私が最初に「操体法」を受けたのは、専門学校の課外授業のクラスだった。私は当時すでに「操体法治療室」を読んでおり、操体を勉強しようと思っていたところ、学校で特別課外授業があるというので申し込んだのだ。
まだ、よくわからないので、取り敢えず目の前にある講習に参加してみようか、という感じだった。実際その時の先生は(後で知ったのだが)、三浦寛先生の受講生、故滝津弥一郎氏の受講生の、小林先生という方だった。
この講習では「基礎」でいわゆる膝の左右傾倒(膝を左右に倒す)や、足関節の背屈をやり、「応用」で、いわゆる「滝津系」の操法を習った。驚いたのは、背中の痛みが瞬時に解消すること。驚いた。講習が終わってからも小林先生に教授をお願いし、その時のテキストは詳細部まで全部マスターした。その後開業し、講習もはじめた。
しかしその後「自分がやってるのは、単なる痛み取りじゃん?」と気がついた。また、言葉では「きもちよさ」と言ってる割には、実は自分がやってるのは、きもちよさじゃなくて「楽」の選択だ!と気がついた。
ただ、その時私には「奥の手」があった。それは「足趾(あしゆび)廻し」である。これは個人的に好きだったので、どうすればクライアントにきもちよさを確実に味わっていただくか、研究し、独自の工夫を重ねた。これは後に「足趾の操法®」の講習にも組み込まれる。
その後、三浦先生に改めて入門・師事し今に至る。
そこで「どちらが楽か辛いか、楽なほうに動かして瞬間急速脱力」ではなく「ひとつひとつの動きに快適感覚をききわける」という分析法(第2分析)を学び、更に、皮膚へのアプローチ(刺激にならない皮膚への接触)、つまり第3分析を学んだ。これはどちらかと言えば、自分が味わうというよりも、勉強や臨床の中で、相手(被験者)が感じているきもちよさの波動を受けながら、感覚を磨いていったというほうがいいかもしれない。
第2分析での「快」と第3分析の「快」は明らかに質が違う。
私はそんなに凄い経験はないが、皮膚へのアプローチ(渦状波)を受けていて、それこそ至上体験をしてしまった同志がいる。私のクライアントでは、からだが暗い宇宙に浮いて、金色に輝く流れ星に包まれて最高の幸福を味わった、という人もいる(注:それはその時の、その人のからだが見せている、あるいは感じているものであり、次もまた同じ経験ができるかというとそうではない)。からだが勝手に動き出し、私の前でブレイクダンス(?)を30分続けた人もいる、。
ある時、ちょっと無理をしてからだをこわして入院したことがある。入院中は幻覚(点滴8本位打たれているので、おかしくなるらしい)をよく見た。幻聴もあった。退院してからもしばらく幻聴があった。幻聴と言っても私の場合、グリークラブとかコーラスとか、何だか合唱系の歌が聞こえてくるのである。自分でも「あ、これはからだが治すために反応しているんだな」という確信があったため、あまり気にしていなかった。風呂に入っていて、あまりにも「それ」が素晴らしいので、一時間位湯船の中で聞き入っていたこともある。
それはともかく、しばらくたって確定申告の時期になった。なかなかストレスフルな作業だ。そして私は何故か計算ができなくなってしまったのである(笑)。自分がバカになったのかと思ったが、何だか全く作業が進まない。進まない割にはアタマが冴え、二日間徹夜するという始末。しかし作業は全く進まないという妙な状態だった。淡々と書いているが、非常に苦しい状態であり、この状態はやはりおかしいという自覚があった。申告用紙を書き損じたりもした。このあたりになってくると、自分ではコントロールできなくなってくる。第1二日徹夜しても眠くないというのは、ドーパミン過多とか、あきらかに普通ではない。
そんな時、久しぶりに岡山の受講生、柔道整復師のN先生から連絡があった。東京に行く用事があるので、足趾の操法の復習をしたいというのだ。私はN先生に事情を話し、足趾の操法の復習のモデルになった。
足趾の操法、というのは、からだ、あるいは心が疲れている時ほどストレスがたまっている時ほど、きもちよさのインパクトが強いような気がする。本当に強烈にきもちいいのだ。
私はモデルとして受けているというはっきりした意識があるのだが、アタマの中で、非常にリアル(今でも内容、音楽などは思い出せる)な「お笑いアクションミュージカル映画」が上映されたのである。丸の内線とか赤坂見附とか銀座とか、知っている場所が次々と登場した。途中で余りにも面白いので笑った記憶がある。N先生には「ちょっと余りにも面白いから笑うね」と、あらかじめことわるのである。
これは「からだ」がつけてくる癒しとしての「笑い」なのだろう。時間にして2時間位経っただろうか。私のアタマの中の「お笑いアクションミュージカル映画」が終わった。アタマがすっきりして、視界が明るくなったのがわかった(N先生ありがとうございます)。
「きもちのよさでよくなるって、こういうことなんだ」と、心から実感したのはこの時だ(幻聴もそれいらい聞かない)。