操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

保険治療と操体。

今年で正式に開業して18年になりますが、昔は「健康保険きかないんですか」という方が結構いらっしゃいました。

今はいません。

 

私の師匠、三浦寛先生は、鍼灸師柔道整復師の免許を持っていますが、柔道整復の保険を使った治療はしたことがないそうです。

 

なお、橋本先生も昔は保険治療をしていたようですが、ある時保険治療をやめたところ、患者さんが来なくなった、という話も、実際温古堂にいた私の師匠から聞いています。

 

実際、テレビで放映された時は初診料3000円、治療費2000円です。当時の貨幣価値と今の価値を比べると、約二倍だそうですから、温古堂では自費診療で初診で約10000円だったということですね。

 

さて「医道の日本」誌に、三浦先生よりも10年程後に温古堂に勤めていた、宮崎の今村先生の寄稿が載っています。 

 

この記事を三浦先生と実行委員の半蔵さんに教えていただき、早速見てみると、整骨院を宮崎で開業して32年。毎日の手技は温古堂操体法のみで、高い臨床効果を体験しています、と書かれています。

 

これは私も感じていることですが、ここ数年、クライアントの愁訴の原因があきらかに変わってきています。つまり、第一分析(上で言う温古堂操体法)では、間に合わなくなってきているのです。

操体のみならず、例えば他の手技でも、20年前以上は「仙骨だけ調整すれば全身OK」とか「ホールインワン・テクニック」と言って、頸椎1番を調整すれば全身OK」のようなものがありましたが、最近の「心身両方にまたがる愁訴」には間に合わなくなってきているのです。

 

それでも、第一分析(温古堂操体法と記載されている)で高い臨床効果があるというのは、なかなか不思議なことでもあります。

★効果がないわけではなく、勿論有効ではありますが、想定外のクライアントが増えており、第一分析では間に合わないケースが増えているのです。

 

これは、宮崎県で保険のきく整骨院だから、ということも考えられます。
患者さんの愁訴の度合いや年齢層、愁訴の原因などが東京などとは違うのかもしれません。

 

また、三浦先生や私は初診・初回の場合は一時間半くらいはかけますが、整骨院で保険治療で、一人の方に一時間半はかけられないはずです。


また、

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三浦先生のところや、私のところには、近所の人はあまり来ません。

 

保険治療でもないし、完全予約制ですし、看板も出ていません(笑)。
色々調べてみた、あるいはご紹介であるとか、島地勝彦先生のメールマガジンを読んで(三浦先生がシマジ先生の首の痛みを一瞬で解消した話とか「もう三浦先生なしでは生きて行けないカラダになってしまった」というコメントとか)とか「近所にあるから行こう」という感じではいらっしゃらないのが事実です。

 

柔道整復師向けに短時間で矯正を行う、操体の考えをもとにしたという手技療法もありますが、私から見ると「可動域」優先で「感覚優先ではなく」カイロプラクティックの矯正に近いものを感じました。提案者本人から「操体の考えをモトにしているが、操体ではない」と聞いた記憶があります。

 

保険治療で操体を組み入れる場合は、あまり時間をかけられないのです。なので、第一分析(あるいは第一分析に近い矯正法)をやることになるのは当然でしょう。

 

この辺りは、柔道整復で保険治療をなさっている先生方に聞いてみようと思います。
(私の知っている柔道整復の先生は、保険治療をなさっていますが、操体は自費、という方ばかりです)

 

さて、今村時雄先生(今村整骨院)の寄稿ですが、

今回は「正體術と操体法の違い」です。

 

これは読んでいただくと分かるのですが、その比較になっているのが、昭和12年に書かれた「求学忘備録」です。ここに書かれていることを「操体法の特徴」として一覧にされているのです。

昭和12年は、まだ「操体」「操体法」という言葉もありませんし、まだ体系が確立されていたとは言えません。この、昭和12年の原稿を、果たして「操体の定義」としてもいいのか、多少疑問が残ります。むしろ、操体の黎明期に、まだ楽と快の区別が曖昧で、感覚分析よりも運動分析に近い時代のものとして捉えるといいのかもしれません。

 

また、これは当然ではありますが、般若身経でさえ、橋本敬三先生により変化していますし、晩年に「楽と快は違う」と明言されています。昭和12年当時の青年橋本敬三と、昭和も終わりの頃の橋本敬三翁では、考え方や理論などに進化や変化があってもおかしいことではありません。

 

ここには「右重心の体勢の詳細記載あり」「快不快をたずねる」とあります。

が、考えてみると、昭和12年には、まだ、概念はあったものの「操体法」という名称はありませんでしたし、この頃の文章を見ると、橋本敬三先生ご自身、快と楽の違いがまだ明確ではないように思えます。

 

また、当時の動診操法を観ると、比較的快適感覚が聞き分けやすいものがあるのも事実ですが、これは後の第二分析(一つ一つの動きに快の有無をききわける)の原点でしょう。
後に、楽と快を混同した「どちらがきもちいいですか」という、的外れな問いかけがおこりますが、これとはベツモノです。

「その動作のうちどれに一番快感があるか(比較対照はしていない)。またどれくらいの程度に力を入れさせて動かした時に一番具合がよいか、などを見極めて。一番ラクな、そして呼吸が深まるようなところまで持ってこさせて数秒間静かに支え、さて急に瞬間急速脱力させる」(⇒快方向への動き)

という文章が操体法の特徴として、「求学忘備録」から引用されています。

上の赤字を見て頂くと「快」と「ラク」をほぼ同じ意味で使っていることがわかります。そして、これはポイントなのですが、比較対照していません。

この場合は極めて第二分析に近いのです。

 

★私が「的外れ」と言っているのは「快を比較対照する」誘導の方法です。一つ一つの動きに快の有る無しを問いかけるのとは、全く違うということです。

★何回でも言います。快というのは感覚なので「絶対値」であり、簡単に言えば「どれくらいきもちいいか」という問いかけです。比較対照の「どっちがきもちいいか」ではないんです。「どちらが」という問いかけをする場合は「どちらが楽ですか」「どちらが動かしやすいですか」というように、運動分析で問いかける必要があります。

 

★この違いがわからないと、操体を理解することはできません。

 

橋本先生は卒寿のお祝いの席で「楽と快は違う」とおっしゃったそうですし、その頃と昭和12年当時と考え方などが全く同じだったら・・・そんなことはないでしょう。