操体法大辞典

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激安なのに丸儲けできる価格のカラクリ。

先日、久しぶりに書店をぶらぶらした。そこで手に取ったのがこの本である。10円缶コーヒーで何故利益が出るのか?確かに不思議ではないか?

激安なのに丸儲けできる価格のカラクリ 10円缶コーヒーでもなぜ利益が出せるのか?

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目次をひろってみると、
・なぜマクドナルドのハンバーガーだけは100円なのに儲かるのか?
(セット販売のほうが何故儲かるのか?)
・ディズニーランドは、お客に夢と何を売っているのか?
・バラしてはいけない商売の裏手口
・お客のこないスナックがつぶれない理由(キャバクラとの違い)

特に面白かったのは「バラしてはいけな商売の裏手口」という章で、ある男が自らを(著者ではない)『商売人間失格』と称して手記を書いているという設定だ。まあ、騙して洗脳するという、現代の「商売裏手口」を書いてあるのだが、別にその裏手口がどうというのではなく、ある言葉が目にとまった。この本は各章のとびらに質問が書いてあり、章の最後にその回答が載っている。その回答である。

問い: 人はなぜ、次から次と生まれるマルチ商法や壺商法の手口に騙され、つまらないものに大金を支払ってしまうのか?

回答: 人は物事を自分一人では決められず、他者に評価をゆだねたい動物である。確固たる判断軸を持つことも難しい。そこに、「おだてる、追い込む、帰らせない」「騙す」「洗脳する」などの手法で忍び寄ってくる人立ちがいるから

なのだそうである。私が「へえ」と思ったのは「人は物事を自分一人では決められず、他者に評価をゆだねたい動物である」というくだりであった。そうか。決められないのか。人に決めてもらって、それに従った方が楽かもしれないし、その決定がまずかったら決めた人の責任にすればいいという虫の良さもあるのだろうか。

はじめて操体を受ける方がまず戸惑うのは『自分で決めなければならない』ことだ。普通、何かの施術や治療を受ける場合、受け手は先生(あるいは操者)に委ねていればいい。この場合、受け手は完全に受け身である。美容院やエステティックサロン、リラクゼーションマッサージなどはまさにこの典型だ。しかし、操体の場合、『本人にしかわからないからだの感覚をききわける』のであるから、受け手は単なる受け身状態で待っているわけにはいかない。それも『頭で考えずに』『快適感覚をからだにききわける』という不慣れな行為を要求されるのだから。

この場合、指導者が操体における快適感覚の概念(楽との違い)を認識しており、分析法(第2分析からそれ以降)を知っていれば、クライアントに『快のききわけ』を提供することは難しいことではない。しかし、その概念を理解せずに、言葉の上だけで「キモチヨサ」を語り、バランスがとれていて、楽で何ともない所を動かして『これってきもちいいですか』と聞いても、クライアントにとってはうざったいだけなのである。

『快適感覚をからだにききわける』には、色々な手がある。手というのは「分析法法」のことである。ご存じだと思うが、改めて分析方法を説明してみたいと思う。
第1分析: 楽か辛いかの二者択一(対なる二つの動きを比較対照する)『どちらが楽ですか、辛いですか』
第2分析: 一つひとつの動きに快適感覚をききわける『この動きのなかに、快適感覚がききわけられたら、教えて下さい』
第3分析: 皮膚へのアプローチ(刺激にならない接触による)『何か、感覚がききわけられましたら、教えて下さい』
第3分析以降 現在十数の分析法が存在する

このうち、第1分析は『快適感覚』をききわけさせるものではないので、厳密にはその中に入らない。

ところで先程の、「人は物事を自分一人では決められず、他者に評価をゆだねたい動物である」というのは、『アタマ』での考えなのだろう。「からだ」でききわければ「からだ」は驚く程正確なガイドとなる。