というわけで、タクシーで40分程度で鹿野山の禅研修所に到着した。
まず、今回の修行は、臨済宗の禅修行である。
まず、作法が厳しい。
「黙すること」である。
講義の途中で「新しく入門した禅僧は、三年は歯を見せるなと言われる」という話を聞いた。要は、笑うなということだ。
あれ?これって昔、よくうちの三浦師匠が言ってたよね?
「講習中に白い歯を見せて笑うな」って。笑うと怒られたよね??
★今はそんなことありません
★私が講習中に声をあげて笑ったりしない(というかできない)のは師匠の指導のお陰だと思います。。
叉手(しゃしゅ)といって、廊下を歩くときは両手を胸の前で合わせて歩く。
草履を履いて歩く時は、音を立てることを禁ずる。
- 黙せよ(笑うな、喋るな)
- 音を立てて歩くな
- 食事の時、音を立てるな
というのは(今、ちゃんとできているかは不明笑)だが、皆「操体の作法」で習ったことだ。
そしてもう一つ。
禅僧というか、お坊さんというのは「師僧(師匠)」がいないとなれないのだそうだ。
師弟関係がとても大切らしい。
講義で「師匠が『カラスは白い』と言ったら『はい、そうです』と答える」という話が出て
おお、それはうちの師弟関係と同じだよ。
そして話を聞いてみると、操体の世界の師弟関係よりもずっと厳しい。
私も操体の世界で口では「師匠」と言いながら、裏切るとかバックれるとか、恩を仇で返すような輩を沢山見ているけれどね。
プッツンするとか、破門されるのもいたし、破門されて逆恨みして、犯罪行為を犯すようなのもいましたっけ。。(以下略)
さて、先の「音を立てるな」について。
後で詳しく書くけれど、禅堂に向かう時は集団で移動する。
本堂から禅堂までは長い木の廊下がある。そこを裸足で歩くのだが、廊下がドスドス鳴るわけですよ。
私は誰もいない時に、一人で廊下を歩いてみた。
音はしない。
「からだの使い方、動かし方」を知っているから。
オーバーサイズの草履をはいても、ペタペタ音は立たない。
食事の時、音を立てるなというのも「操体」で、習ったこと。
(本当は親から習うハズなんだけど、オトナになるとおろそかになる)
給仕する人は、ご飯の入った器(持ち手の付いた桶)を高く持ち上げる。
これは、低く持つと、ご飯に「息」がかかって失礼だから。
あれ?これって我々が被験者の頭方で頭部や頸椎に触ったりする場合、被験者の顔に息をかけたり、ツバを飛ばさないように(笑)顔の向きを調整するのと同じだ。
また、橋本敬三先生は「掃除の仕方や気配りで、操体のスキルがわかる」と、三浦先生にはおっしゃっていたそうで、これも禅的な話に繋がってくる。
というか、禅の作法というものが、日本の文化(気配りとか掃除とかからだの使い方とか)全体に影響を与えているのだろう。