操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

足趾の操法集中講座を受けて

http://teizan.com/archives/552


2011年5月3日から5日にかけて、一般社団法人日本操体指導者協会認定操体ラクティショナーの方々を対象に「足趾の操法集中講座(アドバイザー講習)」を開催致しました。もとより操体の臨床家として活躍中の、プラクティショナー皆様ですが、今回の講習について、感想を書いていただきました。

今回の大きなテーマは「同じことをやっているように見えるが、違う結果を出すには」ということでした。見よう見まねで「マネ」はできますが、「なんで先生がやるともの凄く気持ちいいのに、家で主人にやってもらってもあまり気持ちよくないのかしら」と言われる事がありますが、まさにプロはそこが違うのです。プロとしてお金をいただける、あるいは満足していただけることが、その差です。



ゴールデンウィーク足趾の操法集中講座の感想

岡村郁生(東京操体フォーラム理事・実行委員長)
操快堂


私の場合、三浦寛先生の操体法東京研究会の定例講習で、十二年ほど前に足趾の操法を習ったことがあります。操体法の書籍には、操体法で足の指まで必要になる事は少ないが、そこまできたらプロでないと難しいと、記載があったように記憶しています。

とにかく、足の指は触れて揉んでもらうことでかなり「快」をききわけることのできる操法ので、頻繁に臨床の中でも活用できるだけに、機会があれば自分のやり方に偏っていないのかチェックしてみたいと思っていました。

今回の講習に参加してみて本当に良かったのは、畠山先生に教えて頂いた「1?違っても全く違うんですよ」と教えて頂いた操者の指の位置そのものでした。
それをしっかり自覚した時点から、苦手となっていた手の滑りをクリアできただけでなく、ポイントをより意識して操法を通していけるようになりました。

この講習会に参加して気付いた効率が良いところは、
・「快」という感覚は、足の指に多く存在している理由があると理解できた。
・自分で気付きにくい理に適った姿勢、そのものをチェックできた。
操法が同じでも、足のカタチや大きさが違うのでそこを知り、コツを学び、人を選ばずに自分の操法に生かすことができるキッカケを掴めた。
・趾回しという新しい事にチャレンジして、学べたことは大きかった。

またこの講習に参加して気付いた大変なところは、
・からだの使い方を知らないと安定しないので、足趾の操法を学ぶ前にまず先に“般若身経”を学ばなくてはいけない。
・日々臨床で行っている者でも、よほど集中しないと三日間で再学習は厳しい。
・感覚をききわける上で更新されていたポイントが多く、十年を遠く感じた。
・そんなに簡単に身につく操法ではなく、身についても受けないと分からない。
・趾回しという小指を聞かせた手首の効かせ方を、見ていてもできないこと。
 本当に自分のからだを生かすということが、思いの外できていなかった。

今回の講習に参加してみての今後の希望は、最終日のチェックでランクを決定するなどして、差別化をはかり、モチベーションを上げる為、スキルが違うという証となる、賞状のような修了証書が欲しい。
車の運転免許証のように、一定の範囲でできていないことを指摘して欲しい。

特別に三浦寛先生の講義がありましたが、想念という操体哲学の根本的な関係性までも、“生き方の自然法則”から繋がっていく図を用いてわかりやすい講義をして頂いたことで、同時相関性に関する理解がグーンと深まっただけでなく、実際に意識そのものが次の日には変化していました。ありがとうございます。


足趾の操法集中講座(足趾の操法アドバイザー講座)に参加して

猿飛佐助(東京操体フォーラム実行委員)

 足はからだの中で一番下に位置し、からだの体重を土台として支えています。
ただ単純にからだの体重分の重さだけが足にかかっているわけではなく、米国足病医協会の報告では、平地歩行において一歩踏み出すごとに体重の重さに加え体重の約2割の重さがかかるとされています。そこに、歩く場所が硬いアスファルトの路上や下り坂などの条件であったり、靴がハイヒールや革靴などというような条件が加われば、さらに足にかかる負担は大きくなります。また足は立っていることでからだの一番下に位置し、足の関節が自由に動かないこともくわわり、静脈血やリンパ液が滞留し老廃物などが足のむくみとして現れやすくなります。足のむくみから全身のだるさや疲れやすくなるなどの症状にもつながり、足の疲れは全身の疲れなどの影響はかなり大きいはずです。手のように自由自在に動かせない足に対して、大切なからだの土台である足だからこそ、足趾の操法を通してメンテナンスが必要なのではないかと考えます。

足趾の操法は、からだにきもちよさを聞き分ける感覚分析というより、ダイレクトにきもちよさをからだに伝えることができ、子供から年配の方まで誰もが気軽にきもちよさが味わうことができるのではないかと思います。気軽にきもちよさを味わうことができる足趾の操法ですが、だからといって操者にとって誰もができる気軽に簡単に身に付くものではないのです。操者にとって身体運動の法則が身についていないと、快の波動が受けているからだに伝わりにくい状態になってしまいます。また足趾の操法集中講座で研修させていただいた「揉む」「落とす」「揺らす」「趾廻し」の手技ひとつひとつに洗礼された理に適った手順や作法があり、この手順や作法を見よう見まねや自己流では、まったくといっていいほど快の波動が変わってしまうことを身ともって学ばせていただきました。

 実際に身体運動の法則に基づいた肢位で、理に適った手順や作法によって足趾の操法である「揉む」「落とす」「揺らす」「趾廻し」を受けると、各それぞれに快の質がことなるきもちよさをダイレクトに味わうことができます。足趾の操法を受けた後は、足はホカホカと温かくなったり、むくみが取れたり、皮膚の色が変わったりと様々な効果がみられました。足趾の操法を学び活用することで、からだ全身が変化する可能性も秘めており、臨床やリラクゼーションなどいろいろな状態に合わせ活用できことが実感できました。ありがとうございました。

なお、今回の講習の中では、三浦理事長による特別講義もありました

三浦先生の特別講義を受講して

猿飛佐助

最近の僕は、「救い」「宇宙」「自然界」「波動」「空間」について、深く考えるようになっています。そんな時期において、足趾の操法集中講座を受講する機会をいただき、三浦先生の特別講義にて「救い」「自然界」の講義は、僕にとってまた学びの道をいただいたような気がしました。

僕は医療に携わることによって、見える世界・見える変化の三次元的な物の捉え方をしていました。三次元とは目に見える「物質」を意味していますが、最近の科学では「量子」「素粒子」の量子力学が注目されはじめています。からだは、素粒子→原子→分子→細胞→臓器→器官→からだというように成り立つそうです。細胞は分子からなり、分子は原子から成り立ち、原子の中にある原子核の回りを電子が回って超微弱な電子エネルギーが発生し、弱い磁場が作られます。これが「ライフフィールド」とよばれるもので、ここに「波動」が存在し、生命の構成単位でいうと一番小さな単位ということになるようです。

「波動」の定義は意識を持ったエネルギーとされ、波動の波はスカラー派とも称されるようです。この波動の世界には、距離には関係なく、共振・同調するもの同士が共鳴する世界とされ、そして誰もが共振・同調するものが快適感覚になるのではないかと思います。「空間」には、意識と物質との相互作用によって成り立つ世界と考えられ、意識(例えばプラス)と物質(例えばマイナス)とにより打ち消され中和したうえで、ゼロ空間いわゆる四次元空間(宇宙空間)になるのではないかと考えました。

快適感覚を味わっているとその空間は、「快という波動の空間」と「肉体・からだという物質の報い」によって中和されたゼロ空間という救いの空間となり、すべてが共鳴し包み込まれているかのように感じました。

このような学びができるのも、操体という哲学があるからこそだと思います。救いという世界をこれからもひとつひとつ大切に学びたいと思っています。

大切な学びをありがとうございました。
    


「足趾の操法の講習を受けて」

横山珠水(東京操体フォーラム 会員)

 「足趾の操法」は、10年前、三浦寛先生の操体指導者養成コース、臨床コース、個人レッスンで、「趾廻し」はその半年ほど前から畠山先生の講習時で学び始めました。在宅マッサージに関わる8年前から、両操法を臨生に活かし始めましたが、当初は形や順番に気を取られ、なかなかその「深さ」までは活かせていませんでした。その後講習で実技を重ね、受講生同士、意見交感することで、自らの足りないところ確認、改善されるにつれ、臨生の場では着実に患者さんの表情やからだが、ふっくら、ゆったりとしたものに変化するのを嬉しく思いながら臨生を味わっています。

開業後は在宅だけでなく、どんな方にもいずれかをさせていただいております。特に操体を初めて受ける方や「気持ちよさとは何ぞや」と戸惑う方にも、気もちの良さを体感してもらえる導入となります。

今回ブラッシュアップに臨んだ動機は、常にコンスタントに相手に伝えられるようになりたいと感じたからです。うまくいっている時の施術は、操者自身もつらくなく「しっくりくるな」と感じ、さらに気持ちのよさがこちらにも伝染する、ということもあります。逆にうまく行っていない時は、操者が必要以上に疲労し、しんどさが患者に反映し目的が果たせなくなります。つまり操者の感覚がバロメーターになるわけです。ここでからだの触れ方だけでなく、般若身経が身についているかも問われます。

今回の講習では、般若身経を含め、確実に足趾の操法と趾廻しを提供できるためのコツ、ポイントをしっかりおさえた指導をしていただきました。まずは三浦先生より足趾の操法を、畠山先生から趾廻しを被験者になって体感できること。両先生の施術姿を目に焼き付けられること。自身の施術の善し悪しを率直にフィードバックしてもらえること。これらの貴重な体験の場でした。足趾の操法と趾廻し、この2つは別物でありながら感覚と施術のコツに共通点があり、現場でそれぞれを使い分けることの強みがあります。また第3分析を知っていればお互いを活かすこともできます。

学ぶにおいて大変なことは、一定のレベル(シンプルなほど深い基礎)が身につくために、はある程度時間がかかるということです。もちろん私のように10年もかけずとも、より短期間で到達する方もいらっしゃいます。般若身経も、橋本先生の関連書籍には足趾の操法時のからだの使い方まではのっていませんから、直接わかっている先生から時間を置いて何度か指導を受けるチェックしてもらう必要性があります。足趾の操法、趾廻しは単にもまれているだけではないのです。それがどんな感覚なのか、なによりまずは実際に被験者になり、ご自身のからだで感動?されることをおススメします。これが「誰かにやってあげたいな」「学びたいな」というモチベーションにつながるでしょう。





2011年5月3日から5日にかけて、一般社団法人日本操体指導者協会認定操体ラクティショナーの方々を対象に「足趾の操法集中講座(アドバイザー講習)」を開催致しました。もとより操体の臨床家として活躍中の、プラクティショナー皆様ですが、今回の講習について、感想を書いていただきました。

今回の大きなテーマは「同じことをやっているように見えるが、違う結果を出すには」ということでした。見よう見まねで「マネ」はできますが、「なんで先生がやるともの凄く気持ちいいのに、家で主人にやってもらってもあまり気持ちよくないのかしら」と言われる事がありますが、まさにプロはそこが違うのです。プロとしてお金をいただける、あるいは満足していただけることが、その差です。



ゴールデンウィーク足趾の操法集中講座の感想

岡村郁生(東京操体フォーラム理事・実行委員長)操快堂


私の場合、三浦寛先生の操体法東京研究会の定例講習で、十二年ほど前に足趾の操法を習ったことがあります。操体法の書籍には、操体法で足の指まで必要になる事は少ないが、そこまできたらプロでないと難しいと、記載があったように記憶しています。

とにかく、足の指は触れて揉んでもらうことでかなり「快」をききわけることのできる操法ので、頻繁に臨床の中でも活用できるだけに、機会があれば自分のやり方に偏っていないのかチェックしてみたいと思っていました。

今回の講習に参加してみて本当に良かったのは、畠山先生に教えて頂いた「1?違っても全く違うんですよ」と教えて頂いた操者の指の位置そのものでした。
それをしっかり自覚した時点から、苦手となっていた手の滑りをクリアできただけでなく、ポイントをより意識して操法を通していけるようになりました。

この講習会に参加して気付いた効率が良いところは、
・「快」という感覚は、足の指に多く存在している理由があると理解できた。
・自分で気付きにくい理に適った姿勢、そのものをチェックできた。
操法が同じでも、足のカタチや大きさが違うのでそこを知り、コツを学び、人を選ばずに自分の操法に生かすことができるキッカケを掴めた。
・趾回しという新しい事にチャレンジして、学べたことは大きかった。

またこの講習に参加して気付いた大変なところは、
・からだの使い方を知らないと安定しないので、足趾の操法を学ぶ前にまず先に“般若身経”を学ばなくてはいけない。
・日々臨床で行っている者でも、よほど集中しないと三日間で再学習は厳しい。
・感覚をききわける上で更新されていたポイントが多く、十年を遠く感じた。
・そんなに簡単に身につく操法ではなく、身についても受けないと分からない。
・趾回しという小指を聞かせた手首の効かせ方を、見ていてもできないこと。
 本当に自分のからだを生かすということが、思いの外できていなかった。

今回の講習に参加してみての今後の希望は、最終日のチェックでランクを決定するなどして、差別化をはかり、モチベーションを上げる為、スキルが違うという証となる、賞状のような修了証書が欲しい。
車の運転免許証のように、一定の範囲でできていないことを指摘して欲しい。

特別に三浦寛先生の講義がありましたが、想念という操体哲学の根本的な関係性までも、“生き方の自然法則”から繋がっていく図を用いてわかりやすい講義をして頂いたことで、同時相関性に関する理解がグーンと深まっただけでなく、実際に意識そのものが次の日には変化していました。ありがとうございます。


足趾の操法集中講座(足趾の操法アドバイザー講座)に参加して

猿飛佐助(東京操体フォーラム実行委員)

 足はからだの中で一番下に位置し、からだの体重を土台として支えています。
ただ単純にからだの体重分の重さだけが足にかかっているわけではなく、米国足病医協会の報告では、平地歩行において一歩踏み出すごとに体重の重さに加え体重の約2割の重さがかかるとされています。そこに、歩く場所が硬いアスファルトの路上や下り坂などの条件であったり、靴がハイヒールや革靴などというような条件が加われば、さらに足にかかる負担は大きくなります。また足は立っていることでからだの一番下に位置し、足の関節が自由に動かないこともくわわり、静脈血やリンパ液が滞留し老廃物などが足のむくみとして現れやすくなります。足のむくみから全身のだるさや疲れやすくなるなどの症状にもつながり、足の疲れは全身の疲れなどの影響はかなり大きいはずです。手のように自由自在に動かせない足に対して、大切なからだの土台である足だからこそ、足趾の操法を通してメンテナンスが必要なのではないかと考えます。

足趾の操法は、からだにきもちよさを聞き分ける感覚分析というより、ダイレクトにきもちよさをからだに伝えることができ、子供から年配の方まで誰もが気軽にきもちよさが味わうことができるのではないかと思います。気軽にきもちよさを味わうことができる足趾の操法ですが、だからといって操者にとって誰もができる気軽に簡単に身に付くものではないのです。操者にとって身体運動の法則が身についていないと、快の波動が受けているからだに伝わりにくい状態になってしまいます。また足趾の操法集中講座で研修させていただいた「揉む」「落とす」「揺らす」「趾廻し」の手技ひとつひとつに洗礼された理に適った手順や作法があり、この手順や作法を見よう見まねや自己流では、まったくといっていいほど快の波動が変わってしまうことを身ともって学ばせていただきました。

 実際に身体運動の法則に基づいた肢位で、理に適った手順や作法によって足趾の操法である「揉む」「落とす」「揺らす」「趾廻し」を受けると、各それぞれに快の質がことなるきもちよさをダイレクトに味わうことができます。足趾の操法を受けた後は、足はホカホカと温かくなったり、むくみが取れたり、皮膚の色が変わったりと様々な効果がみられました。足趾の操法を学び活用することで、からだ全身が変化する可能性も秘めており、臨床やリラクゼーションなどいろいろな状態に合わせ活用できことが実感できました。ありがとうございました。

★なお、今回の講習の中では、三浦理事長による特別講義もありました

三浦先生の特別講義を受講して

猿飛佐助

最近の僕は、「救い」「宇宙」「自然界」「波動」「空間」について、深く考えるようになっています。そんな時期において、足趾の操法集中講座を受講する機会をいただき、三浦先生の特別講義にて「救い」「自然界」の講義は、僕にとってまた学びの道をいただいたような気がしました。

僕は医療に携わることによって、見える世界・見える変化の三次元的な物の捉え方をしていました。三次元とは目に見える「物質」を意味していますが、最近の科学では「量子」「素粒子」の量子力学が注目されはじめています。からだは、素粒子→原子→分子→細胞→臓器→器官→からだというように成り立つそうです。細胞は分子からなり、分子は原子から成り立ち、原子の中にある原子核の回りを電子が回って超微弱な電子エネルギーが発生し、弱い磁場が作られます。これが「ライフフィールド」とよばれるもので、ここに「波動」が存在し、生命の構成単位でいうと一番小さな単位ということになるようです。

「波動」の定義は意識を持ったエネルギーとされ、波動の波はスカラー派とも称されるようです。この波動の世界には、距離には関係なく、共振・同調するもの同士が共鳴する世界とされ、そして誰もが共振・同調するものが快適感覚になるのではないかと思います。「空間」には、意識と物質との相互作用によって成り立つ世界と考えられ、意識(例えばプラス)と物質(例えばマイナス)とにより打ち消され中和したうえで、ゼロ空間いわゆる四次元空間(宇宙空間)になるのではないかと考えました。

快適感覚を味わっているとその空間は、「快という波動の空間」と「肉体・からだという物質の報い」によって中和されたゼロ空間という救いの空間となり、すべてが共鳴し包み込まれているかのように感じました。

このような学びができるのも、操体という哲学があるからこそだと思います。救いという世界をこれからもひとつひとつ大切に学びたいと思っています。

大切な学びをありがとうございました。
    


「足趾の操法の講習を受けて」

横山珠水(東京操体フォーラム 会員)

 「足趾の操法」は、10年前、三浦寛先生の操体指導者養成コース、臨床コース、個人レッスンで、「趾廻し」はその半年ほど前から畠山先生の講習時で学び始めました。在宅マッサージに関わる8年前から、両操法を臨生に活かし始めましたが、当初は形や順番に気を取られ、なかなかその「深さ」までは活かせていませんでした。その後講習で実技を重ね、受講生同士、意見交感することで、自らの足りないところ確認、改善されるにつれ、臨生の場では着実に患者さんの表情やからだが、ふっくら、ゆったりとしたものに変化するのを嬉しく思いながら臨生を味わっています。

開業後は在宅だけでなく、どんな方にもいずれかをさせていただいております。特に操体を初めて受ける方や「気持ちよさとは何ぞや」と戸惑う方にも、気もちの良さを体感してもらえる導入となります。

今回ブラッシュアップに臨んだ動機は、常にコンスタントに相手に伝えられるようになりたいと感じたからです。うまくいっている時の施術は、操者自身もつらくなく「しっくりくるな」と感じ、さらに気持ちのよさがこちらにも伝染する、ということもあります。逆にうまく行っていない時は、操者が必要以上に疲労し、しんどさが患者に反映し目的が果たせなくなります。つまり操者の感覚がバロメーターになるわけです。ここでからだの触れ方だけでなく、般若身経が身についているかも問われます。

今回の講習では、般若身経を含め、確実に足趾の操法と趾廻しを提供できるためのコツ、ポイントをしっかりおさえた指導をしていただきました。まずは三浦先生より足趾の操法を、畠山先生から趾廻しを被験者になって体感できること。両先生の施術姿を目に焼き付けられること。自身の施術の善し悪しを率直にフィードバックしてもらえること。これらの貴重な体験の場でした。足趾の操法と趾廻し、この2つは別物でありながら感覚と施術のコツに共通点があり、現場でそれぞれを使い分けることの強みがあります。また第3分析を知っていればお互いを活かすこともできます。

学ぶにおいて大変なことは、一定のレベル(シンプルなほど深い基礎)が身につくために、はある程度時間がかかるということです。もちろん私のように10年もかけずとも、より短期間で到達する方もいらっしゃいます。般若身経も、橋本先生の関連書籍には足趾の操法時のからだの使い方まではのっていませんから、直接わかっている先生から時間を置いて何度か指導を受けるチェックしてもらう必要性があります。足趾の操法、趾廻しは単にもまれているだけではないのです。それがどんな感覚なのか、なによりまずは実際に被験者になり、ご自身のからだで感動?されることをおススメします。これが「誰かにやってあげたいな」「学びたいな」というモチベーションにつながるでしょう。