人間である以上、何らかの無理をすれば、カラダは素直に反論してくれる。それは何かというと、「息」「食」「動」「想」という、呼吸、飲食、身体の使い方、精神生活のバランスを崩してしまうことだ。
自分自身も「ああ、こりゃ無理しすぎたなぁ」とか、
絶対思いあたるふしがある。
色々な方と接するが、
「肩が痛いから悪い」とか、「ここが痛いから悪い」と、自分の痛いところを罵倒する人がいる。
確かに痛いのだが、悪い悪いと文句をいうのではなく、
「ああ、今、こうなってるんだなぁ」と身体を客観的に見てみてもいいかもしれない。「痛いけど、痛いんだなぁ」(勿論救急時は除く)で、何故痛いのか考えてみると、絶対理由が見つかるはずだ。
日々の身体の使い方が間違っていたり、精神的に参っていたり。
環境が辛かったり。
コトバというのは不思議なもので、「筋肉が固まる」と言っていると、本当に硬くなってしまうのだそうだ(橋本先生は、コトバは運命のハンドル、と言われている)。固まる、と言っていると
本当に固まるらしい。例えば、アメリカでの研究によると、パーキンソン、多発性硬化症はメンタルな部分から発症することがあるらしい。その核にあるのは「怒り」だという。
勿論怒るなとは言わない。でも、怒りは伝染するらしい。
腰痛の原因は怒りである、と書いているアメリカのドクターも
いる。
親しい人に「ちょっと位、愚痴聞いて」というのはアリかも
しれない。
でも、怒りは伝染させたくないと思う。
怒るなとは言わないけれど、いつもにこにこしていて
文句も何も言うなというのではない。
根源的な怒りを、人にぶつけて欲しくないということだ。
それだったら、癒しを求めてくれたほうがいい。
よく「動かさないと関節が固まってしまうから」という指導を
で受けると聞く。これを「動けるほうに動かせば、もっと動けるようになりますよ」というポジティブなコトバで声をかけてあげたらいいのではないだろうか。
話しは戻る。もし、自分が痛めてしまったら?
・眠かったら寝る
・からだの要求にまかせるのが一番。
・なるべく『痛い』と言わないようにする。
私ですか?自分でやることもありますし、
操体を受けることもあります。