先日日曜の特講前に、東京操体フォーラム実行委員の定例打合せをした。その時話題になったのは「きもちよさ」という言葉が狭い操体業界の中でも使われるようになってきたということだ。
実際「楽と気持ちよさのどこが違うんだ」と言われていた方も、最近は「快適感覚」という言葉を使われている。
しかし、これには弊害がある。
「きもちよさ」と言っておきながら、実は「楽」あるいは「可動域が大きい」現象を選択している場合が多いのだ。
これは、言葉のギミックにもなるが、仰臥膝二分の一屈曲位で、膝を左右に傾倒させ「膝を左右に倒して、どちらが倒しやすいですか?」「はい、右ですか。でしたら、右に、楽なほうに気持ちよく倒してみましょう」
★可動域が大きいほう(楽)が「きもちいい」(快)と操者がきめつけている。これは私も最初そう思っていたが、楽と快の違いを認識するにつけ、そうではないことが分かった
★これには時間を要したが、少なからず最初に気がついた橋本敬三先生より、三浦先生のほうが、三浦先生より私のほうが、私より私の受講生のほうが、時間も短く、効率的に理解できるはずである。
というような、「楽」と「快」を混同したことをやっているケースが多い。これは「きもちよさ」をとおしているのではなく、「楽」なほうに動かしているに過ぎない。
以下のケースはどうなるか。仰臥膝二分の一屈曲位で膝を左右に傾倒した場合である
1.左右とも何ともない(楽でスムース)
2.右も左も苦痛(不快)
3.右は楽で左は快適感覚がある
4.左は楽で右は快適感覚がある
5.右も左も快適感覚がある
「快適感覚をききわけ、味わう」というルールに従って操法をとおすのであれば、1は両方とも楽(つまり、どちらもバランスがとれている)なので、動診操法の必要はない。
2も不快をとおす必要はない(勿論、手だてはあるのだが、ここでは割愛する)
3、4は快適感覚を優先すべきである。
そして5。
快適感覚はボディに歪みがある時に感じられる一時的な感覚である。
どちらも快適感覚があるのだったら、両方の操法をとおして構わないのである。
両方やっても構わないのだったら、何故どちらか一方を選ばなければならないのか?
いずれにせよ、「楽」と「きもちよさ」を混同すると、「操体だけじゃ、間に合わない」ということになるのだ。
逆に言えば、「快適感覚をききわけ、味わう」ということに特化すれば間に合うのである。これがその最大のメリットだと言えよう。
だから、「楽」と「きもちよさ」の混同はしないほうがいい、と忠告しているのだ。いくら口で「きもちよく」と言ってもやっていることが「楽の選択」では勿体ない。
ちなみに、操体をやった後に鍼を打つと結果がいいとか、指圧の前に操体をやるとその効果があがる、という使い方はいいと思っている。操体の考え方に賛同してご自身の専門に取り入れ効果を上げているのはいいことだと思う。
いずれにせよ、「楽」と「快」の違いをしっかり認識することが
大切なのだ。