言葉の誘導は「体感語」であり「催眠誘導語的」である。
なので「被験者の理性で理解させようとしないこと。被験者のからだが理解すればいい」
東京操体フォーラムには、数人の相談役がいます。
全て私の知りあいです。
皆、その道のスペシャリストです。
なぜ、相談役をお願いしているかというと「操体の常識は世間の非常識」みたいなところがあるので、客観的に外からみてもらっているというわけです。
「そういえば、言葉のてにおはがちょっとおかしい」という指摘がありました。
そうなんです。
日本語をしっかり学んでいるとそういうところがあるかもしれません。
私自身「ら抜き言葉」を、口語ならともかく、文章に書く輩はどうしたもんよ、と思うクチです。
しかし、これらの言葉は、我々の師匠から派生している言葉なんです。
うちの師匠、三浦寛先生は「天からヒントや言葉が落ちてくる」人です。
いや、ホントに降ってくる人なんですよ。
★実際「答えはわかるけれど、プロセスが抜けている」ことがあるので、プロセス解明は弟子の役目であると、半蔵さんと私がプロセスを追っかけています。
なので「へ?」と思う事もあるのですが、いままでのことを考えてみると、ほぼ間違いないし、患者さんは良くなっているし、からだは変わります。
我々は「師匠の言うことはまず、やってみよう」となるわけです。
私達は、まず「完コピ」します。
そして、自分なりのアレンジは「完コピ後」です。
「完コピ」をやるには、素直さが必要です。
最初、完コピはは恥ずかしいのです。
それが吹っ切れると、次のステップに上がれます。
不思議なのは、修業の途中で「自分なりにアレンジしたい」という人に限って、結果が出せないか、コケるのです。これは本当に不思議です。
なぜ、完コピするか。
それは「効くから」です。
そして、何で「ちょっとヘンな感じ」がするのか(特に、日本語をしっかり学んだ人からすると、ヘンな感じがするかもしれません)。
それは「本人」にではなく「からだ」にむけてかけている「体感語」(操体用語です)が入ってるからなんです。
「からだ用の方言」と言ってもいいかもしれません。
もっと言えば、催眠誘導語に近いかもしれません。
面白いというか、不思議なのは「被験者のからだは、操者の言葉の誘導に、忠実に反応する」ということです。
患者さん(被験者)が動いてくれない、というのは操体をやる人の悩みによく挙がりますが、それは「操者が悪い」のです。
からだではなく、アタマに問いかけるので、被験者は「あれ?」と「動き」を考えてしまうのです。
操体の言葉の誘導というのは「本人」に行うと、「本人のアタマ」が働きます。
私達は「アタマ」ではなく「からだ」に問いかけたいのです。
本人のアタマ(エゴ)は、こっちのほうが正しいとか、左右平均してやらなきゃとか、回数が多いほうが得だとか、正しい正しくないとか損得勘定します。
そうではなく、からだに問いかけることによって「快不快」をききわけていただくのです。
一番いいのは、きもちのよさを充分味わっていただいて、意識がぶっとんでいて、感覚の世界に入っている時です。
そういえば、キーワードがいくつかあるのですが、「へ?なんでそれ?」というのもあります。
私も最初「へ?それ?」と思ったことがありますが、実際に目の前で、被験者の「からだ」が反応するのをみて、あるいは言語を越えて(日本語がわからない人に対して)も反応するのをみて「体感語ってあるんだ(ほぼ催眠誘導?)」納得しました。
そして、その「体感語」の出し方ですが、そこがベテランの腕の見せどころです。
ベテランは「完コピ」ではなく(師匠でさえ、実際にはオリジナル完コピを超越したものを使っています)、自然に使います。
ちなみに、講習の場では「右手関節を内旋」とか「左足首を内反」とか言ったりしますが、これを、ふつーのクライアントに言っても「へ?なにそれ?」と言われます。
ビギナーは、講習でならっている通りに自分のクライアントに言葉をかけ、「何難しいこと言ってんの??」と言われます。当然です。
特に、講習に出ていると「言葉が分かっている仲間」と組んでやるので、相手はちゃんと動いてくれますし、難しい誘導語もわかってくれます。
しかし、実際の臨床ではそんなわけには行きません。
講習の場では完コピ、臨床の場では「クライアントファースト(臨機応変にクライアントが理解できるように」というように、言葉の鍛錬を積んでいくのです。
講習中は、先輩に言葉を修正されまくります。
今まで漫然と使ってきた言葉を、再構築するのです。
第二分析以降は、これが大事です。
今回、こんな貴重なことに気づくことができました。
ありがたいことです。