「いちばんきもちのいいところで」という表現は見当たりません。
第二分析後に登場した言葉です。
また、この表現を使い始めたのは、三浦先生です。
その前に「いちばんきもちがいいところ」を選定するには、ある程度の条件が必要です。
この「条件」は「道しるべ」なので、「道しるべ」を知らないと、あてずっぽうになる。
つまり「色々動いてみてキモチヨサを探す」という、「操体ではきもちよさを探さない」という、ルールに反することになります。
★いちばんきもちがいいところ、という前に「きもちのよさの有無」の確認をする必要があります
1.動診(型がある)。比較対照ではなく、1つ1つの動きをゆっくり、「からだ」にききわけながら行う
2.きもちのよさの有無を「からだ」にききわける
3.その「きもちよさ」、本当に味わってみたい?とからだにききわける
ここまでを、操者がいる場合でも、一人で行う場合でも「ききわける」必要があります。
「いちばんきもちがいいところ」の前に「そもそもその動きはきもちよさがあるのか?」という問いかけを「一人でやるにせよ」確認するのです。
これをやらないので「キモチヨサを探す」ということになるのです。
まあ、文章で書いてもなかなか伝わらないので、やはり体験していただくのがベストですね。
たまに私が例に出すヤツです。
私のクライアントが、操体をやっているというある民宿に行った時、広い畳敷きの部屋に通されて、
「好きなようにきもちよく自由に動いてください」
と言われ、困ったそうです。
操体を受けたいと考える方は、今よりも健康状態を良くしたいと思っている方が殆どです。きもちよく、スムースに動けないから操体をやりたいんです。
それを「好きなようにきもちよく自由に動いてください」っていうのは、指導者としては無責任極まりない。
初心者に「好きに自由に」というのは、いちばん不親切であり、成長を妨げます。
中級者になれば「自由に」というのは成長を促すチャンスにもなるんですが。
★「いちばんきもちがいいところ」というポイントは、非常に大事です。
しかしながら現代人は感覚が鈍っている(そのためにからだを壊したりします)ことが多いので「きもちよさ」「きもちいい」という「言葉」は知っていても、体感していること(性的なものと操体での快は違うので、ここで言うのは操体での快です)は少ないことが多いんです。
★なので、実はあまり安易に使うと「指導者のボロ」が出ます。
「楽と快の違い」「第一分析と第二分分析の違い」がわかっていない場合は、使わないほうが懸命かもしれません。
なぜなら「いちばんきもちがいいところで」と、被験者に操者ガ伝えても、被験者が「キモチヨサ」を感じていない場合は「きもちよくもないのに、いちばんきもちがいいところで、って言われても」と思うか「わかんないから適当にやっとこ」(先生にわかんないって言っても悪いし)→これがかなり多い。
ということになるからです。
よく足趾の操法®を受けた後
「温泉に入った後みたい」
という方がいますが、現代人にとってのキモチヨサは「温泉」がわかりやすいかな、と思ったりもします。
また、最近は男女問いませんが、視えない「ヨロイ」を着ており、我慢を重ねているので、感覚鈍麻になっているとか、そんな事も多々あります。
★つまりは、操体をやりたいとか、受けたいという方は「きもちよさ」を味わいにくいような「からだ」になっていることが多いのです。
なので「道しるべ」が必要なんですね。
「いちばんきもちがいいところで」という前に、必要なことは
「動診」です。
例えば膝の傾倒(仰向けで膝二分の一屈曲位)というのがあります。
今度これを春のフォーラムでも参加者と一緒にやってみようかと思うんですが、
本をみて操体法をやってみた、という方、ほぼほぼ「膝を倒してもきもちよくない」と言います。
なぜか。
手順を踏んでいないからです。
そして「からだ」が主体ではなく「私」が主役だから。
これは実際に体験していただく必要がありますが、操体法はあくまで「からだ」が主役です。からだが「感覚」ならば、「私」は「思考・エゴ」になります。
操体法をやる場合は、「思考・エゴ」を切り捨て「感覚」つまりからだが主役となります。
我々操体のプロは、クライアントの「思考・エゴ」をいかに押さえて「感覚・からだ」に持っていくか、そこからやります。
★「左脳とばし」という秘技もあります(フォーラム実行委員のT澤さん命名)。
左脳(思考・エゴ)をぶっ飛ばして、右脳(感覚)優位にする方法です。
重心移動の法則、安定の法則に従って(般若身経@操体法、を単なる健康体操だと思っていると、この法則を見逃します)、手順(いや足順?)を踏むと、
「膝を倒すのって、これだけキモチヨサが潜んでいるの??」と皆さん驚きます。
皆さんとは、私がやっている「操体の施術+ベーシック講習」に来る皆さんです。
また、これも結構多いのですが
「操体は動かすと必ずキモチイイ」「キモチヨクなければならぬ」という思いこみを持っている方がいらっしゃいます。
となると、動診を行ってみて、御本人が予測(あるいは希望している)「キモチヨサ」が感じられないと「んじゃ、もっと動いて探してみるか」となります(探すのは×です)。
条件(動診の条件、道しるべ)が揃っていても、キモチヨサがききわけられないこともあります。
「からだの感覚」というのは「動けば必ずキモチイイ」みたいに単純なものではないのです。
ただし、感覚ではなく「運動感覚差」であれば、わかりやすいのです。
これが「どちらが楽ですか」「どちらがスムースですか」という、対になった動きの比較対照です。これが、第一分析です。