先週のある「映画」を見に新宿三丁目の映画館に向かった。
それは、2014年に、ラスベガスで行われたKISSのコンサートの「一夜限りのライブ・ビューイング」である。18時〜20時までの120分、日本中で一斉に上映されるというわけだ。
通常彼らが演奏するのは、スタジアム級の大きな会場だが、ラスベガスの比較的小さいホールで演るため、色々な工夫が凝らされたらしい。
私はかれこれ40年近く彼らのファンなのである。
操体より長い(笑)
小学生の頃からロックを聴いていた。
FEN(当時)は、小二のころからだ。
そして、父親がワイドショーのディレクターをやっており、丁度来日したKISSの特集をやったので(当時はまだ成田がなかったので羽田。来日した時は新聞記事にもなったのだ)、ポスターとレコードを貰ってきた。その前から洋楽は聴いていたのだが、私はこれで「アタマをやられた」んである。
以前、師匠と後輩のT君をKISSのライブに連れて行ったが、二人とも何故か印象に残ったのはジーン・シモンズだったらしい(男子はジーンのファンが多い)。
そして、私は昔から「KISSって、ファンのコトをよく考えてるよな」と思っていた。そして、ピンボール・マシンから弁当箱、最近はハローキティのKISS版までと、ビジネスも上手くやるな、と思っていた。
ライブにせよグッズにせよ、ファンのツボを得ているのである。
そしてこれが、KISSのマーケティングを担当しているといってもいい、ジーン・シモンズが書いたビジネス書なのである。
彼は、イスラエルで生まれた。両親はハンガリー生まれのユダヤ人。母親は14歳の時ナチの収容所に入れられ、姉や母(ジーンにとっては伯母と祖母)がガス室に歩いて行くのを見たそうである。
そして、1949年、両親は建国したばかりのイスラエルに移住、ジーンが生まれる。
そして、7歳の時父親が失踪し、少年ジーン(当時はまだジーン・シモンズとは名乗っていなかった)は、8歳の時、母と二人でアメリカに移住するのである。
英語も話せなかった8歳の少年が、どうやってビジネスを成功させたか。これがこの本の内容であるが、驚くべきは、KISS結成時、ジーン・シモンズはしっかり働いていたので、当時2万3000ドルの貯金があったということだ。
このお陰でデビューが順調に進んだといってもいいのだ。
バンドの練習をしながらも、二つの仕事をかけもちしていたのである。これを「リスクの分散」という。
私もこの方法はお薦めする。
自営業は「一つの蛇口」では成り立たない。
さらに言えば、今は鍼灸師でさえ、国家資格を持っていても大変な時代だ。
個人事業、一人社長、そう「ミー・インク」は複数の蛇口が必要なのである。
好きなことで食う前に「できることをしろ」というのはまっとうな意見だ。
できることをしているうちに、好きなことで、ということだ。
ジーンは「一人会社」(つまり、ミー・インク)を作れと言っている。
生活費以外にも余裕があれば「投資せよ」とも言っている。無駄使いするくらいなら、投資せよ、みたいな感じである
この辺りは「なんかしらんけど」的に仕事をしている私にとっては「へえ〜、すごいな」というところもあるし「別に真似しなくてもいいや」というところもあるが、個人事業主には是非読んでいただきたい。
★「なんかしらんけど」心屋本参照
しかし、共通しているのは
「お金の価値を認めること」「稼いだら還元すること」、そして
「自分の価値を自分で認めること」だ。