この言葉の違いを明確にしないと、操体臨床そのものが上手く行きません。
「楽な方にきもちよく」という指導は、体操教室やサークルなどに参加しているような、比較的元気で動ける人ならば「体操やストレッチとして」やるなら何の問題もありません。
しかし、症状疾患をかかえた方には通用しません。
そもそも、どこか辛いので「きもちよく動け」と言われても動きようがないのです。
八方塞がりで動けない人に「きもちよく動け」というほうが酷ですよね。
なので「楽な方にきもちよく」というような言葉かけで、やっていけるならば、それは「症状疾患をかかえたからだ」の方ではなく、「比較的元気で動ける人」なのではという推測が成り立ちます。
つまり、コンディションがいい人、元気で動ける人に対してやっているということです。また、身体能力の高い、スポーツ選手のコンディショニングならば、何とかなるかもしれません(が、操体としては成り立ちません)。
操体の臨床は、「診断・分析(動診)」があって、「治療・操法」があるからです。
最初から「きもちよく動け」という言い方自体が、診断分析と治療・操法の順番をごっちゃにしているのです。
「きもちよく動け」というのではなく、「ある動きを試す(動診・診断)」「その動きの中に快適感覚の有無をききわけ、快適感覚があればそれを味わう(操法・治療)」
というのが「快適感覚をききわけさせる」操体です。
そもそも、ここを間違えるので
「どちらがきもちいいですか」←迷走分析(第一分析と第二分析の混同)
「わかりません」
「それでは、きもちよさを探して(色々動いて)」
被験者色々動いてみる
「これ、きもちいいでしょ」←一番よくない問いかけ方
「わかりません。きもちよくないし、操体ってわかんない」
という、黄金の?パターンが繰り返されるわけです。
とにかく「楽(な動き)」と「快(適感覚)」の違いを明確にし、この二つ、つまり第一分析と第二分析の違いを明確にしなければ、皮膚(第三分析)、第四分析、第五分析への理解は進まないのです。
被験者が「楽」と「快」の違いが分からなくても、それを導くのが操体の操者の役目です。
「楽か辛いか」という第一分析だけで行くなら、別に違いがわからなくてもいいのですが、第一分析をやっているのに、第二分析の「きもちよさ」という言葉を使うから、臨床がヘンになるのです。これを、迷走分析、と言います。
なので、操体以外に、色々な手技療法を取り入れてみたりすることになるのです。