操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

「操体法の泰斗」登場。

昨日は昼間、東京操体フォーラム相談役の駒居義基先生の「占いとカウンセリング」のセミナーに出席したあと、サロン・ド・シマジに伺いました。

 

神々にえこひいきされた男たち (講談社+α文庫)

神々にえこひいきされた男たち (講談社+α文庫)

 

 シマジ先生の新著が昨日発売になっており、サインを頂きました。

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★サインを頂いてしまいました。

 

この本は、島地先生のメールマガジンを編集したものです。そして、何度か書いていますが、三浦先生が登場します。

 

★島地勝彦先生は「足趾の操法®」をご贔屓にして下さっています。

本のタイトルにもあるように質のいい「えこひいき」です。

 

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操体三浦寛先生)と、島地勝彦先生の衝撃的な出会いが書かれています。

 

どうぞご一読あれ。

今日の視診触診講座。ウサギとかめ。

第三日曜の午前中は、私が担当している視診触診講座です。

元々は「ひかがみの触診ができないので、補講をやって欲しい」というリクエストから生まれたものです。

 

今は、鍼灸の学校や、柔道整復の学校などでも「視診触診」をじっくり教えるところはないようです。

 

ましてや、操体を短期間の講習で習ったとか、短期の整体の講座に通った(大抵は「やり方」を指導するので、触診などは指導しません)と言う場合や、「人様のからだに触れることを習うのは初めて」という場合は、やはり必須です。

 

というのは、20年前位は、操体法東京研究会の定例講習に参加するのは(募集広告は「医道の日本誌」のみに掲載していましたし)殆どが鍼灸師柔道整復師、指圧師など、実際に患者樣を診ている方々ばかりで、「視診触診はできていて当然」「患者様を診ているのがデフォルト」だったのです。

 

今は、インターネットで講習の募集をやっていますから、会社員とか、今まで人様のからだに触れたことがないという方も講習にやってきます。つまり「素人」が手技療法の世界に入りたいという場合です。

そのような場合、やはり補講として視診触診の基礎が必要なのです。

 

そして、この講座は、名称こそ「視診触診講座」ですが、内容は、私が今封印している「ミドル講習」とほぼ同じです(ミドルは、ある程度操体の基礎ができていないと伝えられないので、現在封印している状態です)。

 

なお、不思議なのですが「この人、視診触診の講習に出席してスキルアップして欲しいな」という人に限って、参加してくれません。

 

★このブログを読んで「参加したい」という操体法東京研究会の受講生の方がいましたら、是非お越し下さい。私はアナタのために書いているのです(笑)。

 

 

色々事情もあるのでしょうが、チャンスがあるのに勿体ないと思います(この視診触診講座は、操体法東京研究会の定例講習か、足趾の操法の講座の受講生しか参加できません)。

 


逆に「きちんと勉強していて、基礎が出来ている」という人が熱心に出てくれるので、その方達は目覚ましく上達しています。

 

 

「ウサギとかめ」の「かめさん」だと思われていた人が、結果的には「ウサギさん」を越えたという事実もあるのです。

 

 

そして今日の講習は、三浦先生が登場。

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★三浦先生に脊柱の触診をされるワタクシ。

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★腰掛け位で、橋本敬三先生の時代から伝わる「伝統的な脊柱の診方」のモデルになっているワタクシ。

 

「色々な操体を受けてみたい」というのは。。。

先にも書いたが「色々な操体を受けてみたい」という気持ちもわかる。

 

それは、まだ「師匠」に出会っていないということでもある。

 

橋本敬三先生が、私の師匠の師匠であったように、操体を学ぶなら「講師」ではなく「師匠」に出会って欲しい。

 

「講師と受講生」「師匠と弟子」は、違う。

受講生ならタームが終われば後は勝手に開業しようが講習しようが勝手だが、師弟関係ならば、開業するにも屋号をつけるにも、講習をやるにも師匠には相談するというものだ。

 

「講師と受講生」の間柄なのに「習ったから師匠」というのではない。そういう「勘違い」は多い。

 

「師匠と弟子」は双方で「この人は師匠」「こいつは弟子」という了解があって成り立つ。受講生が「習ったから師匠」というのは、言葉だけのことだ。

 

 

それは、どうすればいいかというと「素晴らしい師匠に出会えるように願う」ことだ。

 

 

私は「この人を師匠としよう」という人が決まってから、操体の勉強を始めた。

 

私は「操体法治療室」の、三浦寛先生のパートを読んで「操体を勉強しよう」と決心した。

 

★なお「操体法治療室」の三浦先生のパートは昨年英語版が出た。私は序文を書いている。読みやすい英語なので、是非トライしてほしい。

 

 

Sotai Treatment Room: Obeying Bodily Sensations (English Edition)

Sotai Treatment Room: Obeying Bodily Sensations (English Edition)

 

 日本語版はこちら

 

操体法治療室―からだの感覚にゆだねる

操体法治療室―からだの感覚にゆだねる

 

 

 

そして、三浦先生の講習を受ける前に、別の先生から操体を習うチャンスがあったので、そちらに行ったというだけだ。通っていた学校の特別講義で、操体というクラスがあったのだ。

 

後に、三浦先生には「なんで最初からオレのところに来なかったんだ(笑)」と言われるが、結果的には、それによって「第一分析」も、いわゆる「連動操体系」のものも習得することができた。

 

私の場合、最初に操体を習ったのは、三浦先生ではなかった。
が、三浦先生の初期の受講生(根本良一先生と同じ頃に習っていた)方から習ったと後で、三浦先生から聞いて知った。

 

 

そして三年みっちり勉強して開業し、三浦先生とご縁ができた。

 

ちなみに、私は三浦先生に師事したいため、それまでのご縁を切った。私が三浦先生に師事したいということに対して、反対する人とである。

 

当時私は講習もやっていて、門下もいた。私が三浦先生に師事すると聞いて、去って言った輩もいる。今は何をやっているかは知らない。

 

 

ここで私が言いたいのは「ヘンなプライドを持たずに、自分がこれだと思ったら、早めに軌道修正したほうがいいよ」ということだ。

 

また、私自身も最初は「楽と快のちがい」がよく分からなかった。

 

しかし。三浦先生のもとで学び、その違いがわかったし、皮膚へのアプローチのコアな部分も学ぶことができた。

 

というわけで、私はやはり「操体やるなら、師匠のいるヨロコビ」を知って欲しいなと思うのである。

 

「参りました。弟子にしてください」

 

こうやって全面的に負けて委ねる。

 

こういう時期があってもいいし、こういう時期があってこそなのだ。

 

操体は「いろんな治療法のいいとこ取り」ではない。

先のフォーラムで、半蔵賢人が「操体概論」で「いいとこ取り」という話を出した。

 

★半蔵氏のは「橋本敬三先生の、自然法則のいいとこ取り」のことだ。

 

また、先日ある人が「操体はいろんな治療法のいいとこ取り」と言っていたことを思い出した。

 

ちなみに「当事者」つまり、操体実践者が「操体って、自然法則のいいとこ取りなんですよ」という場合と、

操体をちょっと知ってるような人」が「操体って、いろんな治療法のいいとこ取りですよね」という場合、

 

★当事者(操体の専門家)に向かっては、いささか失礼ではないかと思う。

 

これは師匠も「全くだ」と言っていたが、操体のことをよく解っていないし、例えば「整体と操体のちがい」なども知らないのだろうと思う。

 

 

いいとこ取り、ということを考えると、

例えば「歯の数と食べ物の種類」というのも、橋本敬三オリジナルではない。また、80歳を過ぎるまで、橋本敬三先生は色々なことを試されていたのも事実であるが、

 

  • 「からだの動きは8つしかない」
  • 「ボディの歪みを正すことによって症状疾患を二次的に改善する」
  • 「きもちのよさで良くなる」
  • 「動かして感覚を確認する」

というのは、操体独自のものである。

 

また、80歳を越えてからは「やはり自分のやっていたことは間違っていなかった」と、「操体臨床オンリー」になるのである。

 

★三浦先生が若い頃など、橋本敬三先生は、例えば子どものおねしょなどには、骨盤の矯正(すごい音がしたらしい)もしていたそうだが、臨床家が、経験や時を経るに従って、やることが洗練されてくるのは当然のことだ。

 

「いいとこ取り」というのは、自然法則のいいとこ取り」なのである。

 

「いろんな治療法のいいとこ取り」というのとは、違う。

 

例えば、我々は「操体は、操体」として接しており、「○○操体」という言い方はしていない。それは「様々な分析法はあるが、操体操体である」という認識だから。

 

さて「○○操体」というのは何故生まれるのか?

 

それは「操体だけ(主に第一分析)では効果が出ない」場合、あるいは「○○操体」という名称でオリジナリティをうたっているのだろう。

 

私の知っている人でも「野口整体操体をミックス」という人がいるが、そもそも野口整体操体は、セオリーが違う。ミックスすると齟齬が発生する。

ここでは何故「ミックスすると齟齬」が生じるのかは書かないが、知りたい人は私のベーシック講習にでも来て下されば、お伝えする。

 

私は野口晴哉師を尊敬しているので、敢えて野口整体には首を突っ込まないのである。昭和時代は、整体協会から紹介された患者さんを、橋本敬三先生が見たという話も聞いた。これは私のクライアントの体験だ。昭和の時代はそんなこともあったのだ。

 

また、先日も書いたが、「色々な操体を体験したい」という人がいた。

色々な操体、というのは「操体だけでは効果があがらないので、何か別の手技療法を取り入れている」ことだ。

 

「色々な操体」(操体だけでは成り立たないので何かをプラスしている場合)をショッピングするよりも、

 

「本当に操体専門」でやっているところで、ホンモノを受けて頂きたいと思う。

 

再度書くけれど、美術品や芸術などは「最初にホンモノ」を見て体験することだ。
そうしないと審美眼やセンスは磨かれない。

 

最初からバチモンに接していると、どれがホンモノでどれがニセモノかわからなくなってくる。それは、美術に限らない。

 

そして「楽」をいくら集めても「快」にはならない。言葉だけで「きもちよさ」と言っても、感覚が伴わない「きもちよさ」はニセモノだ。

 

これは本当に最近痛感するのだが「操体のやり方」だけ習って、橋本敬三という名前を知らないとか「般若身経」を知らないという人もいる。

 

そして色々聞いてみると、習ったのは、それこそ「操体の中のいいとこ取り」で、とても薄っぺらいのである。

 

しかし、世の中とは不思議なもので「ホンモノ」を目の前にしているのに、安易さや価格で「ニセモノ」に走るケースもある。

 

これは致し方ないが、このブログを読んでいるあなたには、チャンスはある。

 

 

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最近の読書と芸術鑑賞。

さて、4月末から5月二週くらいまで、非常にバタバタしておりました。

その間に読んだ本とか芸術鑑賞をご報告しましょう。

 

 

 

般若心経―テクスト・思想・文化

般若心経―テクスト・思想・文化

 

 このあたりは思いっきり「仏教塾」のテキストです。

 

 

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

日本仏教史―思想史としてのアプローチ (新潮文庫)

 

 これもそうです。

 

 そして、とても解りやすかったのがこれ。Kindle版で移動中に読んでいました。

日本の仏教の変遷や、上座部と大乗の違いがよくわかります。

 

一冊でまるごとわかる日本の13大仏教 (だいわ文庫)

一冊でまるごとわかる日本の13大仏教 (だいわ文庫)

 

 出ました!「まるごとわかる」的なヤツ。で、これもわかりやすいです。なによりもKindleで移動中に本を抱えて歩かなくても読めるという幸せ。宗派ごとの違いなども一層理解が深まります。

 

そして、行ってきました。

sesson2017.jp

 

フォーラム実行委員の「香」(こう)さんの実家の近く(三春)で晩年を過ごした絵師です。確かに「奇想天外」。

 

www.mucha2017.jp

 

そして、大好きなミュシャ。今回は、初公開の「スラブ叙情詩」(とても大きい)が目玉です。とにかく離れて観ないと。また、スラブの歴史をもっと勉強しておけばよかったなと思いました。すごい迫力です。「ヒヤシンス姫」などの名作も出ていました。

 

raku2016-17.jp

 

とにかく、これだけの規模で「茶碗」を観たのは初めてです。
樂家の代々の作品を一度に観ることができる素晴らしい展示でした。

お茶碗のネーミングなども愉しめました。

 

treasures2017.jp

 

★これは「見とけ!」という感じです。

始祖鳥の完璧近い化石には釘付け。

また「呪いのサファイア」とか古代エジプトの猫のミイラとか(猫は神様扱いされていたのです)。

凄いのは、始祖鳥、魚竜(魚竜とイルカの泳ぎ方の違いなどもわかります)、ドードーなどの動きを再現したCGが凄すぎ。

 

また、この博物館は、私が大好きなパディントン(今度パート2をやるらしい)の舞台になったところなんですな。

(ガチャポンでパディントンのバッジを買いました)

 

そして、私は「音声ガイド」が大好きなんですが、この展示の音声ガイドは、山田孝之。”It's my pleasure."ならぬ "It's my treasure." という台詞が決まってます。

(どうしても「鴨川ホルモー」とか缶コーヒー)

 

これは見て下さい!

 

映画『帝一の國』公式サイト

 

そして「帝一の國」。これはまさかの面白さ!若いイケメン君達に、目の保養です。。「銀魂」の実写版も観てしまいそうです(笑)。

 

www.momat.go.jp

そして、動物をモチーフにした工芸展。

猫モノが多くて素敵でした。

 

 

というわけで、駆け足で鑑賞したわけですが、まだあります。

 

それはまたあとで。

 

 

「どの操法を選べばいいのか?」

先日(本来、第2分析は操体法東京研究会以外では学べないハズなのですが、それはさておき)、あるところで操体を勉強なさった方が

 

「第2分析ではどの操法を選べばいいのか」という質問をなさいました。

 

この質問を分解してみましょう。

 

まず「どの操法」という言い方ですが、これ、正確には「どの動診を選べばいいのか」ということです。

第2分析においては「きもちのよさがききわけられたら」そこからが「操法」なので、第2分析で「操法」に入ったら「きもちのよさに委ね味わう」ことになりますから、タコ踊りしようがブレイクダンスしようが構わないわけです。

 

操体では、診断分析があって、その後に操法があります

★なので「きもちよく好きに動いて」とか「自由に動いて」とか「きもちよさを探してうごいて」と、最初から指導することはありません。もし最初から「きもちよさを探して」と言っているとしたら、「診断分析」をすっ飛ばして、いきなり「操法(治療)」にすすんでいることになります。つまり、操体のセオリーから外れているということです。

 

★ここで「色々な人がいるから色々なやり方があってもいい」ということを言う方がいらっしゃいますが、私が言っているのは「セオリー的に、診断分析に続き、操法(治療)があるのが操体」ということであり、橋本敬三先生の意思を無視し、操体のセオリーを無視して好き勝手にやっているわけではないことと、実際に「臨床的な実り」が得られるかどうかということです。

 

★効果がないとか実感できないとか、満足感がないとか、操者が一方的に「きもちいいでしょ」の押し売りをしているとか、そういうものではありません。

 

 

これは正確に言うと「第2分析では、どの動診を選べばいいのか」ということになります。

 

第2分析では、二者択一の比較対照分析ではありません。
逆に第1分析の場合は、対になった動きを比較対照するので、ポジションは、仰臥、伏臥、正座位、立位、腰掛け位くらいしかありません。

特に側臥位の場合などは、体幹(骨盤)の比較対照ができません。

 

しかし、第2分析は、動きを比較対照しないので、動診の数が第1分析の二倍あり、なおかつ、どんなポジションでも分析可能ということになります。

 

また、右手関節の動きだけでも考えてみると8つあります。左も8つあります。両手を使った場合も考えると右と左が同じ動きで8つ、右と左の反対の動きで8つ(例えば右手は外旋、左は内旋とか)手だけでも34通りあります。足も34通りあります。

さらに、ポジションは無限です。

もの凄い数の「診断分析法」があるのが、第2分析です。

 

 

さて、そこからどの動診を選ぶのか、というのは、操体法東京研究会の受講生からもよく出てくる質問です。

 

それを学ぶのが「操体法東京研究会」の定例講習なのです。

 

www.sotai-miura.com

 

私は「操体の勉強は99パーセントくらいは『診断分析法』の勉強」と言っています。そうすると、殆どの方は驚きます。大抵は「操法の勉強(つまりやり方)」だと思っているから。

 

その、診断分析法には「本人にしかわからない感覚を分析する」ということが含まれているので、時間がかかって当然です。

 

例えば「やり方」だけを教える操体の講習は、肝心の「診断分析法」を学ぶ事ができません。なので、短期間や単発の講習で済むのです。

 

★診断分析法には「楽(な動き)と快(適感覚)」の違いを明確にするという重要なポイントがあります。

これがキモです。

 

これを理解することによって

 

現在の操体界で流れている

「指導者が、楽と快の違いを理解しないまま、言葉の違いだけで操体を教えている」

という致命的なミスを回避することができます。

 

★この「楽と快の違いを理解していない」指導者の診断分析を「迷走分析」と言います。

例を挙げると

  • 楽なほうにきもちよく動いて
  • きもちよさを探して(色々動いて)
  • どちらがきもちいいですか

(これらは全てペケです)

 

などの問いかけです。

 

★診断分析法を知らないとどうなるかというと、

クライアント(被験者)に、知っている操法をありったけおこなって、疲れさせてしまうとか「操体ってよくわかんない」と思われてしまうのです。

 

しかし「診断分析法」を学ぶには、ある程度時間がかかります。

 

操法(やり方)」だけをいくつ習っても、「診断分析法」にはなりません。

 

なお、第3分析(渦状波®)でも「どこに触れればいいのかわからない」という声を聞きます。大抵は操体法東京研究会の受講生ではなく、本などで渦状波について知ったという方々です。

 

これも「操法だけ知っているけれど、診断分析法を知らない」ということです。

第3分析においても「どこに触れるのか」という「診断分析法」を、学ばないと、使うことはできません。

 

第3分析においては、皮膚に対して「刺激にならない接触」を用いますが、世間では「ずらす」「ねじる」「引っ張る」「絞る」などの刺激を「皮膚操体」と言っているケースがありますが、「刺激」と「接触」では雲泥の差がありますし、神経の伝達回路が違います。

★殆どは、三浦先生の「渦状波®」のパクリで、「皮膚への刺激」にとどまっています。何故なら「診断分析法」を学んでいないので、「刺激」しかやりようがないからです。

 

このあたりは、勉強していくとわかりますが、「意識関与」と「無意識への関与」の違いです。

 

第2分析、皮膚へのアプローチ(第3分析、渦状波®)の創案者は三浦寛です。

(本当は他では学べないハズなんですが・・・)

 

習い実践するならば、創案者から直接操体を学んでみませんか?

 

私がなんでこういうことを言うかというと、このブログを読んでくださっているアナタには、遠回りとか、ヘンなものをつかんで欲しくないから。

 

講習は、私も指導者として、先輩として参加します。

 

 

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スリーカウントで脱力?「たわめの間」は必要です。

「たわめの間」って聞いたことがありますか?

 

操体(特に第一分析)では、とても重要なことです。

 

★私はバリバリの第1分析はやりませんが、限りなく第2分析に近い第一分析(最近D2'と命名)はやることがあります。

 

★というのは、第1分析はできますし、第2分析もできるし、第3も、第4も第5もできるのですが、クライアント(被験者)によって、使い分けたりするからです。

 

 

 

何年か前、アメリカで「操体を習った」という日本人(アメリカで鍼灸師の資格を取っている)と、アメリカで指圧をやっているというアメリカの治療家に会いました。

 

その時聞いたのは、操体で、瞬間急速脱力に導く際(第一分析ですね)、動かしやすいほうに動かしてから、そのポジジョンをキープして、スリーカウントで脱力すると聞きました。

 

脱力の方法も「ラグドール」(ぬいぐるみ、という意味。猫の種類でも「ラグドール」というのがありますが、抱っこするとでれっとか、ぐにゃっとするような感じ)のように、と習ったと聞きました。

 

第一分析を行う(二者択一の瞬間急速脱力を行う)場合、「たわめの間」ということを重要視します。

 

「たわめる」というのは、青竹を曲げてしならせているような状態です。

しなっているということは、「抵抗」に対して「しなっている」ということです。
なので、瞬間急速脱力すると、その「しなり」が「整復」「骨格矯正」に繋がってくるわけです。

 

瞬間脱力には「たわめ」が必要なのです。

 

なお、被験者のからだの具合や、年齢や要因によって、瞬間急速脱力が不可能な場合があります。また、我々が持っている橋本敬三医先生の講義の動画では、橋本敬三先生が、瞬間的に抜いてくれない被験者の中年男性に一瞬「キレキレ」っぽくなるのがありますが、瞬間脱力できない人もいます。

 

そのような場合「たわめの間」を獲得することにより、動診操法を上手く運ぶことができます。

 

しかし「動きをとめて」「3カウントしてから脱力」だと、この「たわめ」の「しなり」がないのがおわかりでしょうか?

 

「動きを止めて」ではなく「たわめて」なのです。

 

日本国内でも、「3カウントしてから脱力」と、やっているところもありますが、これは、指導者が「たわめる」「たわめの間」ということを、受講者や被験者に伝えられず、3カウントという形で簡略化したものだと想像できます。

 

第一分析においても、「たわめ」を創造するには、操者自身が被験者の「動きのベクトル」を読まなければならないからです。

 

「動きのベクトル」が読めない場合は「動きを止めて」「3つ数えたら脱力して」というしかありません。

 

第一分析(楽か辛いかの、比較対照の動診を行い、辛い方から楽な方へ動かして、二~三秒のたわめの間の後、瞬間急速脱力に導く)で、効果を出すには「たわめの間」の獲得が必要なのです。

 

いいですか?

 

「3つ数えて脱力」では、操体で、何故「瞬間的に脱力させるのか」という、大事なことが抜けてしまうのです。

 

★勿論、我々は「第一分析」において、瞬間急速脱力させなくても、ボディの歪みを正す、という手立てを知っています。

 

そして「操体臨床家への登竜門」、今年設立40周年を迎える「操体法東京研究会」の定例講習が9月に開講いたします。

「瞬間的に脱力できない場合は?」「動けない場合は?」「快適感覚がわからな場合は?」など、操体実践者がぶつかる悩みの解決糸口、あるいは、全くの初心者でも(むしろ、妙な前知識が入っていないほうがいいかもしれません)操体臨床家へのステップを歩むことができます。

 

www.sotai-miura.com

 

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