こちらは慈眼寺の本堂、左手奥に護摩堂があります。
参拝者休憩所に行き、護摩木にお願いごとを書きます。
一つの護摩木に名前と満年齢を書いて、裏にお願いをかくのですが、1本1名一願です。
なんやかんやで合計10本くらい書いて(松岡校長の平癒祈願とか、シマジ先生の健康祈願とか、師匠の健康祈願とか、親の健康祈願とか、健康祈願が多いですね)お納めしました。
新年の護摩祈祷なども面白そうです。なお、節分の祈祷は郵送でもお願いできるそうなので、申込み用紙をもらってきました。
そして、私は、サロン・ド・シマジで買ったうでわ念珠のヒモがほどけてしまったので、新しいのをもう一つ購入。
時計を見ると、そろそろ集合時間の12時50分、私は整理券を握りしめて護摩堂の方へ。護摩堂の中には護摩壇が設けられ、天井には大きな黒い排煙機がついています。
正面には金剛蔵王権現と従者の童子が。
およそ150名は護摩堂に入れるのですが、番号が後の人は、護摩堂の廊下から立ち見することになります(なのでやはり整理券はあったほうがよし)。
★勿論護摩祈祷中の写真録画などは禁止です。
こういうのは覚えておくというよりも、体験、あるいはその場にいることが大事です。
私は丁度通路脇で、多分大阿闍梨をの背中を左から見る感じのところに座りました。
まず、担当の方から、地震や災害時の時の説明があり、また、火が燃え上がるまでの過程は、儀式の中でも一番大事なところであるということ、護摩祈祷の最中は、般若心経を唱えるので、唱えられる人は唱えて下さい、などなど。
コンサートが始まるちょっと前のような、なんだか心が躍る?一瞬です。
護摩壇の方を向いて待っていると、カラン、コロンと下駄の音がします。
白い衣を纏った大阿闍梨が護摩堂に入って来ました。
法螺貝の音と太鼓が鳴り響きます。
お話は伺ったことはありますが、大阿闍梨のご祈祷に参加するのは初めてだったのですが(以前も、いい声だなと思っていたのですが)、
大阿闍梨、声がとてもいいです。
ダミ声の読経、あれはあれで味があって好きですが、うたのようであるというか、思わず聞き入ってしまうようないい声でした。
それから、太鼓と法螺貝担当の従者の方のハモりがあったりして、音曲的にも「おお!」という感じ。
さらに、炎が燃え上がりました。
炎の向こうに、青黒いお顔の仏様が見えます。金剛蔵王権現は、インドに起源を持たない、日本独自のものだそうですが、お顔が青黒いのは、オレンジ色の炎をの対比なのかもしれません。
大阿闍梨が白い衣の下で、印を組むのが見えます。透けて何となく見えるのが、なんとも言えません(印好き)。当然ではありますが、専門家が結ぶ印は迫力があります。
そして護摩木をまとめて取り出し、剣で切る動作をしながら、炎の中に投げ入れて行きます。
太鼓の音と般若心経の読経は続きます。
太鼓と読経の独特のリズムで、空間が「異なもの」になっていきます。
私は視覚的にゆらめく炎の向こうに蔵王権現のお姿を見ているわけですが、本当に炎が生きているように見えます。
私の椅子からは、大阿闍梨の後ろ姿が見えます。
動作の一つ一つが、それぞれの作法に則っているのでしょう。
とても美しい動きです。
身体の研究家としては非常に興味深いものがあります。
そうしているうちに、護摩木は次々と炎の中に消えてゆきました。