今日の午前中は「操体施術会」でした。
足趾の操法、第三分析(渦状波)、第五分析を含めて、静かな時間が流れました。
操体の臨床には「静けさ」があります。
私自身は、受け手(被験者)の味わっている「きもちよさ」が、寝息と共にバビリいびり伝わってくるのを共有していました。
操体のすごいところ、というのは、被験者の味わっている「きもちのよさ」が操者のみならず、同席している第三者にも伝わることです。
そして、それは第三者の心身も整えるくらいのパワーがあるということ。
ちなみに、これは「楽な方に動かして瞬間脱力」とか、言葉だけは「きもちよさ」を使った「楽な方にきもちよく」という指導では、無理があります。
これらは「きもちよさ」をききわけ、味わっているわけではないから。
さて、もっというならば、第五分析は「きもちよさ」さえ超越しました。
そろそろこれが世にでるチャンスが近づいてきたようです。
多分、第五分析が世に出たら、「操体愛好家」「操体実践者」の多くは、「目線」「快」や「皮膚へのアプローチ」が、世に出た時のように、最初は無視するでしょう。
または「また三浦先生が変な事を言ってる」とか「あれは操体じゃない」と言うと
断言します(笑)
そして、5年10年すると、彼らは、さも昔から知っていたように(皮膚も2000年頃は操体関係者に無視されていました)、「操体ってやっぱり○○よね」というのでしょう。
これも断言します。
「操体ってやっぱり皮膚よね」というように。
「皮膚の操体マッサージ」などという言葉が、コンサバティブな方々から出た時は
「私の断言は当たった」と、心の中でガッツポーズをとったものですが、残念ながら、殆ど(操体法東京研究会で渦状波を直接習う機会に恵まれた人以外)は、「皮膚への刺激」です。
渦状波をバカにしていたある方が(私の目の前でバカにした方ですが)「皮膚を絞る、捻る」と、サイトに書いてあった時は、驚きました。
これも、刺激です。
皮膚へのアプローチは刺激ではないのです。
もしかすると、レイキとかタッチング・セラピーとか、タッピングとか整膚(ひっぱるとか捻るとか絞るというのは整膚です)と混同してるのかもしれません。
「目線」という言葉を使ったのは三浦先生ですが、最初は「全国操体バランス運動研究会でも」「本当にそうなのか」と、言われたこともあったそうですが、現在は、コンサバティブな「イサキ」にも出てきます。
そういうことがある(あった)ので、ここで記しておきます。
サロン・ド・シマジの「名言コースター」に「今日の異端は明日の正統」というのがあります。