操体法大辞典

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仏教と私(5)

5月27日は、本郷三丁目東京大学仏教青年会館(入塾式をしたところ)で、スクーリングが開催されました。

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会場の前の待合スペースから、英語が聞こえました。

座禅体験もやっているんですね。

 

大乗仏教論(東洋大学教授 渡辺章悟先生)
日本仏教史(東京大学大学院教授 蓑輪顕量先生)
仏教概論(立正大学法華文化研究所研究員 佐野靖夫先生)

特別講義 大洞龍明塾長

 

というスケジュールです。

 

私は「ブッダの時代の仏教」がいまいち読み込めず(日本仏教史は好きなので結構アタマに入るのですが)、前々日に、手塚治虫の「ブッダ」をKindleで一気読みしました。

 

ブッダ 14

ブッダ 14

 

 手塚先生に感謝。。

 

それぞれの先生のお話はとても興味深いものでしたが、佐野靖夫先生のお話で、とても興味深いものがありました。

それは、関東と関西の違いです。

佐野先生の檀家の方が関西地方に引っ越して間もなくお母様が亡くなられ、佐野先生は葬儀のため関西地方に出向かれたそうなのです。


関東と関西では火葬場でのお骨の拾い方が違うのだそうです。

 

私も父の骨を拾いましたが、関東では、最後に箒とちり取りで、骨と灰を全部骨壺に入れます。

 

ところが、関西は喉仏と頭蓋骨くらいなのだそうで、骨壺も関東に比べると小さいのだそうです。

 

★関西の人に聞いてみたら確かにそうらしいです
★関東にしてみれば「全部骨壺に入れないの?」関西の人は「箒とちり取りで全部入れるの?」という感じです。これはどちらが正しいか正しくないかではなく、風習の問題なのです。

 

世の中、知らないことだらけです。

 

そして、最後は大洞龍明塾長の講義がありました。

大洞塾長は、敦煌の洞窟の壁画の補修事業の支援もしており、敦煌の洞窟画と、中国の仏教の法難の(廃仏毀釈)の話をされました。

 

明治政府の神道化政策

① 明治元年 神仏判然

日本へ仏教が入って来て以来の、神仏混淆を廃する
寺院を廃棄統合する(富山藩では370寺が8宗寺に統合される)
同時にキリスト教も禁止する(五榜の表示 第三札)
発布翌月には浦上のキリシタンを13名処刑

 

② 明治3年「大教宣布の詔」

「惟神の大道を宣布すべし」

③ 明治4年 上知例
境内地以外の領地が没収される→寺院は経済的に困窮

④ 明治5年 教導職設置

仏教僧侶も国家神道の宣布を強制される

⑤ 明治6年 大教院設立

芝増上寺に開院 →阿弥陀仏を撤去して神道の神々を祀り、注連縄をはり、山門前には鳥居を設置。各宗管長に御幣を持たせ神式を行わせる(本願寺僧侶の活動により明治8年解散

  

結構ひどいことをしていますね。。。

 

(廃仏のおさまり)

岩倉具視使節団(明治4年11月~5年9月)、ヨーロッパ各所でキリスト教弾圧の批判を受ける→条約改正に宗教の自由が前提条件とされる

島地黙雷という本願寺僧侶が海外視察中に知った、欧米の宗教のあり方について、政府に対し、政教分離・信教の自由の建白書を送る

 

明治維新の主体者である長州藩下級武士は、実は熱心な安芸門徒門徒というのは浄土真宗の言葉です)、心情的に仏教を信仰していた。

 

ということがあり、廃仏が治まったのだそうです。

 

わず8年くらいの間に起こったことですが、大変なことがあったのだなと分かります。

 

こういうのを知ってから「密教僧秋月慈童の秘儀」を読み返すとまた味わい深かったりします・・。

 

 

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また、大洞塾長の敦煌の壁画のお話も興味深かったです。
何度もの奇跡に恵まれて、あの敦煌の洞窟の画は残ってきたんですね。