操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

いろんな操体

『色々な操体があってもいい』とは思う。



それが自然法則の応用貢献であるならば。



しかし、患者様なりクライアントは『操体とは名ばかりのもの』を受けて、果たして良くなるのか?また『快適感覚をききわけ』ることができるのか。



私達は(私達というのは同志の事だ)食いたいのか食いたくないのかどうでもいいような『快適感覚』を提供したくはないし、質の良い『快適感覚』を提供したい。そして味わっていただきたい。



そして、なぜ『動診』があるのか。『動かしてみれば歪みの有無がわかる(快・不快の法則は歪みの存在からおこる)からだ。



動かしてみて『その動きが快なのか不快なのか』確認するのが動診だ。



なので『きもちよさを探して』という指導は良いとは言えないと言っているし、素人ならともかく、プロフェッショナルならもっと勉強すべきである。こういうことを言うと『色々な操体があってもいい』という方々が必ずいる。しかしなかなか多い確率で、そういう事を言う方々は、



『私は操体専門じゃないから』と言う。



つい最近も某団体の某先生からこういう発言を聞いた。



確かに某団体は飲尿とか温熱療法の中に操体の考えを取り入れてはいるが、治療のなかではほんの少しの操法を入れているだけだ。取り入れている程度だったら『色々あってもいい』と言えるだろう。しかし我々操体のプロは操体で勝負しているのだからそうは言っていられない。



またこの先生は『好き勝手に自由きままに』と言われている。



が、『快』というのは相手に迷惑をかけないという事も考えなければならないのではないか。自分が勝手きままに適当にやって、迷惑がかかる人の事は考えてないのだろうか。



ちなみに私の所にK医学に行って『飲尿』と高額な健康食品を勧められ『飲まないと治らない』と、脅された(本人談)、そして何か事故があっても訴訟などはしないという念書を書かされたという(これは商売のやり方なので、批判するつもりは毛頭ないし、本当に重い病気でかかっていて、効いている方もいるのだろうと思っている)。



そんなバックグラウンドのもとで『色々な操体があってもいい』とか『きもちよさを探して』でも何でもいいじゃないか、と言うのである。



★少し飛んでますか★



ちなみに私は東京操体フォーラム関係のいざこざで、以前某団体の地下の窓のない部屋に二時間程軟禁されて、脅迫まがいの事をされた事がある。

そりゃ怖かったですよ。命の危険性を感じたりしたので、出かける前に、親しい知人に『二時間して私から連絡がなかったら、携帯に電話ください』と言ってから出かけたんですから。



(だからって書いてるわけじゃないんですが。え?ウソつけって?)



いえ、怖かったのは事実です。