操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

昔教えた受講生(操体編)

週末、講習が終わった後、新しく参加した受講生に質問された。

『Cさんってご存じですか』

Cさんとは、私が10年前ほど、操体の講習をはじめて間もない頃に講習に参加していた人である。古株ということで、色々助けてもらったりした記憶がある。しかし、私が操体のスタイルを『楽な方にきもちよく』『快方に動かし、瞬間急速脱力』という、最初に習った操体を捨てて、師匠のところに入門してから、少しづつ変わってきた。

彼は、『快適感覚をききわけ、味わう』という第2分析を理解することと、それを受け入れることができなかったのである。そして彼は去っていき、それまでやっていた操体と、その仲間を選んだ。

その後Cさんのサイトを見る機会があったが『きもちよさを探す』『きもちよさを探る』と、書かれていた。



彼らの共通点は、

・言葉では「きもちよく」と言っていながら、実は楽な方向に動かしているか、または局所の圧痛硬結を取っているということ

・『きもちよさ』と言っている割には、『楽と快の違い』が分かっていないこと

・皆、身体能力が高く、自分が動けてしまうので動けないクライアントに対しても『自分で色々動けばいい』という指導をしてしまうこと

・あるいは自分が気持ちよく動けてしまうので『きもちよく動いて』と言っていること、『きもちよさをききわける』と『きもちよさを探して』の違いが分かっていない

ということである。



また。もっと罪作りなのは、理論に叶っていない操体を、教えているということだ。もっと言うならば、自己流の解釈が入ったものを『操体』と言って流布しているのである。



『知ってるも何も、私が10年前位に教えた方です』

『そうですか。操体も私の友達から聞いたのがきっかけなんですが、Cさんのところに友達が行ったんですが、操体がよくわからなかったそうなんです』



なまじっか知っているので、予想はつくのだが、多分、『どちらがきもちいいですか』という問いかけ(楽ときもちよさの区別がついていない)か『きもちよさを探して』(動診と操法の区別がついていない)、あるいは『きもちよく動いて』(動診と操法の区別がついていないのと、自分がきもちよく『動けてしまう』ので、クライアントにもそのような要求をする)のだろうと思った。



また、確か脱力の際にも「からだの要求にゆだねてください」ではなく「ゆっくり脱力して下さい」という誘導を与えていたと記憶している。ゆっくりとやるのは動診の際で、「からだの要求に委ねた脱力」と「ゆっくりと脱力」では、意味が全く違う。



私は受講生に仰臥膝二分の1屈曲位をとらせ、左右傾倒をさせて「どちらがきもちいいですか、って聞かれてわかる?」と聞いてみた。受講生は

「わかりませんねぇ」と言った。

私はその次に、同じ膝の傾倒を介助を与えながら、一つ一つの動きに、快適感覚をききわけさせる、第2分析を試してみた。受講生は、これは気持ちよさがききわけられます。とってもきもちいいです」と言いながら味わっていた。この受講生はこれで違いが分かったはずである。



しかし、今まで学んだことばかりに固執して先に進むのを拒むというのは非常に残念だ。

Cさんは操体の最前線のスリリングな学びではなく、それまで学んだことに固執して、新しきものを受け入れることができなかったのだ。そればかりか、『きもちよさを探す』という迷路に迷い込んでしまったのだ。