腰痛は辛い。
幸いに私は腰痛にはご縁がない。腰に不安定な感じがあっても、自分でどうにかできる。
どうにかできるとは。
操体でいうところの、「般若身経」(用語解説参照)を、丁寧に前後屈、左右捻転、左右側屈をちょこちょこ行い、あとは操法をいくつか、これもちょこちょこ行うだけだ。
この「ちょこちょこ」というのがなかなかクセモノ。
例えば、クライアントに「家でできる操体はありませんか」と、問われ、「これはどうでしょう」と示すのだが、
「いつ、何回やればいいのか」という質問が必ずあるのだ。
便宜的に回数や時間を答える場合があるが、「からだにききわけて」ちょこちょこやればいいのだが、「からだにききわけて」という習慣がないと、「やればやるほどいいんですか」ということになる。
気持ちが良ければ何度やってもいいのだが、後味が悪いようではいけない。橋本敬三先生は、「からだの設計にミスはない」の中で、「セックスでも後味がのこるようじゃいけない」←半分意訳と書かれているが、いくらきもちよくても次の日シャンとしないとか、というのはダメだよ、と書かれているのである。
その「からだにききわける」ということがわかれば、回数はおのずと決まってくるだろうし、「こんなもんでいいなぁ」というのが分かってくるのである。
まあ、「何時に何回何セットやりなさい」とプログラムを組まれたほうが、やる側としては楽だし、もしも効果がなければ、プログラムを組んだ人間に責任をなすりつけることもできる。
先日読んだ美容研究家の方の本を思い出す。
雑誌の取材などでは「いつ、何回やれば」ということを必ず聞かれるらしい。確かに目安として述べる場合もあるけれど、本来は肌の状態にせよ、肌に(からだに)ききわけてやるべきなのだ。