- 作者: 井本邦昭
- 出版社/メーカー: 高橋書店
- 発売日: 2011/12/10
- メディア: 単行本
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井本整体の井本邦昭先生の著書「人体力学」を買った。
私が知っているある鍼灸の先生は、井本先生と鍼灸学校で同級生だったという。野口整体を学ばれていたお父様の影響もあり、5歳から患者を診ていたと聞いている。その昔、レーガン大統領が来日時の晩餐会で、腹痛を起こして倒れた時、山口から自衛隊機で皇居まで呼ばれたのも井本先生らしい。
私は井本整体も野口整体も、その素晴らしさを知っているのだが、敬意をこめて手を出さないようにしている。
操体は「症状疾患にとらわれず、ボディの歪みを「快適感覚を味わうという治療をとおして」正すことにより、二次的にその症状疾患を解消する」つまり「この症状にはコレ」というシバリがないのである。
一方、体癖やボディに現れた現象を診て、その因果関係を紐解きながら繊細な治療を行うのが、井本先生や野口整体であると思っている。いわゆるインテリは結構野口整体好きが多いが、それはセオリーがきちんとしているからだろう。操体は、ある1人の患者を数人の操体プラクティショナーが診るとすれば、その数だけアプローチ法がある。パターン化できないのが最大の面白みなのである。
逆に言えば「こうすればこうなる」とか「こういうときにはこうする」という明確な指針が欲しい人にとっては何だか得体の知れないものに見えるのだろう。
逆に言えば、操体には『例外』がない。全部例外みたいなものでもある。
操体も井本整体も野口整体も、つまりは、ゴールは「治癒に導く」ことなのだが、プロセスと診断法が全く違う。
たまに野口整体と操体をミックスした治療をしている、という先生がおられるが、その方々は内に大きな矛盾を抱えている。というかその矛盾を誤魔化す時に、ねじまげられるのが操体である。操体は「柔らかい器」であり、他意ある人間にとっては、都合良くねじ曲げることができるからでもある。
なので私は井本先生も野口整体も素晴らしいと思うのだが、敬意をもって手を出さないのだ。
井本先生にも、野口先生にも、操体に対しても失礼だからだ。
といいつつ、井本先生の本「人体力学」は面白い。何が面白いかと言えば「からだの読み方」が面白いのである。肩甲骨の間の三角ゾーンが急所であるとか「なるほど〜」なのである。
また、こういう一般書を読んでいる時の楽しみは「どこまで秘伝を書いてあるか、忍ばせてあるか」を読むことでもある。