先の東京操体フォーラムでも発表したのだが、操体には、健康な人が病気にならないために、あるいは健康のために生活に活かすためのものと、臨床家が実際に患者あるいはクライアントの治療、施術を行うというものがある。
一般に、健康体操、養生法として広まっているものを「顕教的操体」、私達のように、限られた弟子が、限られた空間で、秘儀を学ぶようなものを「密教的操体」と名づけてみた。
その後、ノートに色々まとめてみた。書いてみるといろいろわかるものだが、
顕教的(第一分析) 主に、健康の度合いが間に合っている人向け
- 未病医学として活用(健康維持増進のためのセルフケア)
- 健康体操、養生法として(体操教室など)
- 医療従事者が操体の考え方をとりいれて治療にあたる(鍼灸、指圧など)
密教的(第二分析以降) 健康の度合いが低い、あるいは原始感覚が鈍磨している人向け
- 操体の臨床専門
というように4つにも分けられるのではないかと思った。これは私のメモ書き程度なので、これからまた変わるかもしれない。
もう一つの分け方。
「愛好家」と「専門家」。「生徒」と「弟子」
何度も書いているが、また書くことにする。これは大事なことだからだ。
私は愛好家が悪いと言っているわけではないので念のため。
愛好家の中には「専門家」の存在を知らない人がいる。操体は本来、医師が臨床で行っており、日本各地から医者に見放されたような患者が、仙台の温古堂に集まった。橋本敬三は「ここ(温古堂)は病気の墓場だな」と言っておられたそうである。
これを聞けば、操体が「単なる健康体操の一種」ではなく、臨床医学の一つだったことがわかる。
健康体操、養生法としては、患者さんに「簡単だからこうすればいいよ」と、プリントを手渡したりしたこと(般若身経)からはじまったのではないかと思う。
当時の温古堂には、様々な人が来ており、様々な勉強をしていった。それが各地に広まっていったのである。
橋本先生は、患者さんには「簡単だよ」と言われ、弟子には「よくもこんな大変なことに首をつっこんだもんだなあ。でも操体は面白いぞ。一生楽しめるからな」と言われた。
つまり、患者様(お客様)と、弟子言っていることが違っていたのである。これは別にヘンなことでも何ともない。
ファンクラブも必要だし、自分の持っているものを伝える弟子も必要なのだ。