これは、今回の秋のフォーラムの初日のテーマである。
最初「操体は学問でなければならぬ」と言ったのは師匠だった。
「操体は、リベラルアーツである」と言ったのは、
東京操体フォーラム賢人組、鍼灸や漢方、理学療法、クラシックから文学までと
幅広くカバーする東の賢人こと半蔵さんである(西の賢人は日下さんだ)。
操体法、というのは、
操体の中でも、橋本敬三医師が行っていた臨床の部分を指す。
操体、というのは「息食動想プラス環境」をも含めた
橋本哲学(死生観や生命観などを含む)全体を指す。
なので「操体法」というのは操体のほんの一部分に過ぎないのである。
操体の中には、神代文字とか宗教とか食養とか性に関する話とか
日本神話とか、とにかく色々な話が登場する。
また、操体の根底に流れているのは
「絶対」と「相対」の区別を明確にする、
つまり、生まれながらにして救われているという「絶対」と
娑婆で自分のやったことは因果応報で返ってくるという「相対」の
違いを明確にするということだ。
これは「救いと報い」という言葉で書かれている。
あることをないと思い、ないことをあると思って苦しむ。
これを仏教では「妄想苦(もうぞうく)」というそうだ。
今回のフォーラム初日では、
橋本敬三先生が晩年勉強なさっていた
「相似象」や、九星気学、
易、宗教(大本教とかもろもろ)などが登場する。
操体と何が関係あるの?と思うかもしれないが、
これが関係しているのだ。
私自身もとっても愉しみにしている。
2014年秋季東京操体フォーラム(速報) « 東京操体フォーラム