操体法東京研究会は、1978年に設立されました。
橋本敬三先生は「定期的な講習」はされていませんでしたが、こちらの講習の顧問(現在は名誉永代顧問)でした。
ご存命中は、講習が終わると、仙台から受講生にメッセージを送って下さったりしたそうです。
また、私は何人かの先輩から、仙台に直接行って、操体を教えて欲しいと橋本先生に頼んだら「東京に弟子のミウラがいるから、そっちに行け」を言われたと聞いています(なので、三浦先生よりも年上の受講生が結構いたわけです)。
最近は「操体(あるいは操体法)の講習」をやっているところは結構あるようですが、その方が習ったセンセイというのは、三浦先生だったりします。
それはさておき、「操体用語解説集」というサイトを作りました。
「言葉は運命のハンドルである」「はじめに言葉ありき」ではありませんが、操体の臨床には「言葉を統制する」ことが必要であると思っているからです。
私が「操体における言葉の重要性」を痛感した出来事がありました。
「講習で使う言葉の誘導は難しいから、自分なりにアレンジしてもいいか」という人がいたのです。
「あちゃ~」です。
「誘導」で使っている言葉は、磨き抜かれて選び抜かれた言葉です。
「自己流にアレンジする」というのは、その磨き抜かれた組み立てを壊すことになります。
そして、それは本人の「アタマ」に問いかける言葉ではなく「からだ」に問いかける言葉なので、独特の言い回しがあります。
また、最初、慣れないと「大きな声で、相手が迷いなく(動き)を表現できるように」誘導するのは、恥ずかしいのです。なので自己流にしたくなるのかも。
勿論、自己流にアレンジしてもいいのですが、それはまず「完コピ」後です。
この時、私の中には「最初は完コピ、アレンジはその次」という式が成り立ちました。
なお、この「完コピ」にはバージョンが二つあります。
一つは、講習会で使う言い回し。もう一つは、操体用語を全く知らない一般の人向けの言い回しです。
講習会で使う言い回しは、解剖学用語を用いたものです。
例えば、全くの操体初心者のクライアントに「右手関節を外旋して」と言っても「へ?」と言われるか「難しくて何を言ってるかわからない」と言われるのがオチです。
私もそうでしたが「講習で使う言い回し」と「実際の臨床で使う言い回し」は、しっかり区別していました。
「講習用語」を完コピしておかないと、「実際の言い回し」が追いつかないのです。
講習を受けている時、並行して臨床を行っているかどうかも大事です。
並行して臨床を行っていないと「講習での言い回し」と「実際の臨床での言い回し」が同じになってしまいます。
講習では、受講生はわかっているので「動いてくれる」し「きもちよさもききわけてくれ」ます。
それが普通で、あ、言葉の誘導って簡単なんだ、と思っていると、実際にクライアントを診た時大変です。
私はこの二面性を学ぶことができました。
★講習の最中に臨床の経験を積めない場合は、私が補講で「視診触診講座」をやっています。こちらは「超臨床主義」で、実践的にやっています。
また「アタマ」に問いかけるのではなく「からだ」に問いかけるという「体感語」と、「からだに問いかけるというやり方」も、学ぶことができました。
「からだに問いかける方法」とは一体なんぞや、というと「間」と「操者と被験者のからだとの双方向性」です。
言葉の誘導も、暗記が得意な人などは、立て板に水のようにすらすら言葉が出ることがありますが、それではダメなんです。
一方的に話しまくる営業マンではダメで、相手の間を確認し、答えを聞き、納得してもらって、という「操者と被験者のからだ」の双方向性が必要なのです。
これは、言葉にするのは難しいのですが、カウンセラーの傾聴とかにも通じてくるものがあるような気がします。
私達はこういうことを学ぶのです。
なので、自分の今までのからだのクセや、言葉のクセなどを一度解体して再構築することが必要になってきます。それが、操体臨床家への道です。
え~っ、難しそうって思いますか?
実は「呼吸の使い方」とか「○○の使い方」とか、その辺りが上手く行くような補助手段もしっかりあるんです。
私自身も「介助補助をずっとやってるな~」「連動をずっとやってるな~」「言葉の誘導覚えよう」という感じで気長にやっていましたが、「解除補助と言葉の誘導と連動」が、パズルがはまるように立体的に理解できた瞬間がありました。
その時の感動といったらありません。
最近の講習は、私が10年かけて習得したことを、二年くらいで指導しています。
それだけ、指導ノウハウもすごくなっているのと、若手の准指導者達が優秀であることも、その理由の一つです。