第三分析(渦状波)や、第四分析を見て「気功ですか」という方がいますが、外気功を修めている私から説明すると「気功ではない」です。
気功とは、気功家が宇宙のエネルギーを自分の体に蓄え(最近は充電しながら使うという手法もあり、これは気功家自身のエネルギーを消耗しません)、まず、被験者から「良くない」ものを取り去り、それから「気」を注入するものです。
当然ながら、これをこなせるようになるには、時間がかかります。
また「乱用」する人がいても困るので、伝授する人は限っています。
以前も「この人はもうちょっとだなあ」と私自身が伝授をためらっており「そろそろいいかも」と、二人の人に伝授しようと思ったその翌週、その二人が揃ってやめるという事態が起こりました。
これは「まだ、その時期ではない」ということを「教えてくれた」のだと思っています。
さて、操体とヒーリングのちがいです。
操体は「快」「バランス」「調和」「皮膚へのアプローチ」という「やさしさ」というところから、ヒーリングに似ているよね、と言われることもあります(操体を、体を動かすとか、身体系のみで考えると、このようなことは考えつきませんが、操体を、からだとこころにやさしいボディワーク、と考えると、ヒーリングぽいねと言われることがあるのです)。
操体といわゆるヒーリングはどう違うかというと、
「死生観」の有無です。
橋本敬三先生は
「(あの世は)みんな行くところだから、きもちいいところに違いない」
とおっしゃったそうです(まあ、ここに辿り着く前には「救いと報い」など、を含めて色々な考察や、シベリアでの拘留体験などがあるのです。詳細は「生体の歪みを正す」をお読み下さい)。
★最近はオンデマンド版が出ています。私が20数年前に買った時は、4,500円位でした。操体を勉強していて、これを読んでいなかったらモグリです。
私も年に一度は読み返すようにしています。
キラキラ、ワクワク系には「光」しかなく、「影」がありません。
しかし、物事には必ず陰陽があります。
この世に生まれたということは、死に近づいていること。
さて、ここで注意すべきは、
- 影もあっての光だと、影の存在も踏まえた上で生きる
- 光のみにフォーカスし、影は見ないようにする、あるいは影の存在を否定する
ことは、全く違うということです。
「光にばかりフォーカスしていると、仏像を見るのがこわい」という話があります。
私が思うに、仏像は光も影も全て内包しているので、光(生、明るさ)にしかフォーカスせず、影(死、暗さ)を否定しているので、影を見ることになり、こわいと感じるのです。
三浦先生や東京操体フォーラム実行委員メンバーは、シルバーのスカルリングを持っています。
これは、サロン・ド・シマジで売っているものですが、通常のスカルと違って、下顎がありません。そのお陰で、すこしばかり可愛らしい顔になっています。
こちらは「メメント・モリ」(死を考えよ)ということで、死を考えることにより、今をよりよく生きようという姿勢です。
メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」、「死を忘るなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。(ウィキペディア)