操体法大辞典

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運命の人は一人の時に現れる


運命の人は、一人の時に現れる。―パーティーを卒業できる38の方法

運命の人は、一人の時に現れる。―パーティーを卒業できる38の方法

久しぶりの中谷本。
これは女性向けに書かれているように見えるが、男性が読んだほうがいいのではと思う。

彼の「あげまん」論は、運のいい男と悪い男がいるのではなく、あげまんとさげまんがいるだけだということ。男は関わった女性から運をもらったり運が下がったりするのだそうだ。男性は「さげまん」に関わらないのも運のうちらしい。また、女性で美人で明るくて積極的でも「さげまん」がいるというショッキング(?)な事も書いてある。

  • 妙なハイテンションの男にあげまんは寄ってこない

これは何となく納得。

  • 奪われないものと持つと、さげまんは寄ってこない

奪われないものとは?それは「技」なのだ。職人さんはそれほどお金持ちであるとか、現金をたくさん持っているわけではないのだ。

芸を持っていたり、技のある人はお金持ちではありません。芸や技はコツコツ積み重ねていくことなので、ある時はあるけれど、次の年はないということはありません(中略)芸を技のように時間のかかるものを持つことです。お金だけなら短時間でお金持ちになることもできます。
芸や技を身につけたりするのは、長い時間がかかります。一気に成長はできません。
そのかわりに、急激に落ちることも、リバウンドもありません。一気にお金持ちになるということは、リバウンドがあるのです。お金で判断して人と付き合わないことです。お金が入った時には、お金を自分の芸や技にかえて身につけておけばいいのです。

女性で「私は癒し系だから」と自分で言うのは、単なるローテンションなのだ。本当の癒し系は「白い巨塔」の主人公が通うクラブのママみたいな人を言うらしい(田宮次郎バージョンなら太地喜和子が演じた)。癒し系とか天然とか、意外と勘違いが多いのかもしれない。


この本と姉妹本と言ってもいいだろう。むしろ、こちらよりも「ズバズバっと」書かれている。サブテーマが「パーティを卒業する38の方法」とあるが、要は「さげまんはパーティが好きだ」ということだ。

  • あげまんは1人でご飯を食べている
  • あげまんとさげまんは同じ経験をしても解釈のしかたがちがう
  • 変われるのに「変わろうとしない」のが、さげまん。
  • さげまんは「イヤ」な状態でブツブツ言っているのが好き
  • あげまんは自分から「私はあげまん」と自分から言わない
  • あげまんは運を1人の「運命の人」に預ける
  • あげまんは「運命の人」を探す。さげまんは結婚相手をさがす

なかなか辛辣ではないか。

  • あげまんに感謝すると、さげまんにかかわらない
  • あげまんは淡々としている(ローテンションなわけではない)
  • さげまんは、同じ相手を好きになったり、嫌いになったりする
  • さげまんは、つきあっている間から、ふられた時の事を考えている
  • あげまんは、恨みを買うことを恐れない

親友にさげまんがいる場合、恨みを買わずにどう引き離せばいいでしょう。この「恨みを買わずに」という考え方はすでにさげまんの発想です。あげまんは恨みを買うことを全く恐れません。それを恐れる人は、八方美人的、さげまん的な発想をしているのです。「恨みを買わずに○○するにはどうしたらいいだろう」という発想からまず抜け出して、「恨みを買っても結構でございます」「さげまんに恨みを買ってもなんの痛みもありません」と考えることが、さげまんから脱出するためには大切なのです。「恨みを買ってもいいから引き離すにはどうしたらいいか」という人もいます。引き離すというのは、自分が動かないという発想です。
さげまんを引き離すのではなく、自分がいなくなればいいのです。さげまんを引き離そうというのは、自分はじっとしていて、相手に「あっちに行って」と言っているようなものです。
「私1人で行きますから」「私1人で帰りますから」というのがあげまんの発想です。

読む度に何だか身が引き締まる本なのだ。なお、私は携帯の「モバイル中谷塾」で読んでいる。