操体法大辞典

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学者は平気でウソをつく

 

学者は平気でウソをつく (新潮新書)

学者は平気でウソをつく (新潮新書)

 

 オビには「信じる者はバカを見る!」とある。

著者は精神科医でもある。

 

医学やスポーツの世界では、少し前までの常識が変わることがある。

懐かしいところでは、私が子どもの頃は、運動中は水を飲むなといわれていた。
今は水分補給は常識である。

 

先日、救急救命の講義で聞いたところ、医学とスポーツの分野が手を組んでいるようで、最近では「アキレス腱を伸ばす」というのは、ふくらはぎを痛めつけているだけだということが分かったらしい。

それならば、アキレス腱を整えるにはどうすればいいのかというと、マサイ族の男性のように、ジャンプするのがいいんだそうである。

 

日本の「学者」の世界は、新しいことを余り受け入れたがらない。
斬新なアイディアなどは、大抵つぶされてしまうらしい。

 

これを考えると、
「運動中に水を飲んではいけない」ということを

「創始者がその当時言っていたから」と言って、頑なに守り続けている「操体をやっている方々」を思い出す。

 

ちなみに、面白いと思ったのは、フロイトの話である。

フロイト、実は長い学者研究者生活の中で、色々考え方を変えているのである。つまり若い頃と熟年期では、考え方が変わっているのである。

まあ、これは「真理を追究する学者」ならば当然のことだ。

しかし、日本では、「フロイトの初期の理論」が主流であり、その後のより進化した理論はあまりメジャーではないらしい。

 

つまり、フロイトの長い研究生活の一部(それも初期のもの)を「それがフロイトの全て」のように研究しているらしいのである。

 

フロイトにせよ、若いころと研究や実績を積んでからの理論が変わるのは当然だ。

 

また、私も第一分析時代に本を書いているが、今現在「ハタケヤマは今もあのやり方しかやっていないに違いない」と言われると困る。

 

そして、私はバツイチであるが「あの時結婚していたから、今でも元ダンナ様を愛しているんですよね」と言われても困る(笑)。今でも愛していないから一緒にいないのだ(笑)。それと同じであるし、そうじゃないから離婚したんだっつーの(笑)

要は「あの時は結婚していたから云々」(今はそうではない)ということを
長年にわたってねちねちと言い続けるようなものだ。

こういう人には「今は違うんですが」と言ってもまず通じない。


「あの時。。。。」という話になる。過去の一部分をほじくり返して、そこばかり
つついているのと同じなのである。


過去の事実ではあるけれど、状況は変わるのにね。

 

「万病を治せる妙療法」が出版された時(これは、書き下ろしではなく、現代農業誌に連載されていたものを編集したものである)の理論ややり方と、「楽と快は違う」とおっしゃった時の理論ややり方は、進化したり変わったりして当然なのだ。

 

一方、全国大会で三浦先生が「快と楽の違い」について発表した際、川上先生は「三浦、楽も快も同じだろ!」と公衆の面前で三浦先生を叱咤したそうだが、

確か長野の大会(私はこの回に参加している)で、川上先生は「操体はやっぱり快です」と断言しておられた。

 

【楽も快も同じだろ!】→【操体はやっぱり快です】に変化するのだ。

 

また、私は10年以上前に

「今、皮膚へのアプローチ(渦状波®)をバカにしているとか、あんなことあるわけない、と言っている操体関係者は、何年か経ったら、操体は皮膚だ、と言い出すに違いない」とブログに書いている。

 

実際、操体の全国大会に出るような方が「皮膚の操体マッサージ」とか言っている。

 

「万病」を守っている方もいるが、
実際にクライアントを診ているとか、現場にいる方は、あきらかに「快」と「皮膚」への興味を示しているのである。

しかし、

「勉強したいから教えて下さい」と、謙虚に学びにはこない。

勉強したければ、勉強すればいいのに、と思う。

 

せいぜい「どちらがきもちいいですか」(←この問いかけのどこがおかしいか分からない人は、きもちいい、という言葉を使わずに「楽」という言葉を使い続けたほうがいい)と、第一分析と第二分析の区別のついていない「迷走分析」をすることになるか、言葉をなんとなく変えてやるか、なのだ。

刺激にならない皮膚への接触ではなく、刺激を与えて「捻る、引っ張る」のように、
殆ど「整膚」と混同している場合もある。


やっぱり皮膚はすごい、と、認めればいいのに、素直に認めないか、「皮膚の操体ウンタラ」と、似たような名称を使って、マッサージや皮膚への刺激をやっている。

こういう場合、まず操体界で、皮膚へのアプローチを体系づけたのは、師匠、三浦寛であることは無視し、さも「皮膚へのアプローチ」は、以前からあったかのように振る舞い、私がケチをつけると「操体はみんなのもの」と言って逃げるのである。

これは皮膚に限ったことではない。

「快」に対しても同様だ。

過去の一部分しか見ないとか、過去の一部分をほじくり返してねちねち言ってくるの、いい加減にやめたほうがいいと思う。

変わるんだから。

アンチエイジングと操体。

昨日の話です。

 

銭湯愛好家(銭湯検定四級)の私は、家風呂よりも銭湯のほうが好きなので、銭湯率が高いです。

 

あの熱いお湯と広い湯船に慣れてしまうと、やめられません。

 

さて、お風呂から上がって着替えていると、銭湯のテレビで9.11前後のニューヨークの様子を改めて検証していました。

 

確か丁度翌日が、ISIS編集学校の「師範代面接」で、赤坂の編集工学研究所行って、
松岡校長の面談だったったけか。。と

 

また、この同時多発テロで、世界の戦争の在り方が変わったんだよなぁとか、色々考えながら「小学校のイベントに出席している時にテロの知らせを聞いて顔がこわばるブッシュ大統領」の大写しを見ている時、

 

隣にいた女性(多分50代か60代前半)に

 

「あなた、この事件知ってるの?」と聞かれました。

 

ええええっ。勿論知ってます

 

「勿論知ってますよ」

(この事件も知らないようなアホに見えたか??笑)

 

「お若く見えるから、知らないかと思ったわ」

「この翌日に母が亡くなって、この事件のニュースを見ると思い出すの」

 

という話になりました。

 

っていうか、私は一体何歳に見えたのだろう(笑)

 

その話を師匠にしたところ、爆笑されました。

 

いや、なんで爆笑されるんだ(笑)

 

これは、操体のお陰ということにしておこう。

 

 

 

4月29日は東京操体フォーラム、テーマは「上手い下手について」 

5月3日〜5日はGW集中講座(3日間、一日参加でも可能)、連動学と外気功基礎の予定です。操体はもとより、感覚を磨き、あらゆる臨床、ボディワークに役立つ基礎講座です。

 

春のフォーラムの補足。

4月29日は東京操体フォーラム、テーマは「上手い下手について」 です。

 

先日のことですが、採血と注射をしました。
私は割と血管が細い割には採血しやすいらしいのですが、
最初はなかなか静脈に針が入らず、普段はあまり感じない痛みを感じました。

その後、ベテランの看護師さんが登場し、採血をしましたが、
「おお、痛くない!」と、その後プラセンタ注射(こちらは筋肉注射)をしてもらったのですが、これも「おお?全然痛くない!」と、驚きました。

また、私の知りあいの奥方は看護師さんですが「強ミノ(強力ミノファーゲンという注射。注射器が大きい)」の注射が上手く、「あの人に打って欲しい」と、ご指名まであるそうです。

 

さて、確かに場数を踏んだベテラン看護師さんのほうが「神業」なのはわかりますが、
そのコツを体得するにはどうすればいいのでしょう。

 

春のフォーラムでは、操体に限らず「もっと上手くなりたい」という皆さんに、
その秘訣を公開します。

 

そして


5月3日〜5日はGW集中講座(3日間、一日参加でも可能)、連動学と外気功基礎の予定です。操体はもとより、感覚を磨き、あらゆる臨床、ボディワークに役立つ基礎講座です。

こちらの詳細は追ってお知らせ致します。

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からだの極性。

今日は第三日曜日。午前は私の担当の「視診触診講座」。

K嬢からのリクエストにより「極性」(ポラリティ)について講義する。

 

北極を North Pole、南極をAntarcticという(南極はSouth Poleとは言わないらしい)。

Poleというのが「極」をあらわす。

 

例えば、北枕は縁起が悪いというのは、亡くなった方を北枕にするからだが、
本来はお釈迦様が入滅なさった時に、北枕だったそうで、本当は「北枕」というのは、
人体にとっては「いい」らしい。

 

そしてそして、

クライアント(動ける人に限る)に、場所の余裕があれば、
東西南北(これは4つだが、もっと細かく八方向でもいい。八方向のほうが操体っぽいかもしれない)に頭を向けて休んでもらうと、

調子が悪いとか、何かある場合は、頭を向けた方向の「快・不快」が明確になる。

 

というわけで、今日はこの実証をやってみた。

被験者自身の極性で、ベストポジションを選択する。

 

その次は、被験者と操者の極性というか、波動の関係をみる。

被験者の頭側、足側と左側、右側を二回チェックし、それぞれの「感じがいいほう」を更に絞り込み、ベストな方向を決める。

 

例えば、被験者が「操者が足元に位置するのが一番いい」となれば、
操者は足元からできる診断法と操法を行えばいいのだ。

 

そして、もっと面白いのは、操者が代わると、被験者の感覚が変わるということ。
操者Aさんは頭方に位置するのが良かったのが、操者Bさんはそうではない。

 

これは、操者と被験者の極性と波動によって起こる。

 

また、場所や設備の都合で、被験者に頭の向きを変えていただくことが出来ない場合はどうするのか、ということも伝えた。

 

これも実は「からだにききわけて」ということなのだ。

 

極性を上手く利用することは、操体のみならず、あらゆる臨床に役立つのではないかと思う。

 

4月29日は東京操体フォーラム、テーマは「上手い下手について」 

5月3日〜5日はGW集中講座(3日間、一日参加でも可能)、連動学と外気功基礎の予定です。操体はもとより、感覚を磨き、あらゆる臨床、ボディワークに役立つ基礎講座です。

 

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足趾の操法。ハダシの季節

先日、足趾の操法®を受けて、膝の痛みが軽くなったという人がいました。

そうです。足趾は膝に結構いいみたいです。

また、お腹がぐるぐる動くこともあり、
「便秘がよくなった」「お通じがあった」という話も聞きます。

 

「夜爆睡した」「寝付きがよくなった」という話も聞きます。

 

便秘と不眠解消(安眠)にいいんです。

便秘と不眠、つまり便秘薬と睡眠薬の処方量の多さが「先進国の証」というようですが、それらに対応できるわけなんです。

というか、個人的には「足趾の操法®」って

「これが【万病を治せる妙療法】ではないか」と思っています。

 

さて、

 

少しづつ温かくなってきていますね。

 

早くハダシでサンダルで歩きたいと思ってます。

 

しかし、先月、銭湯で拇指の爪の上にケロリンの桶(はい、あの黄色いヤツです)を落としてしまい、爪の付け根が黒くなり、ハダシになるにはペディキュアでもしないとなと。また、痛みがあるので足趾の操法®で爪を揉んで貰うことも避けています。

 

私は毎月第一第四日曜の午前中、
足趾の操法®の集中講座の指導を担当しています。

teizan.com

基本的には「45時間」ですが、進捗によっては補講を行う場合もあります。

よく言われるのですが

「見た目は凄く簡単に見える」
「実際やってみるとへとへと」

 

私は三時間とか四時間続けても大丈夫ですが、それは、
操体的なからだの使い方、動かし方」のコツが身についているからです。

身についているといってもかれこれ20年以上はやっているわけですから、そして指導しているわけですから、当然と言えば当然です。

 

前回の「足趾の操法」の集中講座ですが、三浦先生の講習歴は長いものの、
見よう見まねで足趾の真似事?としていた方が、意を決してついに講習に参加しました。

 

実は「見よう見まね」「自己流」というのが一番やっかいなのです。

 

定例講習が始まる時、熱心な受講生は三浦先生に
「本を読んで予習したほうがいいですか?」と聞くのですが

 

「しなくていい」という答えが返ってきます。

 

また「操体の知識がないので、もう少し本を読んで勉強してから来ます」
という方もいますが、

 

「自己流のヘンなクセ」を一年とか半年やっていると、
その後、どんなに素晴らしい先生についても、そのヘンなクセを
修正するのに、3年くらいかかります。

 

大抵は3年持ちません。

 

この方は、まず改めて「操体の作法」をしっかり復習し、非常に繊細なパーツである足趾(そくし)に触れるためのコツと、触れる場所がたった2ミリ違っても、快感度と被験者の満足度に大きな差があることに驚いていました。

 

また、いままで見よう見まねで周囲の方に試してもそれなりに喜んで貰えた、と言っていました。よく(自分が今までやっていたような施術で)喜んで貰えたなんて不思議です、と。

それに気づけばいいんです。

気がついてよかったね。

それは、多分無償でやって差し上げたのでしょう。
余程のことが無い限り不快ではないので「喜んで貰える」ことはあるでしょうが、
果たして施術料を頂けて、再度お越しいただけるかどうかはわかりません。

 

そこが、プロの技です。
「もうダメです(笑)」「爆睡です」と言わせ、
「またお願いします」と言わせるくらいのスキルを身につけるのです。

 

そして、

 

よく出てきますが「知る悲しみ」です。

本は、私の師匠、三浦寛先生の患者様であり、足趾の操法をこよなく愛する
島地勝彦先生の本ですが、

「一度、最高のモノを味わってしまうと、ランクを落とせない」という悲しみを綴った名著です。

 

シマジ先生は、メールマガジン「三浦先生なしでは生きて行けないカラダになってしまった」と書いていらっしゃいましたが、

「○○先生の足趾の操法®を受けなきゃ、もう生きて行けないカラダになってしまいました」と、言われるような【足趾の操法のアドバイザー】を育成するのが、私の使命なのです。

知る悲しみ やっぱり男は死ぬまでロマンティックな愚か者

知る悲しみ やっぱり男は死ぬまでロマンティックな愚か者

 

最近は、若い衆(3年くらいは修業を積んでいる) が、めきめき指導力をつけ、後輩(年上でも後から入門者は後輩です)の指導を手伝ってくれます。

 

うれしいことです。

 

 

 

「猫さまのお告げ」。易のことば。

こんにちは。

操体と易と猫が大好きな畠山裕美です。

 

何だか最近私の周囲で易が流行っています。まあ、易って操体同様、流行はないんですけど、

いや、易って、日本には仏教伝来の頃に伝わって、占術としてメジャーになったのは江戸時代です。

 

と、思っていたら、こんな本が出ていました。

 

ニャンともならないときの「易」の言葉 猫さまのお告げ

ニャンともならないときの「易」の言葉 猫さまのお告げ

 

 

六十四卦(か)それぞれに猫さまの写真と、お言葉がのっています。

写真はなかなか面白いもの、カワイイものが揃っています。

原文(短いけど)と、訳も載っています。見開き一ページに一つの卦という構成です。

 

本をビブリオマンシー(本を開いたところに書いてある文章から読み解く占いの一種)のように、本を開いて観ます。

 

 

例えば「風地観」(ふうちかん)。

きれいなものは目の幸せ。それを探しに旅にでてみよう

みたいに結構ざっくり書いてありますが、隣のページに詳細が書いてあります。

 

面白いのは、爻(こう)のかわりに、「開運アドバイス」が載っていますが、
猫の顔が6つ並んでいます(六爻を示しているんでしょう)。

ここから好きな猫を選ぶ、つまり「何爻」か選ぶわけです。

 

★ちなみに表紙の猫さんは「天風姤(てんぷうこう)」

うまい話と悪い女は
風のようにやって来る。

なるほど~。確かにこの猫さん、悪女っぽい(笑)

なんかそんな感じですね。

 

「へえ、易って面白い!」というとっかかりになるといいですね。

期待と失望。

私は占筮もやりますので、ご相談を受けることがあります。

 

やはり「恋愛関係」のご相談が多いのですが、「あまり良く知らないけれど、気になる人がいます。彼の気持ちを知りたい」というのは多いご相談です。


良く知らないけれど、気になる。あることですよね。また、知らないからステキに見える。

 

わからないからますます気になります。


こういうケースを見ていて思い出したのは「相手が自分の想像と違ってがっかりする」というケースです。

 

例えば、年上の素敵な彼がいたとします。
しかし自宅では鼻くそほじりながらスポーツ新聞読んでるかもしれませんし(笑)

 

ナイスバディの素敵な彼女、脱いだら、オッパイが大きいというよりは長い(実話)かもしれませんし、ブラにパッドが入っているかもしれません。

 

そういうところを全部含めて受け入れることができるかというのが、恋愛というものだと思います。

 

「思っていたのと違ってがっかり」ということは結構あり得ます。というか、過度の期待もあるわけです。

 

昔は「オンナにはワキ毛は生えてない」(いや、剃るとか手入れしてるよ)という男子もいましたし、

 

私が付き合ったオトコの一人は「オンナには性欲はなくて、母性本能しかないんだよね?」(今思うと本当にバカなオトコと付き合ったと思います)と言いました。

 

そんなことあるわけないっつ〜の(笑)

 

これは過度の思い込みと美化と妄想から来ていると思うのですが、

 

これは臨床にもありうることです。

操体を一度受けたら、良くなって、二度と悪化しませんか」という「過度な期待」を抱いてくる方もいらっしゃるからです。

これは期待のしすぎです(笑)

 

受けた後の、ご本人の養生の度合いや、日々の生活習慣にも関わってきます。

 

そして、橋本敬三先生ですが、一部の人は神様扱いしていて「タバコ吸ってるのは、患者さんでも吸ってる人がいるから、その人似合わせて仕方なくふかしてるのだ。吸ってるんじゃなくてふかしているんだ」と言った方がいました。

 

ふかすだけって、シガーかよ(笑)


これは明確な捏造です。
その方は嫌煙家なので「自分が尊敬する橋本敬三先生が愛煙家であっては困る」のです。

 

この話を聞いたのは、1999年、全国操体バランス運動研究会東京大会の懇親会の場でしたが、「なるほど。神格化と捏造とはこういう風に起こるのか」と納得したものでした。

 

世の中、色々なものがありますし、宣伝広告でいくらでもステキに見せることができます。しかし結局は「体験」なんですよね。

 

先日、私の先輩のところに「友人が操体を受けて、椎間板ヘルニアが一度で治ったそうだが、自分も一度で治るか」という電話があったそうです。

 

友人が一度で治ったからといって、アナタがそうとは限らないのです。

 

悩んでるなら、一生ヘルニアさんと付き合うという手もあります。

何も手を打たずに「これなら100パーセント治る」という確約つきのモノを求めてね。