先日、久しぶりに三浦寛先生の操体臨床(治療の現場)に同席しました。
私の他にも受講生がいましたが、実際に三浦先生の操体治療の現場に同席したことがない方もいました。
受講生の中には、実際に治療院などで操体の臨床に携わっているとか、操体でなくとも、接骨院や整形などに勤めている方もいらっしゃいますが、現在勉強中で、現場に出る(対価を頂いて、操体の臨床を行う)チャンスにまだ恵まれていない人もいます。
そのような方にとって、実際の臨床の場に同席するということは、何よりの勉強になります。
まず、講習の場では、互いに(操体を)分かっているメンバーで練習するので、相手は「わかっているし、察しがいい」のです。
しかしながら、実際に現場に立つと、想定外の方が多いというのが実際のところです。
感覚のききわけも、受講生ならば「感覚のききわけのトレーニング」を積んでいるので(感覚のききわけ、のトレーニングも操体臨床の勉強のうちの一つです。これは、施術+ベーシック講習でもご希望があれば、行います)即座にききわけてくれます。
しかし、一般の方は「慣れていない」ことの方が多いので、言葉の誘導なども「講習でならったそのまんま」使っても、伝わりにくいことがあります。
そして、大事な問いかけです。
三浦先生は、例えば渦状波(第3分析@刺激にならない皮膚へのアプローチ)を行う時、あるいは終わった頃
「いま、どんな感じですか」と問いかけます。
受講生の中には、これを真似して、渦状波の後や臨床の後に聞く人もいますが、
「いま、どんな感じですか」という質問は、ある程度感覚のききわけができる人に対する問いかけです。
三浦先生は「この人は、感覚のききわけができているな」と読み取っているので、
「いま、どんな感じ?」という、オープン・クエスチョンを使えるのです。
これを
「どんな人にでも『いま、どんな感じですか』と、問いかけていい」と勘違いする人もいますが、中には、突然そのようなことを聞かれて、言葉に詰まる人もいます。
私は何度かそのような場面を見ていますが、
『いま、どんな感じですか」と聞かれても分からないこともあり、そういう場合、聞かれた被験者が「自分はどんな感じかわからないので、操体を受ける素質がないのだろうか」と、悩んだりすることもあります。
なので、受け手の状況や感受性などを見極めずに
「どんな感じですか」と聞くのは上手いやり方ではありません。
また
「きもちいいですか」と突然聞くなんてもってのほかです。
そもそも「きもちのよさ」を扱う第二分析以上をセオリーに沿って学んだ人であれば、
「きもちいいですか」
とは絶対聞きません。
というか、この質問って、相手によっては非常に失礼ですよね。
この辺りの対処法も我々は勉強するのです。
また、しつこいですが「きもちよく動いて」「きもちいいように動いて」とも言いません。というのは
「動いてみないと、きもちいいかどうかはわからない」のです。
これ、体操やストレッチの先生が言うのならば、私は文句を言いませんが、「操体をやっている」という人が言う場合は、ケチをつけます。
操体は「診断(動いてみて、あるいは分析をとおしてみて)」してから、「治療(操法」という、順番があるからです。
第一分析だって、最初に「どちらに動かすのが楽ですか、辛いですか」と聞きます。これが「動診」です。
ところが、楽と快の違いがわかっていないと「どちらがきもちいいですか」というアホな質問をしたりします。
○:どちらが楽ですか、辛いですか(第一分析。痛くない方、スムースな方を二者択一の動診から選択。運動感覚差なので、どちらか答えやすい。
×:どちらがきもちいいですか?(ペケな質問。感覚を問いかけているので、どちらもきもちのよさが聞き分けられる場合もある)
★ちなみに、あなたご自身が、首を右と左にゆっくりと回してみて下さい。
例えば、寝違えとかした場合は、左右差がかなりあるはずです。この場合は「あ、この動きは痛いけど、こっちは痛くない」と、差がわかると思います。
このような時に「はい、痛くない方に動かして、動きをたわめて、瞬間的に抜く」というのが、第一分析です。
しかしながら、こんな状況で「どちらがきもちいいですか」と聞かれても
「今寝違えて痛いんだからきもちの良さなんて聞くなボケ」と言われるのが関の山です。
というわけで、相変わらす世の中には
×:どちらがきもちいいですか(ペケ)
○:この動き(一つの動き)に、きもちのよさが、ききわけられますか?
×:楽な方にきもちよく動いてからだを整える(楽な方はきもちいいとは限りません。やってみればわかります)
○:楽と快は違うので、やり方も違う。
×:きもちよさを探して(そもそも診断になっていない)
★操体指導者の中にも(きもちよさが)「出てくる」という言い方をする人がいます。
このような場合、認識を改めるように指導しますが、これは「きもちよさ」が主語になっています。
操体を勘違いする方は「きもちよさ」が主語になり、それに囚われることがあります。
例えば、快が聞き分けられないというのも、一つの状況判断になりますが、囚われていると「きもちよさ探し」になってしまい、本来の操体の目的とは外れることもあります。
なお「でてくる」が改められない方は、往々にして操体が理解できません。
それでは、どうしたらいいのか。
主語、主体を「からだ」にすることです。」
私がキモチイイ、のではなく(主語私)
キモチヨサが出てくる(主語キモチヨサ)のでもなく、
「きもちのよさ」が、からだ(主語)にききわけられますか?
からだにききわけて、教えてください。と持っていきます。
勿論その前に、操者は介助補助などを駆使して「きもちのよさがききわけられやすいであろう」という状況を作るのです。
操体の臨床は、操者の言葉の誘導が大きく関与します。我々は、からだに直接届く「体感語」を使います。これは、操体法東京研究会の講習で学びました。
言葉の誘導なんて、色々な言い方があってもいいじゃない、と思ったら大間違いです。
我々はそれを完コピしてから、「からだと対話する」ことを交えて使いこなせるようになっていきます。
操体の勉強は、診断分析、介助補助法の勉強も大事ですが、この
「操体臨床の王道スクリプト」(畠山命名)を体得し、そして「体感語」(からだと直接対話する言葉」を扱えるようになります。
何だか長くなってすいません。
患者様(お母様)は初診で、息子さんが付き添ってこられました。
お母様は仰向けになれないので、横向きにベッドに休んでいます。
三浦先生の治療が始まります。
数分後、ベッドの横のソファに座っている息子さんをみると、息子さんご自身も座ったまま、深い眠り(我々はこれを「意識飛び」と言っています)に入っていました。
これは、同席している息子さんご自身も操体治療を受けているのです。
具体的にどんな行程だったのかは、書きませんが
操体の臨床では、たまにこういうことが起こります。
近くにいると分かりますが「快」を共有しているのです。
患者さん(クライアント)ご本人だけでなく、ご家族も癒されるのです。
伸ばしてキモチイイととか、押してキモチイイとか、こすったり絞ったり捻ったりという刺激によるキモチヨサとは次元が違うのです。
これは何度もしつこく言いますが、操体の専門家から「気を盗む」とか、そういうことはできません。そもそも「快は共有することによって、増幅する」します。