操体法大辞典

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哲学する操体 快からのメッセージ

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私の受講生には、必読図書として読んでもらっている。
わからなければ100回読め、とも言っている。私もまだ100回は読んでいないが60回位は読んでいると思う。

快からのメッセージ―哲学する操体

快からのメッセージ―哲学する操体

ちなみに、操体本コレクター(最近はそんなに集めていない)だった私は、初版と、初版の前に印刷したのだが誤植が多くてボツになったレア本も持っている(マニア?)というか、著者ご本人から戴いたのだが。あと一冊持っているが、経緯は省略。

この本を買ったのは、1999年10月に早稲田大学で開催された、全国操体バランス運動研究会の会場だった。

前日に世話人会があり、早稲田の石井康智先生からお呼びがかかり、世話人会の隅っこで座っていた。
思えばこの日、操体界の大物(?)と言われる先輩方に一同にお目にかかったわけだ。世話人の人達は今では私の顔を知っているものの、当時は『あの女は一体だれじゃ』と思ったに違いない。
これが私の操体メジャーデビューである。
石井康智先生、快医学(当時)の瓜生良介先生、鹿島田忠史先生、根本良一先生、小崎順子先生、中川重雄先生(中川先生には、お目にかかるたびに『あなた、どこかで会いましたか』と言われる)、稲田稔先生などがいらっしゃった。

この時、石井先生に紹介してくださったのが、巻上公一さんである。
ちなみに、巻上さんは初日の懇親会のイベントで、口琴ホーメイを披露してくださった。この懇親会では、お互いにビールのつぎあいを延々としていた記憶がある。何故かというと、料理があっという間になくなって、ビールが多量に残り、飲むものがビールしかなかったのだが。楽しい思い出である。

話は戻って

その時、著者である三浦寛先生の服装は今でも覚えている。
黒の革のパンツに黒のニット、ベースボールキャップという出で立ちでだった。(要はとてもかっこよかったということです)で、何故か手招きされて、ずんだ餅をいただいたのを覚えている。こういうことだけはよく覚えているものだ。

翌日、バランス運動研究会の会場でたにぐち書店が操体関連書籍を販売していた。
その時、本書が発売されたことを知り、早速購入した。

昼休み、昼食を食べ終わって会場をぶらぶらしていると、三浦先生が一人で座っていらしたので、サインをいただいた。少しお疲れのようだったが、多分、実行委員長という大役と、最初の基調講演を終えたのだからだったと思う。

操体法治療室』を読んで、操体を勉強しようと思った位であるから、「きもちよさ」という言葉は大切な言葉だと思っていた。

本書は、今までの二者択一(左右、上下などの二方向の楽な動きを比較対照するもの)からある一つの動きに対して快適感覚があるのかないのかをからだにききわける、という、より進化した動診を提示している。ここで、「楽(な動き)」と「快適感覚」の違いを明確にすることにより、診断法のバリエーションが増え、より質の高い動診を提供できるようになった。

操体臨床の中に「目線」というポイントを持ち込んだのも素晴らしいことだと思う。動きと目線の関係については、同門で東京操体フォーラム理事の秋穂一雄氏が何度かフォーラムで発表しているが、目線の効用というものはすごいものがある。なにがスゴイのかはここでは書かないが。

未だに『楽』と『きもちよさ』を混同して使っている方もいると思うが、この二つを明確に分けるか分けないかで、操体の臨床はまるっきり変わってしまう。

操体の理論は、普通の「治す」という世界を見てきた人にとっては不可解な世界かもしれない。
そこを脳神経の分子構造などで説明してあるのもこの本だ。

橋本敬三先生の時代は、何故きもちよさで良くなるのか、ということを証明できなかったが今は分子構造や脳内ホルモンの働きの解明により、ある程度検証できる。

また、「コトバは運命のハンドル」というのも「コトバを統制できるものが賢者である」という橋本先生の話を裏付けるような、脳科学の研究結果も最近聞かれる。

さらに、皮膚に問いかける「渦状波」(カジョウハ)を紹介してあり、この皮膚へのアプローチという手法は、筋骨格関節を動かすという、それまでの操体の概念を打ち破ったものだった。しかし、橋本先生は「運動系」について、筋骨格関節と軟部組織、皮膚をも含めた・・と言われている。つまり、運動系には皮膚も含まれる。その皮膚を八方向に
動かしてみたらどうか、というのがこのアプローチ法である。掌(しょう)を用いた面の渦状波、中指、薬指の指尖(しせん)を用いる点の渦状波。

これは受けた人でないとわからないかもしれないが、とても不思議な感覚だ。

からだに無意識の動きがついてきたり、笑いたくなってきたり(本当です)、人それぞれなのだが、とにかく「何だかスゴイぞ」なのだ。