きを全身であやつり、その中にきもちのよさがききわけられるのか、という

のがポイントである。また、この際操者の介助・補助、言葉の誘導、極性の設定などは非常に重要である。

6.世の中には「きもちよく動けてしまう」という高い身体能力を持つ方がいる。逆に言うと、一般の方や症状疾患を抱えた方が『きもちよく動けない』というのが理解できない場合がある。

7.「きもちよさを探して」という問いかけは、最も被験者を混乱させ、操者の理解不足がわかる言葉である。「きもちよさを探して動いても」実際は痛くない、辛くない、またはやりやすい方向が分かるのみの事が多い。クライアントに介助、補助も与えずに、言葉の誘導も与えずに、いきなり「気持ちよく動いて」と指示しても、動けるわけがない。この場合は、操者がある動きを被験者に指示し、末端からからだの中心、からだの中心骨盤、脊柱、首と、全身形態が連動する中で快適感覚がききわけられるかの確認(診断・分析)をとればよい。

8.第2分析をとおすには、単に「きもちよさ」という言葉を使っただけでは足りない。末端への介助法、適切な言葉の誘導、操者が被験者の動きに半歩遅れてついていくようなからだの操り方が必要である。



こういう話をして差し上げたいのだが、なかなか機会がない。本当に「楽と快の違い」「動診(分析・診断)と操法(治療)」の違いが明確になれば、これらの問題は解決するのになぁ、と思う。