操体法大辞典

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文は1行目から書かなくていい

文は一行目から書かなくていい ? 検索、コピペ時代の文章術

文は一行目から書かなくていい ? 検索、コピペ時代の文章術


たまたま誰かが読んでいた「プレジデント」の新刊広告を見て、Amazonに即発注した。
最近よく言われるのは、ブログなどの広まりによって、文章が稚拙化しているということらしい。つまり、文章を推敲せずに垂れ流しているということだ。
ここ数年、いい大人でも「食べれる」という『ら抜き表現』を使っていることがあるが、話言葉で使うならともかく、書き言葉で「それは食べれません」と、いいオトナが書いたりすると、少しばかり国語能力を疑うのも事実である。もっとも言葉は生きているものだから、あと数年で、書き言葉も「ら抜き」が普通になるのかもしれない。最近は自分の母親が「食べれる」と言っているのを聞いて驚いた位である。

少し前の話になるが、自分の義理の父親が亡くなったというメールをもらった。「義父が亡くなられました」と書いてあった。この場合、義父は身内なのだから「義父が亡くなりました」と書くべきである。これを四捨五入したら40歳になる大人が書いていたので、これまた少し驚いた。
いずれにせよ、文章で「この人、アホかいな」と思われたら損をする。

私の師匠は未だに原稿用紙に原稿を書いている。以前伊東屋の原稿用紙をプレゼントしたところ、結構気に入っているらしい。先日も銀座本店に行って、原稿用紙を10キロ(?)位買ってきたそうだ。原稿を書き直して清書して出すのである。私は「原稿用紙はどこを直したかわかるように、清書しないほうがいいんじゃないですか」「文豪も書き直し原稿を出してますよ」と言っても、時間をかけて丁寧に清書するのである。
私は大学の卒論もワープロで打った。初期のパーソナルワープロだ。その後もパソコンを買うまでワープロを使っていた。1995年辺りからインターネットをやっているが、チャットは早打ちの練習に一番いいことがわかった。今もそうだが、手元を見ずに、画面を見ながら、会話速度と殆ど同じ速さで打てるのである(途中でブラインドタッチの学校も行ったけど)。また、ペンを持つと手が痛くなったりするので(力んでしまうのかも)、キーボードのほうがストレスなく早打ちができる。原稿を書くにしても、先にだだだ〜っと打ってから推敲するスタイルになる。

師匠は手書きの人なので、私の早打ちに対しては少し懐疑的である(笑)。執筆以上に推敲に時間をかけるというのは、信じがたいのかもしれない。

この本のタイトルだが、文を最初の1行から書こうと思うから、なかなか書けないのである。ワープロの機能で、いくらでも順番を変えたりすることができるので、書きたいところから書いてもいいのだ。
また、参考になったのは、ワープロの漢字変換機能を使って慣れてしまうと、難しい漢字を使いすぎるということもある。例えば「薔薇」とか「鬱」は、変換すればすぐ出てくるが、自分ではなかなか書けない(先日、鬱という字の書き方の覚え方は教えてもらったが)。こういう場合、全部ひらがなで書き、少しづつ漢字に直していくという書き方もあるという。

文章修業する際には、自分が好きな作家の文章を真似ることがその第一歩だという。しかしこの話をすると「そうすると、自分の個性が消えてしまいませんか」という人がいるらしい。これは文章修業に限らず、すべての事の上達に通じるものだが、最初は真似ることだ。
操体や芸事は、最初は「見る」というところからはじめる。最初から自分の個性をを活かすほど、上手くないのである(笑)。「守破離」の「破」からやるようなものだから、最初は真似とかお手本を使うとか、模写をやるのである。

操体の講習でも、言葉の誘導を自分に都合いいように改ざん?しているケースがあるが、理由があって誘導の言葉を選んでいるのだから、最初は師匠のを「完全コピー」すなわち「完コピ」できるようになってからアレンジすればいいのだ。
こういう指導をしているにもかかわらず、自己流でとんちんかんな問いかけをしているケースは多い。自己のスタイルをつくるのは100年早い(笑)。
守破離」の「守」の位置にいるのに「離」を学びたがるのは順番が違うのである。

というわけで、逆説のようだけれど、自分の個性を磨くには、まず真似から、ということらしい。