操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

生かされし救いの生命観 第2刷

6月1日辺りに発売になると思うのだが、「操体法 −生かされし救いの生命観−」の第2刷が出る。

デザインを一新し、ソフトカバーではなくハードカバーとなった。



「月刊手技療法」に「シリーズ操体」の連載が始まったのは2000年からだが、最初は原稿を書くのに苦労した。

師匠にチェックをしていただき、「人の原稿を直すのは大変だ」とお小言をいただきながら直していただいたし、当時は年に二回(現在は四回)の執筆にもかかわらず、なかなか筆が進まなかったのを思い出す。



文章に残すということは、後の人が読んで、見て、理解できるようにだと思う。橋本先生は「文献の重み」という色紙を残されているが、書き残すということは、とても大切なことなのだ。



目次の次には、「メッセージ」と題して、「霊界通信」ならぬあの世からのメッセージが掲載されている。

詳細は三浦先生の後書きに記されているが、このメッセージが、橋本敬三先生を全く知らない人間が書き留めたとはそちらの方が信じがたいが、操体を学んでいる方ならば、絶対ピンとくると思う。



第1刷は昨年10月に発売され、こちらには橋本敬三先生が23歳の頃、白樺派同人誌「アダム」に寄稿した「小さき心」他の小編と(「アダム」は、新潟医専で一緒だった式場隆三郎に誘われて参加している)、60代の頃「医家藝術」に掲載された(こちらの編集委員長もやはり式場隆三郎であった)「神代文字」「続・神代文字考」が掲載されていた。



「アダム」は、橋本敬三先生が生前三浦先生に電話をかけて「死ぬまでにもう一度読みたいから何とか探してくれないか」と頼み、三浦先生が東京中の図書館を探し回って見つけたものだ。その時、橋本先生から何かの機会があれば世に発表してもいいよ、と言われていたので第1刷には掲載されていた。「神代文字「続・神代文字考」も何かの際に発表してもよいと、橋本先生から

許可を得ていたものである。



しかし、橋本敬三先生亡き後、橋本敬三先生の知的財産を相続されているご子孫から、本への掲載は許可せずとの話があった。その結果、残念ながら橋本先生の未発表に近い原稿数編は本書から削除されることになった。

また、表紙の絵についても指摘があった。このイラストは写真を元に、三浦先生がイラストに落とした橋本敬三先生の姿だが、

「黒めがねとは品性に欠ける」ということだったので、何故サングラスをかけているのか、表紙の裏に説明文をつけた(この説明は今先生が書かれている)。

これは、従業員の一人がサングラスを持ってきて(当時黒いサングラスが流行った)「先生、かけてみれば」とすすめたのを、実際かけてみて「鏡で見てみれば」「どれどれ」と見ているところなのだ。