操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

時代に応じた操体へ(その1)

スペインのマドリードで日西指圧学院の院長をされている、浪越指圧ヨーロッパの小野田茂先生が、手技療法6月号に書かれていたセミナーレポートを読んだ。

それは、イタリアのZEN指圧協会に、イタリアの浪越指圧が参加し、双方でデモンストレーションを行ったというものだった。これはある意味で画期的なことである。最後の討論会では、浪越も増永も指圧は指圧、時代に沿った、そして時代が要求するSHIATSUを受け継いでいこうという結論で締めくくられたらしい。



http://www.namikoshishiatsueuropa.com/JAP/news20090603.htm 

先代の偉業を忠実に守るという保身に重きを置き、肝心の若手の育成を怠ったツケが回ってきている、というのと、果たして祖が成し、成さんとしてきたことを真髄まで理解して指導している指導者がどれだけいるのか、指圧も操体も同じような危機を迎えている。特に指導体系の甘さと、指導者の理解が薄いままに指導を続けた結果、自己流が広まっているのだそうだ。今回のイタリアの指圧セミナーでは、その危機感から、イタリアのZEN指圧協会に、イタリアの浪越が加入し、指圧の未来と、時代に沿った、時代が要求するSHIATUを受け継いでいこうという結論になったのだと思う。



さて「時代に沿った操体」「時代が要求する操体」ことを考えてみた。操体自身、高橋式正體術矯正法をヒントにしていた時代から、厳密に言えばこのような変遷を経ている。

・動診を行わず、操法を直接行うもの(足関節の背屈)

・逃避反応を利用したもの

・対なる動きを比較対照し、楽な動きの極限で動きをたわめ、瞬間急速脱力に導くもの

・対なる動きを比較対照し、楽な動きの一番感じがいいところで動きをたわめ、瞬間急速脱力に導くもの



★ここまでは、楽と快の区別が曖昧なのだが、橋本敬三先生は85歳を過ぎてから『楽と快は違う』と操法の選択、たわめの間、脱力、操法の回数は操者が指示する言っておられる。これは一部の近しい弟子にのみ伝わっていることで、中には聞いていなかったものの

やっかみなどもあったと思うが結構伏せられていた事実である。



また万病を治せる妙療法―操体法 (健康双書ワイド版)

について、今先生が橋本先生に『これ、間違ってませんか?』(実際温古堂でやっていることと、『万病』に書かれていることがちがったためだそうだ)と聞いたところ『うん、違う』という力強い答えが返ってきたと聞いている。問題はこの本が未だに売れており、この内容を、橋本先生ご自身が『間違っている』と言われた内容のまま売れ続けているということだ。



なお、『楽と快は違う』ということは、橋本先生の本には書かれていないため、一般人が知る機会はあまりない。今までも師匠や私が書き続けているが、これからも叫び続ける必要があるだろう。



・一つ一つの動きに、快適感覚の有無をからだにききわけて、ききわけられた快適感覚を味わう。操法の選択、たわめの間、脱力、操法の回数はからだの要求に従う

・刺激にならない皮膚への接触によって、内部感覚をききわけ、味わう(からだにゆだねる)。



正體術の時代、第1分析の時代は、操者の指示に従って動診、操法、たわめの間、脱力と誘導し、操法の回数の2回〜3回と、操者が指示した。その後、再動診として、最初の動きと

比べていたのである。ここで一番難しいのは、被験者を瞬間急速脱力に導くことだ。正體術の場合、何故瞬間脱力が必要かと言うと、瞬間的に抜かせないと、骨格は矯正できないからである。このような操者の客観的な動診・操法から、橋本先生ご自身の『きもちのよさでよくなる』『楽と快は違う』という言葉によって、『快』のききわけに特化し、動診・操法から操者の決めつけを排除し、「からだ」を主人公に設定し、『からだにききわける』というキーワードを導入したのが第2分析である。これは、『患者』に聞くのではなく、『からだ』に問いかけるのが、最大のポイントである。『患者(自分)』は『楽』を選択するが、『からだ』は『快』を選ぶからである。



私はこれを眺めていてふと気がついた。

私が愛読している『乗り移り人生相談』の一節である。

この章のタイトルは『夫婦がダブルベッドで一緒に寝るなんて愚行だよ』というものである。



(続く)