操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

たった独りの引き揚げ隊 10歳の少年、満州1000キロを征く

この本は、東京操体フォーラム相談役の平直行さんから紹介された。これは、ビクトル古賀先生が10歳の時の経験を語ったものだ。10歳の少年がたった独りで満州を1000キロ旅するなんて想像もできないが、これは事実をもとに、古賀先生が語ったものである。
平さんの著書にはビクトル古賀先生の話が出てきていたし、浦賀まで飲みに行った話とか聞いていた。何だか凄い人だという漠然とした印象だった。伝説のサンビストなのは知っていたが、何せ最初は「ビクトル」というのはリングネームかいなと思っていた位で、つまり知っていると言っても全く知っているうちに入らなかったというわけだ。私はこの本を読んで、古賀先生がロシアとのハーフであり、ビクトルというのは本名であり、コサックの末裔であり、なおかつサムライの末裔でもあり、満州から引き上げてきたことを知った。


最初、平さんから「この本凄いです」と聞き、すぐにamazonに注文した。結構厚い本だが、二日で読んでしまった。なぜ、古賀先生が初めて自分の人生を語ったかというと、大抵はサンボ(ソ連での徒手格闘技)でチャンピオンになってからの事を書きたがるので、今まで全て断ってきたそうだ。しかしこの本の著者(石村博子氏)は、それよりも満州から引き上げた時の事を書きたいと打診し、古賀先生もそれに応じた。「オレが一番輝いていたのは10歳の時だった」と帯には書かれているが、これは多分映画化されるのではないかと思う。
読んでいる途中で『原始感覚』という言葉を思い出した。操体では重要なこの言葉は、『快か不快かをききわける力』である。現代人はこれが鈍磨しているため、からだを壊したり、心を病んだりしている。ビクトル少年は『原始感覚』が発達しているのである。
ビクトル少年は、列車で置いてけぼりをくったりして、徒歩で行くのである。この時彼を助けたのは、コサックの知恵だった。現在、コサックというのはコサックダンスくらいしか思い浮かばないが、実は国境付近に住む、普段は農業に従事しているが、有事の際は即駆けつけて戦うという部隊だった。女の子も小さい頃から銃の扱いを学び、馬術に長け、ナイフをまるで自らの分身として扱い、そして信心深い。ビクトル少年は日本人学校に通っていたが、もっぱら遊ぶのはコサックの友達で、子供の頃からコサックの知恵を受け継いだ。この草は食べられるのか、草原での虫除けは、馬の扱い方、この川の水は飲めるのか、飲めないのか。風はどちらから吹いてきて、水はどこにあるのか。そういう知識が後にビクトル少年を助ける。それだけではなく、様々な人種と親しくなったため、数カ国語を話せるようになっていた。
道行きは死体の山だらけで悲惨である。しかし、何故か明るいのはこれが多分『強さ』というものなのではないか。強さは知恵でもある。
感心したのは、ある村に着くとすると、煙突の煙でロシア人の家なのか、中国人の家なのかわかる、というところだった。ロシア人の家の扉を叩き、10歳の子供がたった一人で旅をしていると言い、ロシア正教式の正式な礼拝をしてみせれば、ロシア人達は『こんな小さい子がたった一人で』と、涙ぐみ、休ませてくれて、食べ物をくれた。家がない草原を歩く時は、パチンコでクルミを取って、クルミを食べながら歩いたそうだ。その道行きは、日本人の惨殺現場や死体の山など決して易しいものではなかったが、何故かこの道行きは明るさに溢れている。それは、ビクトル少年が、『なんとかなるさ』という心持ちで歩いたからなのかもしれない。
本自体は厚いが、映画かドラマを見ているようなスピードで読める。少しばかり苦手だった、満州国とロシアの関係の勉強にもなった。母クセーニアをはじめ、周囲の登場人物も魅力的に描かれている。