午後は引き続き「第五ステージ」と「新創生期」の合同レッスン。
今は何と毎週日曜月4回講習をやっている。
最近は、改めて「動き」「重心」を集中してやっている。
昔の月2回講習に比べると、倍量の練習時間だ。また、殆どの受講生は午前中の「視診触診」から参加しているので、まるまる一日参加という次第。
そして今日は「足関節の外反、内反」に続き「膝の開脚」。動きはさほど大きくないが、全身に動きが伝わるものだ。
午後は引き続き「第五ステージ」と「新創生期」の合同レッスン。
今は何と毎週日曜月4回講習をやっている。
最近は、改めて「動き」「重心」を集中してやっている。
昔の月2回講習に比べると、倍量の練習時間だ。また、殆どの受講生は午前中の「視診触診」から参加しているので、まるまる一日参加という次第。
そして今日は「足関節の外反、内反」に続き「膝の開脚」。動きはさほど大きくないが、全身に動きが伝わるものだ。
今日の午前中は「視診触診講座」。
「机上の理論」「講習内での知ってる同志によるなあなあ」を極力除外し、操体初心者や動きに慣れていない人を想定している。
伏臥位膝二分の一屈曲位による、足関節の外転、内転における足底、足背への介助補助を最初にやる。
いわゆる「カエル」操法(我々はカエルとは言わないが)は、殆どの場合、被験者の足首を握っているが、膝を引き上げるいう動きは、もともと足関節の外転と、それに伴う膝の腋窩挙上の動きから成っている。
単に膝を引き上げるのでは、動きが平面的になるが、足背、足底からの動きを用いると、立体的な動きを誘発することができる。
そしてこの介助法補助法、私が修業時代、なかなかできなくて泣かされたヤツでもある。
見た目は簡単そうなのだが、実際やってみると習得にはやはり練習が必要。
そして後半は、足首の古い捻挫に、手関節からアプローチする方法。患部に触れない。
これは実際の臨床(捻挫)にとても有効。
久々に撮診をやる。
最後は被験者が「背中のスジを痛めている」というので、伏臥位で大腿部からアプローチしてみる。最後は、頸椎の調整。
今、映画を観に行くと、必ずやっているのが「ゴースト・イン・ザ・シェル」の予告編。
私は元のヤツも結構好きなのと、スカーレット・ヨハンソンが好きなので、結構愉しみにしているのであった。
それはさておき、
「そういえば、ゴースト・イン・ザ・シェル、やるよね」
「スカヨハだよね(♪)」
「あれ?何だっけ?スカヨハが出てて、お腹に変な薬を埋め込まれて、人類の起源にまでもどっちゃうような映画??」
「う~ん、何だっけ?」
「え~っと???」
と、アタマをひねりつつ、代々木上原駅にむかっていたところ、目の前にこんなお店が!
「そうだ!”Lucy"だ!」
と、タイトルを思い出したのでした。
すごい偶然です。
東京に住んでいて、いいなぁと思うのは、美術館とか映画とか、アートを体験する場所が多いことと、やはり博物館がある!ということでしょう。
幼稚園の頃、父がよく上野の国立科学博物館(恐竜展とか)に連れて行ってくれまして、未だにあそこになる振り子時計とか見ると懐かしくなります。
小さい頃から博物館とか水族館によく連れて行ってもらったので、今でも好きなのかもしれません。
最近はすっかり綺麗に改装されて、見やすくなりましたね。
藤原三代のミイラとか、小さい時はミイラ怖かったんですが、最近は平気?です。
太田記念美術館は、ラフォーレ原宿の裏にある、浮世絵専門の美術館です。浮世絵好きなので、年間パスも持ってますが、なかなかいい企画展示が多いです。
現在開催中の春日大社。
これは明日にでも行こうかと考えています。金曜は遅くまでやってるから便利ですね。
来年度は年間パスを買った方がいいかも、と思っています。年間パス、キョーハクとかキューハクでも使えるらしい。
草間彌生先生の集大成ともいえる大規模な展覧会。
暁斎展は去年確か三井三号館でもやってましたが、今回はゴールドマン・コレクションです。Bunkamuraは昨年年初の国芳国貞展もそうですが、なかなか魅力的なタイトルをつけますね。
そして、ミュシャ展は確か、数年前に森美術館でもやりましたが、ミュシャ好きなので、行きます。
これもたのしみです。
そして、東京藝大の美術館では「雪村展」(ゆきむら、ではなくせっそん、です)が。戦国時代に活躍した画家です。福島県郡山には、雪村が晩年活動の場とした、「雪村庵」があります。私の妹弟子、S嬢の実家の近くらしいです。
「マリアンヌ」。見ました。
原題 "Allied" 。同盟しているとか連合国側のとか、結びついているとか、そういう意味です。日本語のタイトルはやはり工夫してつけたのでしょう。
ブラピ久々の主演作、オープニングはエキゾチックなフランス領モロッコ、カサブランカから始まり、雨の多いロンドンへ。
ラストはどうなるか書きませんので。
ブラピはさておき、マリアンヌ役のマリオン・コティヤールですが、印象深いのは、ダニエル・デイ・ルイス主演の"NINE"に登場する、主人公の映画監督の妻の役です。
個人的に"NINE"ってミュージカルなんですが、登場する女優さんが豪華すぎて素晴らしい映画です。サントラ持ってるくらいです。
年末年始はあまり面白そうな映画がなかったのですが、2月に入って「ミス・ペレグリン」とか、どばっと公開が始まりました。
高校大学時代は名画座で月に10本から20本は映画を観ていたのですが、最近は名画座がなくなったし、三茶に2軒あった名画座もクローズしてしまったので、ちょっと寂しいのですが、水曜はレディスデーで安いし、6本見ると1本タダだし(ポイントカード)。
個人的には「スノーデン」を見逃したくないのと、
たまにはこういうハッピーなヤツを見ようとか、
ルネッサンス時代のスペインにタイムスリップしちゃうとか。
足趾の操法®の講習をやっている。
先の「二ミリ違い」ではないが、足の指を保持する場合も、たった数ミリの違いで、被験者が受ける感覚は全く違ってくる。
また「知る悲しみ」というヤツで(操体法東京研究会関係者は、東京操体フォーラム最高顧問であり、操体の理解者である、島地勝彦先生の名著 ↓ は、必ず読んでおくことをオススメする)
一度、最高のモノを味わってしまったら、ランクを落とせないということだ。
葉巻もお酒もオトコもオンナもそうなのであるよ。
例えば操体も、第三分析(皮膚へのアプローチ、渦状波®)などで、「無意識に直結するような快」を味わってしまうと、第一分析の「ラクなほうに動かして瞬間急速脱力」の「ラク」では、納得できなくなるのと同じだ。
また、ある受講生が「私のヘタクソな足趾でも、きもちいいと言ってくれる人がいる」と言っていたが、もし、その方が「最高にキモチイイ足趾の操法」を受けてしまったら、「ヘタクソ」がばれる。
「○○センセイの足趾じゃなきゃ、イヤだ!」と言われるくらいになって欲しいのである。
さて「残念」というのは、何か。
足趾の操法には「まな板」(我々の用語です)というものがある。
「まな板を制するものは足趾を制す」と言ってもいい。
私の足趾の講習も、優秀なアシスタントに恵まれているお陰で、言語化というか、自分がなかなか言葉にできないアクションを「言葉に落として」もらっている。なので
「あ、これはこうやって伝えればいいのか」というのが明確になってきており、進捗の速度が速くなっているのだ(足趾のインストラクターの、ダブルS女史達、T君ありがとうございます)。
「言語化」したお陰で「まな板」の重要性がさらにわかってきた。
まな板、というのは、示指のことだ。示指と拇指をどう使うかということなのだ。
まな板は一ミリ外してもよくない。
はずすと「残念!」と言われる。一ミリくらいで残念と言われてしまうのか、と思うかもしれないが、被験者の「感覚」は全く違うハズである。
受け手を甘く見てはいけない。
そして、腕を壊す使い方というのがある。これも以前は体験的に「こういうヤツが腕とか肩を壊すよね」と思っていたのが「あ、ここを使うと、確実に腕とか肩とか、下手すると手首も壊すよね」というポイントが絞られてきたのである。
★「一度ぶっ壊さないとわからない」という時代もあったが、あんまり壊したくないものです
さて、この「一ミリ違う」で思い出すのが、私が最初に勤めていた会社にいた、北欧人の上司である。
私はデンマークの会社にいたのだが、上司のV氏は、ちょっとドイツっぽいというか、ヴァイキングっぽい、クマさんのような人であった。
彼はとにかく大きいので、当然手も大きい。普通の日本人用の電卓だと、隣のキーまで押してしまうので、お国から持ってきた巨大な電卓を使っていたっけ。
私は自発的にはテレビを見ない。といっても、家人が観ていれば一緒にみることもある。
たままた「探検バクモン」で、薬師寺の「東塔」の修理の模様をやっていた。
名物和尚、高田好胤管主の「修学旅行生」向けの説法も、なんだか聞いた記憶がある(中学の修学旅行は、法隆寺とか興福寺とか、東大寺で某学会だった同級生が、大仏殿に入りたくないと担任に言って、却下されたことはよく覚えている)。
今回、東塔の脊柱にあたる柱を含め、1300年ぶりの解体工事なのだが、メインの柱の中が、シロアリに食われていて空洞化していた。放置しておいたら、東塔が倒れかねない。
その柱だが、古い材木をなるべく活かすために、ミリ単位で削って新しい木材をはめ込むというすごいワザを使っている。
「ミリ単位」で連想するのは「介助・補助」である。
木組みの場合、勿論ミリ単位で正確に削らなければ部品がはまらないし、摩擦によって部品を接続することはできない。ミリ単位というかもっと細かい単位だろう。
人間の手、あるいは足に介助・補助を与える、かける場合も実はミリ単位だし、足趾の操法®の指導者クラスであれば、ミリ単位の違いが、被験者に与える満足感、快感度が全く違ってくることも知っているだろう。
★例えば「足趾の操法®」だが、「まな板がはまっているかどうか」で、快感度が全くちがってくる。
※これについてはまた後程。
この、介助法、補助法をじっくりみっちりしっかりやるのが、操体法東京研究会の定例講習であり、補講の「視診触診」講座である。
★そしてこの「補講」の「視診触診」、苦手であまりやりたくないのは分からないでもないのだが「視診触診の基礎」ができていないとか、人に触り慣れていないとか、必要な受講生に限って受けていない。こちらはいつでもwelcomeなのだが。
それはさておき、
以前、ある古武術系の治療法の勉強会に参加したことがある。
驚いたのは、先生が「やってみせて」「はい。やってみて」という教え方だったことだ。まあ、伝統芸能や古武術ならば、そうかもしれない。
「見て盗め」とか「見て覚えろ」だから。
それも結構危険なワザだったりした。
慣れているプロ同士ならば、多少危険でもなんとかなるし、また、名人の先生がいるので、怪我があっても何とかなるのかもしれないが。。
(ちなみに私は『ハタケヤマさんは細いから、骨を折るといけないから、ここは見学していてください』と言われたりした。危険なのか?)
それを、初心者が見よう見まねでやるわけなのだ。
★なお、その先生は「どこに触れるか」などにはとても詳しい。
しかし、昔の方なので「どうやってどこに触れるか」までは教えないのだ。
それはそれでよくわかる。分かる人間にしか伝わらないから。いわゆる「一子相伝」の教え方なのである。
優秀なヤツだけ残すには、本当はこれがいいのだ。
★★しかし、今の時代にそれをやっていたら、時間がかかって仕方ないし、それでなくとも伝えにくいので、やはり指導法には現代的な工夫が必要だ。後継者を育てるには、そのあたりも考えなければならない。
★★なお、一番合理的な「技術伝承」を研究した先生がいたそうだが、何でも一番効率がいいのが、古典的な徒弟制度に、ネットワークをプラスすることらしい。
(おお、これって操体法東京研究会がやってることだ!)
★ちなみに、その武術の講習で、仙腸関節の調整的なものの練習台になったら、首が動かなくなった(笑)。あとで師匠に治療してもらったが。改めて、仙腸関節と首って繋がってるんだなー、と
なお私はクセで「どういうふうに持っているか」「手の形は」「関節にはまっているか」などを見てしまう。
★例えば、指2本を使う介助法で、指3本使っていたりすると、二十人くらいいても、発見することができるのだ。いやな特技だな!
というか、手関節や足関節への介助補助は、「関節技」の練習(正確には、皮膚を使っており、関節技よりも繊細)なのだ。
ちなみにこれは、講習の際の師匠(三浦寛先生)の手元である。
スタンスとして、伏臥位の被験者に対し「両膝の開脚」をさせており、その際、両足の足底に片手で介助を与えている。
写真だけ見ると、とても簡単に見えるのだが、実は難易度は非常に高い。
しかし、練習すればできる。できるようになるまでに挫折するのもいるけれど。
★また、伝統芸能もそうですよ、と言われたが、なまじっか器用で、最初からちょっとはできるので、練習をサボるのもいる。
そういう輩は、あとで壁にぶつかるのだ。
友人のご子息が手首を怪我した(捻挫)とのことで、捻挫とか骨折について思い出す。
今は「骨にヒビが入った」とは言わず、ヒビが入ったら「骨折」。
肋骨にヒビが入ったとか、足の小指を箪笥の角にぶつけてヒビが入ったというのは、割と聞く話だし、かといって肋骨にヒビが入っても、コルセットや湿布を貼りながら「時間薬」(治るまで待つ)というのが殆どのようだ。
そして、もっと言えば、皆さん、捻挫などで操体を受けるとは思っていないのだ。
ある操体の本(N文協から出ているシリーズ)に、1箇所だけ「捻挫」への対応が書いてあるが、操体というよりは「古典的な骨接ぎの手法」で、素人が自分でやるのはまず無理だし(呼吸に合わせて骨を操作、なんてプロの仕事)危険だと思われる。
これは、患部を直接操作する方法だ。
まあ、痛みがないほうに動かして、瞬間急速脱力という手もないことはない。私も昔結構捻挫には当たったので、それはわかる。しかし、この場合のデメリットは、動診時、被験者に痛みを与える可能性が高いということだ。そして、回数を重ねるのは避けたいということもある。
★以前、膝関節の捻挫で、膝が腫れ上がっているクライアント(なんと関西からわざわざ来て下さった)に、口頭での指示で「痛みのある方向から痛くない方に逃げる」というのを試してもらったら(本人によく感覚を確認させて、指示に合わせてやってもらったのが良かったのかも)、スコン!と世にも爽快な音がして「あれ??痛くない」ということになり、本人はにこにこ笑いながらスタスタあるいて帰ったということもある。
まあ、これは半分以上は運が良かったのだと思っている。
★★操体ならば「患部に触れずに遠隔的に操作ができる」のだ。また、骨折したり怪我しているところを触るのは、つとめて避けたいところだが、これも可能である。
★★★骨折して固定しているところに触れずに調整ができるということだ。
何故、患部に触れずに遠隔的に操作・操法が可能かというと、それは、我々のアタマの中には「連動」のパターンが入っているから。
下記3冊は、医道の日本社から出版されている「連動系3冊」である。
ここでは末端の手関節、足関節からの連動が紹介されている。
★当時は「連動はみんな違う」という反論もあったが、紹介されている「連動」とは、ボディに歪みがない、自然体の時に派生するものであり、症状疾患を抱えているクライアント(患者)は、ボディに歪みを有しているので「自然な連動」が起こらず「不自然な連動」が起こるのは、当然のことなのである。
★この辺りの理論を明確にせず(歪みがある場合は、自然な連動が起こらず、不自然な連動が起こり、ボディの歪みが正されると、不自然な連動は「自然な連動」に戻るということ)「手を外に捻るとこう動く」という、決めつけでやっているところもあるようだが、ここはちゃんと掴んでおいていただきたいところである。
そして「操体臨床への道しるべ」、これが出たのが2007年だから、既に10年経っている。
10年経って、三浦寛がまだ同じ事をやっているとお思いだろうか?
その通り。
全身形態への連動のパターンや見方は、10年の間に進化している。
これが「第五分析」である。
勿論、これらの「連動3冊」が理解できている、ということがベースとなっているが、私自身、第五分析の全貌を目の当たりにした時は
「驚愕」した(笑)。
しかし、我々東京操体フォーラムのメンバーの凄いところは「その変化・進化についていく」というところなのだ。
★環境の変化への素早い対応が、生き残りに繋がるのだ
その一端をご紹介できるのが、4月29日開催の「2017年春季東京操体フォーラム」(なんと三浦・畠山体制で15年目に突入)
そして、GWには三浦と畠山による集中講座も開催致予定。
どうぞよろしく。
これら「連動3冊」は、操体関係者よりも(操体関係者の多くは「連動は皆違う」と言う意見だったようですが、そうではないことは明確です)、トレーナーや、スポーツ関係者、武術関係者が興味を持ったそうです。
操体法入門―からだの連動のしくみがわかる 手関節からのアプローチ