お金はエネルギーなのです。
先日、あるマンガを読んでいたら「霊能者が除霊をした場合」や「お坊さんが祈祷をした場合」の話が書いてあり(なんのマンガかバレバレといえばバレバレ)ました。
例えば、霊能者が除霊をします。
その際、依頼者からお礼をいただかないとしますよね。
その場合、もし効果がなかった場合「あ、やっぱり無理だったね(タダだしね)」で、済みます。
が、このような場合、依頼者はお金を払わない代わりに、霊能者の「業」をうけるのだそうです。
逆に、霊能者が法外なお金を請求し、結局は除霊できなかったという時は、霊能者が被るのだとか。
これ、治療の世界でもあることです。
「施術料を払わない」というのは、受け手からするとありがたいかもしれませんが、施術者が抱えている「業」を受けることになります。
また、施術料をいただかないということは、「タダなんだから、効かなくても文句言わないでね」ということです。
★タダほど高いものはない。。って言いますよね。
★私達も、シチュエーションによっては「こちらからお願いしても受けていただきたい」ということはあります。その場合は勿論お願いします
★しかし「知りあいなんだからタダでやってよ」とか、「あ~、最近肩凝ってるんだ」とか言われると、萎えます(笑)。やらないけど。
そして「今、修業中だから、実験台になってもらえる?」ということでもあります。
これは、我々が一度は経験することですが、ありがたく練習台になってもらうしかありません。我々もこうやって、人様のカラダを借りて成長するのです。
毎年、伝統療法カンファレンスで、フォーラムのメンバーや、足趾の操法を勉強したメンバーが、実際に施術料をいただいて施術をします。
「一般社団法人日本操体指導者協会」という看板の元で、プロとして施術を行うわけです。
まだ開業していないとか、勉強の途中という場合、相手は家族や友人のみというケースが多く、実際にお金を受けとるという経験がないことがあるのです。
実際に、施術を受けて頂いて、自分が使ったエネルギーの対価として、お金をいただくという経験をすると、皆、変わります。
これは、驚くべき変化です。
「責任」というものがそれぞれの中に生まれます。
聞いてみると「あきらかに変わった」という答えが返ってきます。
対価をいただかないということは、腕に自信がないとか、責任を負いたくないとか、本人は気づかないけど、本人の業を相手に渡しちゃったりしているのです。
神社やお寺では、お賽銭をおさめますよね。あれは、感謝の気持ちをお金のエネルギーに換えて納めているのです。
何かで読んだのですが、ある人が、お賽銭を納めるよりも、信心とお祈りで神様にお願いしよう、と一心に修業に励んだところ、神様から「お賽銭を納めなさい」という神託があった、という話もあります。これは多分「持っているのに出さなかった」のではないかと思います。
お坊さんは托鉢をしますし、お釈迦様は、貧しい人達ほどお布施が必要だと説きました。それは「出さないと入ってこない」から。
そういえば、マイ神社に初詣に行きましたが、用意した500円玉が何故かカバンの中で行方不明になり、結局お札を納めてきましたが、あとで500円玉が数枚カバンの中から出てきまして「あ、お札を納めてよかったんだなぁ」と思う事がありました。