操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

何故私達は「皮膚」といい「カワ」とは言わないのか

ここで言っているのは、操体臨床における、という注意書きがつきます。

また、非常に「感覚的」(操体ではとても大事)なものです。

 

一般的な漢字の意味とか成立というよりは「操体の臨床家が被験者の『皮膚』に触れる際の意識」の設定と思って頂ければ、幸いです。

 

 

操体臨床家自身の「心構え」「セッティング」です。

また、比較として「皮」という言葉が出て来ますが、我々が触れるのは「皮膚」であり、なめした皮とか、分厚い皮(ツラの皮とかハラの皮とか)ではないというのが前提です。

 

あくまでも「操体臨床における言葉の使い方と、操者の心構え」ということなので、これを操体実践者以外に強要するつもりもありません。

 

私の操体の師匠、三浦寛先生(ますます新しい「第五分析」を生み出しています)が、皮膚へのアプローチ法を、公に発表したのは、1999年の10月です。

 

何故、私が覚えているかというと、全国操体バランス運動研究会東京大会が、早稲田大学で開催されたから。

 

この時の実行委員長が三浦先生であり、この日に発売されたのが、この本です。

 

渦状波® カジョウハ。第三分析。皮膚に刺激にならない接触を行う診断分析法。を

 

 当時の操体関係者は、「快だの皮膚だのって、何言ってるんだ?」みたいな感じでしたが、私の予想通り、しばらくしてから「面白いからやってみよう」のヤジウマ根性で、皮膚に触れ出す人が現れました。

 

しかし、その人達と三浦先生の何が違ったかというと、接触の方法です。

三浦先生は「刺激にならない接触」。
他の人達は「刺激」でした。

 

私の知りあいで、私が三浦先生に師事していることを承知の上で「渦状波かよ!」と、私に吐き捨てるように言った人が、数年後、自分のサイトで

「皮膚を捻る」「絞る」「ずらす」とか書いているのを見て、「あ、やっぱり刺激をやってるんだな」と思いました(渦状波をバカにしていた発言をしたくせに、やっぱり皮膚をつかうんかい!と、呆れた記憶もあります)。

 

また、ある先生は「カワの操体」と言い出しました。

ずらす、ひっぱる、絞る、ねじるなどの刺激です。ご本人も「皮膚への刺激だ」とおっしゃっていたので、「皮膚への刺激」という理解でしょう。

 

なお、私が思うに「皮膚の操体」と書くと、三浦先生のマネとかパクリとか言われそうなので「カワ」にしたのではないかと(あくまでも私見です)。 

 

さて、私達(操体法東京研究会一門)は、「皮膚」と言います。

それは何故か。

 

皮膚 生命(いのち)そのもの。
カワ 生命のないもの、もしくは分厚くて感覚のないもの
肌 皮膚と同義語であるが、人の思惑が関係していたり、人工的であるもの(状態、美醜、色、化粧など)

 

と、考えるとわかりやすいかもしれません。
生命(いのち)そのものにアプローチしているので「皮膚」と言っているのです。

 

★皮膚が「イノチ」である、なんて、辞書には書いありません。これは「操体の感覚的な話」だと思って下さいね。

 

そもそも、医学用語でも「皮」とは言いませんよね。
「皮膚科」とは言うけれど「皮科」とか「皮革科」とは言わないし「肌科」とも言わない(肌科、は化粧品の名前になりそうですが)。

 

我々は人様のからだに触れさせて頂いています。

同義語に「肌」という言葉があります。

 

英語にすると、皮膚は  skin    皮は  leather で異なりますが、肌も皮膚も  skin です。

 

昔、受講生が間違って「肌の操体」と言ったことがありました。聞いていた周囲は「なんだか、エロい感じがする」と、ザワつきました。

 

肌という文字は「肌を合わせる」(肉体関係を持つ、ぐるになる、示し合わせる)というイメージを想起させます。

 

肌に触れる、というイメージと、皮膚に触れるというイメージの違い、お分かりになるでしょうか。


被験者として受ける方は、この違いは分からなくても区別しなくても良いのですが(御本人が解らなくても「からだ」が理解してくれます)、操体の実践者であるならば、この違いが分からなければ、アウトです。

 

これと同じで、「皮」というのは英語ではleatherというように、動物の皮を示します。皮、カワというのは(毛皮というのはちょっとニュアンスが違います。太鼓や楽器に使う動物の皮は、あきらかになめしてあるので、カワです)には、イノチがないのです。

 

何故、我々が「皮膚」というか。

そしてカワとか肌と言わないかというと、「皮膚」という認識を持って人様に触れるのと、「皮」「カワ」という認識をもって触れるのと「肌」という認識を持って触れるのとでは、相手のからだの反応が全く違うからです。

 

「皮膚」というと、私の脳裏には、細胞レベルから潜在意識、生命に繋がるイメージが浮かびます。その「生命(イノチ)」そのものに触れさせていただくのですから、尊敬、敬意、共感を伴っています。

 

ちなみに、私は猫に渦状波をやることがありますが、「毛皮」とか「皮」だと思ってやることはありません。皮膚、あるいは「生命そのもの」として触れます。

 

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 肉球をぷにぷにされるのはちょっとイヤ(笑)