ベストセラーとなっている五木寛之氏の「下山の思想」。読もう読もうと思ってやっと読んでみた。
登山は「登る」だけではない。「下山」も登山の一つである。
私は操体の「バルの戒め」を思い出した。
頑張るな、威張るな、欲張るな、縛るな
先日、操体法東京研究会の講習で、受講生の一人が師匠に質問した。
「がんばるな、という意味がいまいちわからないんですが」
彼は私より年上の世代である。「がんばれ」「ド根性」という言葉が流行った時代の人だ。当然「がんばる」ことはいいことだ、と思って今まで生きてきたのだろう。
それを何故操体では「がんばるな」と言うのか。確かに疑問かもしれない。頑張るというのは「我を張る」という意味や「眼を張る(つまり、ガンつけする)」という意味があるらしい。
その前に橋本敬三先生の『救いと報い』の話を読むとわかると思う。
(生体の歪みを正す)
最近はうつ病の人に「頑張れ」といってはいけない、というのもポピュラーになってきた。彼らは「頑張れない」ので、自死してしまう可能性もある。
震災にしても、東京などで大した被害にも遭わなかった私達が「頑張って東北の復興に手を貸そう」というのならわかるが、宮城、岩手、福島の方々に「頑張れ」というのは酷すぎる。
頑張っても頑張れないことがある。
また、人間は生まれながらに救われている(絶対的)。だから、頑張らなくてもいい。
しかし娑婆での生活は因果応報だから(相対的)、自分のやったことは全て返ってくる。
この「絶対(救い)」と「相対」(報い)の違いを知ることが、妄想苦(ないものをある、あるものをないと思って苦しむ、人間の一番の苦しみ)をコントロールするコツなのだ。