操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体は日本全国同じではありません。

なお、最初に、関西エリアには(神戸)には、
東京操体フォーラム実行委員の日下先生はじめ
操体の臨床をなさっている先生方もいらっしゃることをお知らせしておきます。

 

ざっくり言えば、

東京(関東・東北)は、操体を臨床(治療)として捉えており、
関西及び中国地方では操体を健康体操・養生法として捉えているという
傾向があるということです。

つまり、関西でも関東でも操体は同じ、ではないのです。

私からみると、関西と関東は(傾向として関西は「操体法」といい、
関東は「操体」というような気もします)
全く違うことをやっているように思えるのです。

つまり、健康体操をやりたい人が
プロ向けの講座に行っても大変ですし、
臨床家志望の方が、健康体操を習っても話になりません。

目的を明確にする必要があるということです。


関東エリア(東北含む)は、橋本敬三先生が顧問である
操体法東京研究会三浦寛先生主宰)の操体臨床家養成の講習を
受けた先生方がメインです。

実際、現在臨床的な操体を指導していらっしゃる先生方の殆どは
操体法東京研究会の出身です。

関西地方は、北田洋三先生が、仙台に通い、
それを関西に持ち帰りました。

現在関西では故中川重雄先生の「操体道普及友の会」
が関西各地で活動しているようですが、中川先生は、北田先生から操体
習ったとのことです。

操体道普及友の会は、いわゆる「体操サークル的」なもので、

身体運動の法則(般若身経)= 基本運動と捉えているようです。
つまり、操体を健康体操、養生法として捉えています。
生活に活かすというのもポイントのようです。

 

一方、私共(操体法東京研究会)では
身体運動の法則 = 三法則と一相関性(今はもっと増えています)
と、捉えており、健康体操や養生法ではなく、
からだの使い方(重心安定の法則)、からだの動かし方(重心移動の法則)、
連動の法則(以上三法則)、呼吸との相関性(以上一相関性)として
捉えています。

良し悪しではありませんが、健康体操として捉えており、サークル活動をしているのか、
元々医師が臨床の場で用いていたものを、より実践・実戦的にやっているか
という違いです。

この違いを、良く覚えていただきたいと思います。

 


私が操体を学んだのは、創始者橋本敬三先生の愛弟子、三浦寛先生です。


私は「操体法治療室」を読んで、操体の臨床家を目指しました。

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なので最初から「操体とは、医師が実際に臨床(治療)で用いていたものである」という
認識で学んでいました。

ところが、操体の全国大会(全国操体バランス運動研究会)などに参加すると、
出席しているのは関西地方の臨床家ではなく、
操体愛好家のマダムが殆どでした(操体を健康体操、養生法として認識している)。

そして、指導しているのは、体操あるいは動くことができる、比較的元気な
方々で、指導者も、臨床家ではなく、体操や運動の指導者が多いように
思えました。

 

★関西地方ではその伝達経路により、養生法、健康体操として操体は広まっています。
また、操体法東京研究会では、医師、橋本敬三が実際に臨床で患者様の治療に
用いていたことから、臨床(医師、治療家が患者、クライアントを直接診る事。
(臨床医というのは実際に患者を診る医師を指し、
その反対語は研究医)として操体を研究しています。

橋本敬三は患者には「操体は簡単だ」と言っていましたが、
弟子には「よくこんなものに足をつっこんだな。でも、操体は面白いぞ。
生楽しめるからな」と言いました。

操体は簡単で自分でできる養生法でお金もかからない、というのが関西風で、
操体の臨床は「大変なものだが、一生楽しめるし、操体はリベラル・アーツである」
というのが我々操体法東京研究会風だと思っていただければと思います。

★私は実際関西エリアの操体指導者から「私、操体って安いもんだと思ってました」
と言われ、驚いた経験があります。操体のプロになるには時間も投資も必要です。
この指導者は、「健康体操だから安い」という考えがあるのでしょう。

今から32年程前までは、きもちよさ、ではなく「楽な方に動かして
瞬間急速脱力」というものでしたが、
32年前、創始者橋本敬三自身が「これからの操体は楽(な動き)ではなく、快(適感覚)である」と、
操体の基軸を変えました。シフトチェンジです。

この時、師、橋本敬三の意志を継ぎ、未完成だった「快適感覚」を操体臨床に取り入れ
完成させたのが、私の師匠、三浦寛東京操体フォーラム理事長であり、
操体法東京研究会の主宰者です。

今でこそ誰も「操体は『楽』だ」とは言いませんが
三浦が快適感覚を取り入れた動診と操法を確立した当初は、
まだ「快」という言葉が一般的ではありませんでした。

橋本敬三先生の卒寿の祝いに執筆した本(操体法治療室)は、
当初橋本敬三先生の監修予定だったのも、橋本家によって阻止され、
書籍タイトルも「温古堂治療室」から「操体法治療室」に変更を余儀なくされ、
温古堂の書棚に並べても貰えなかったそうです。なお、橋本敬三医師は、
本をそっと見せた共著者の今昭宏先生には「よく書けてる」と、
お褒めの言葉を下さったそうです。

ところが、三浦と同時期に操体を学んでいた操体指導者達は、
「きもちよさ」を無視し、三浦は暫くの間、無視されるという状態が続きました。

要は「楽も気持ちよさも同じだ、三浦が言ってることはヘンだ」というわけです。

橋本敬三先生は卒寿のお祝いの席で「楽と快は違う」とおっしゃったのですが、
お酒も入っていたのか、この先生の言葉を聞いていなかった弟子も多くいたのです。

しかし、1990年代「脳内革命」などによって「快」という言葉はポジティブな
意味につかわれるようになりました。それまで、快とか気もちいいという言葉は、
性的ニュアンスを感じさせることもあり、
余りおおっぴらに使える時代ではなかったのです。

すると、今まで「楽も快も同じだ」と言っていた指導者達が、
さも昔からそうだったように「操体は快だ」と言い出しました。

言い出したのはいいのですが、

楽か辛いか比較対照し、楽な方に動かして瞬間急速脱力するもの(第一分析)と、
一つ一つの動きに快適感覚の有無を問いかけるもの(第二分析)は、
動診と操法の行程が違うにもかかわらず、

「言葉では『きもちいい』といいながら、やっているのは
楽か辛いか」というやり方をはじめたのです。
わかりやすい例ですが、きもちよさというのは、比較対照しにくいものです。
何故なら、これは感覚を問いかけているから。

左向くのと右向くの、どちらがキモチイイ?と聞かれると困りませんか?
逆に、左を向くのと右向くの、どっちがやりやすい?楽?と言われると、
割とすぐ分かるはずです。これは運動差(可動域)でみているから。

この二つを混同してやっている指導者が未だに多いのです。これを「迷走分析」と言います。

大阪で、三浦先生が講義をした祭、
参加のマダム達に「きもちよさって分かる人」と
問いかけた際、手を挙げた人は僅かでしたが、
「楽か辛いかは分かる人」と、問いかけた際、
非常に多くの方が手を挙げました。

実際、指導者が「きもちよく動いて」
(本当は、動いてみなければ、きもちいいかどうかわからないので、
最初から「きもちよく動け」というのは、不適当)
と、指導しているのかもしれませんが、

参加者は、分からない、と思っているのかもしれないな、と
思った次第です。

なお、私も「互いにわかり合えるかも」と思ったこともありますが、

関西エリアの多くの「操体法」と、私達が学んでいる「操体」は
ルーツは同じであれど、全く違う異母兄弟みたいなものだなと
思っています。