先週から、中途で一人受講生が参加している。
(新ターム自体は、7月から始まっている)
元々私の「施術+ベーシック講習」を受けての参加だ。この時は三浦先生にも手をかしていただいた。
当然だが、まだ「操体的なからだ」にはなっていない。
例えば腰を反らせる癖がついているとか、側屈せずに捻転するとか。
まあ、これは当然のことであり、これから時間をかけて「操体的なからだ」を作っていくのである。
操体は「やり方を習えばできるようになり、患者さんをみることができる」というわけではない。やり方を習う前に、操体的な身のこなしを身につける必要がある。
その身のこなし方(作法)を体得しているので、操体の臨床家は、からだを壊さないのだ。
効果が出ないとか、やっぱり操体は効かないとか言っている人(元々操体を勉強していた)達もいるが、それは「操体的なからだ」になっておらず、テクニックに走っているからだろうと思う。
午前中は、「足趾の操法集中講座」だったのだが、そのうち二人は去年から講習を受けているメンバーだ。
改めて見ると、操体的なからだになっている。身のこなし方やさばき方が、あきらかに操体的になっている。
連続して一年もやっていると、やはり「操体的なからだ」になってきて「作法」が身についてくるのだ。
そして、やはり予想通り??「変な患者さん」「変なクライアント」がやってくるのだ。
勉強して開業したりすると、大抵は「手強いクライアント」とか「困った人」とか「痛い痛いを連発する人」とか「感覚が分からない人」とか、色々な人が来るようになる。
これは、臨床家の一つの通過儀礼のようなもので、そういう「手強い」クライアントと出会い、経験を積むことはやはり「体験しておいたほうがいいのだ。
特に最近は、講習のレベルというかメソッドが変わり、私が5年かかったところを、一年で進んだりしている。すごいことだと思う。
操体法東京研究会は、「操体のプロ」「操体の臨床家、操体の専門家」を養成している。それは、テクニックを学ぶだけではなく、生き方の勉強をするところでもある。
ニャンコ先生。。