先日、伝統療法カンファレンス向けのチラシを書いており、そのドラフトを三浦先生に見せたところ「操体と操体法の違い」という箇所を、修正したほうがいいかも、というお話がありました。
意外とこの違いが分かっている人はいません。
これは痛感するのですが、多くの方(特に、色々な療法をやっていらっしゃるような場合)は、「操体」(橋本敬三先生の哲学を含めたもの)ではなく、「操体法」、つまり、テクニックややり方を知りたいのです。
なので橋本敬三先生の名前を知らない方もいらっしゃったりします(実話)。
これはいたしかたないことかもしれませんが「操体法」をやるには、「操体」の理論や、バックグラウンド、歴史、生命観や死生観、「救いと報い」を知っていたほうが、
豊かな臨床ができるのではないかと。
これは「深み」です。
操体は一種のアートですから(手技)、バックグラウンドと深みというのは大切ですし、それは臨床にも反映されてきます。
操体法東京研究会に藝術部があるのもそのためです。
骨董の勉強をする場合、一番大事なのは「ホンモノを見ること」だそうです。
ホンモノをしっかり見つづけることによって、目が肥え、ニセモノがわかるのです。
また、人間は感情を持った生命ですから、様々なアートなどに触れて、施術者自身の感性を磨くことも重要なのです。
感性が鈍い臨床家が、人の心とカラダをケアすることができるでしょうか?
わたしはそうは思いません。
以前ある方(整体関係)の方がレッスンに来られたことがあります。
私は「操体」と「操体法」は、気をつけて使い分けていますし、その違いはしっかり伝えたのですが、
その方は「操体法」という言葉をずっとお使いになっていました。
私が「その場合は、操体法、ではなくて、操体、が妥当ですよ」と伝えても、操体法、という言葉を使うのです。
これは、多分その方のなかで「操体法」という言葉が、固定化されているのだな、と気がつきました。つまり、口癖になっているのです。
この方が「操体」と「操体法」を使い分けることができるようになれば、治療家として、もっとハイレベルのところに行けるのでしょう。
これが、言葉の統制、です。
私達がとても大事にしているのが「言葉」です。
「言葉を統制できるものが、賢者である」と言います。
これは、言いたいことも言わずに、我慢することではありません。口から発する言葉を、自分で統制できる、ということです。
あと、「操体」を、博多弁の「そうたい」と同じ発音をするのと、「そう↑たいほう-」と soutai ho と、その後にUの字がはいる発音をする方をたまにお見かけしますが、個人的にはUは入らない sotaiという発音で言っていただきたいなと。
昨年、伝統療法カンファレンスで、操体の説明をなさった方、関西というか中国地方の方だったのですが、「そうたい」(博多弁のそうたい、と同じ発音)をなさっていたので、失礼を承知で、訂正させていただきました。
ごめんなさい。
東北(発祥の地)や、東京ではそうやって発音します。べつに押しつけるつもりはないのですが、なんだかベツモノに聞こえてしまったりします。
また、埼玉の大学で操体を指導しているところがあるそうですが、指導されている方が、関西の方だったようで、埼玉の方々が「そうたい」(博多弁のそうたい、と同じ発音)でおっしゃっていたのが「あれ??」という感じでした。
そして、思うのがsoutaiとして認識している場合と、sotaiと認識している場合、捉え方が全く違うのかも。
これは、同じ漢字の「操体」でも、関西と関東以北では、捉え方が全く違うのと、偶然にも一致します。
英語表記は、sotai です。
でも soutai が好きな人は使ってもいいと思います。自己責任ですから。
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