10月の末、全国操体バランス運動研究会仙台大会に土曜だけ参加してきた。滞在時間が短いので、土曜の午前中は所用を済ませたりした。参加者の中には私達を見ていて「午前中出て行った。橋本敬三の心、というテーマで大会をやっているのにけしからん」と言った方が居るとかいないとかの話を聞いた。
ちなみに、午前中は「市民講座」であり、無料のプログラムである。私のところに現在勉強に来ている宮城在住の方も「無料の午前中だけ参加した」と言っていた。つまり彼は参加費用がかからない午前中だけの参加だったということだ。
用事があったのだから仕方なかろう。また、発表された須永先生に失礼にならないように、始まる前にちょっと退出したのである。始まってから出て行くのはもっと失礼ではないか。
ちなみに、これは要旨集だが、大会の最中に要旨集を読んでいた師匠が「おい。これはヘンだな」と、私に言った。
「ヘン」なところとは
「草創期の操体法の操法は、高橋迪雄氏の『気持ちのいい方へ動くと治る』という、"正体術矯正法"に頼るところが大きかった。ゆえに、操体法草創期の「動」は操体法のオリジナルではない」
と書かれているところだ。
これは、要旨集に書かれていて、発表される文章である。
さて、どこがヘンかというと
「草創期の操体法の操法は、高橋迪雄氏の『気持ちのいい方へ動くと治る』
というところだ。
正体術が「気持ちいいほうに動くと治る」というのは大きな間違いである。元々日本には骨法などのように、可動域のいい方に動かして瞬間的に力を抜かせるという技法があった。そこから来ているのは間違いないし、実際正体術の本を読んでも「きもちいい方に動かすと治る」とは書かれていない。
師匠が帰り際に、原稿を書いた神戸のW氏に話に説明していた。「正体術は『気持ちいい方』ではなく『楽な方』だよ」と。
W氏は次の日この要旨集を使って発表する予定だった。ご本人は「ご指摘ありがとうございます」と言われていたそうだが、これを機会に、「楽ときもちよさ」の違いについてもう一歩踏み込んで考えて頂きたいと思う。
また、「ご指摘ありがとうございます」という返事をされたW氏の素直な対応も本当に良かったと思う。
世の中には、間違いを指摘されると、怒る(例えば「楽もきもちよさも同じだ!そんなことどうでもいい!)と怒鳴るとか)人もいるからだ。
橋本敬三先生が卒寿の席で『楽ときもちのよさは違う』と言われているが、これに関しても、その話を聞いていた人と、いなかった人がいるのも事実である。聞いていた人は『そうか、楽ときもちよさは違うのか』と、気づきを得、その場に居ながら聞いていなかった人は、この重要な事実を30年近く『知らなかった』のだから、その差は大きい。