20年前以上も前のことだ。
区のコミュニティセンターに頼み込んで、操体の講座をやらせてもらった。
当然ながら参加費は無料(講師は若干ギャラが出る)。
区民ニュースに掲載したところ、すぐに定員が埋まった。
そして、参加者のリストを見ると、やはり年配の方が非常に多い。
この時は、セルフケアを紹介したが、案の定最後のほうになってくると
「センセイ、私、膝が痛いから診てくれない」とか
「腰が痛いから診てくれない」というように、セルフケアではなく「治してちょうだい」になってきた。
これは予想済みだったし、ここで施術を始めてしまうと「私も私も」ということで(タダだし)キリがない。
実際、保健師さんが操体教室をやっても「自分でやるんじゃなくて、やっぱり治して欲しい」ということになり、保健師さんが施術をする羽目になって疲れてしまうということもあるようだ。
★さて、何故「セルフケアよりもやってもらいたい」ということになるのか。
当然ながら、人にやってもらうほうがラクだし自分で責任を取らなくていい。タダなら(といっても例えば保健師さんには税金からお給料が支払われている)尚更だ。
その時は「個人セッションは個別に受けますが、今日ここでは施術はやりません」というアナウンスをした。結局その後、その講座の参加者は「個人セッション(施術)」には来なかった。やはり、公民館とかコミュニティセンターで、タダで施術を受けたいのだろう。
まあ、これはあらかじめ予想がついていたことだ。コミュニティセンターなどで講座をやると「セルフケアですよ」と言っても「ここを治して欲しい」というリクエストは来るものなのだ。それを上手く突破するのも、講師の才能のうちかもしれない。
もう一つ。この講座を行った時、一人の女性が私のところにやってきた。
「操体って、とっても素晴らしいですよね」と、にっこり笑って言った。
その時、なんだかいやな感じがした。理由はわからない。
その方は再度
「操体って、とっても素晴らしですよね」と言った。
その後も、あのヘンな感じは何だったんだろうと考えてみたが、よく分からなかった。
敢えて言えばスピ系でポジティブな事しか言わない人の「きもちわるさ」だろうか。
★陰と陽の「陽」しかみていないと、その裏にある「陰」が、邪悪なものに形を変えることがある。
★中世の魔女狩りは、キリスト教の聖職者によって行われたが、それは厳しすぎる教会の規律に対する裏返し、つまり抑圧された感情や性欲が、魔女狩り(魔女狩りでどのような拷問が行われたか調べてみるといい)に転化したという説もある。
★一部のポジティブ思考スピリチュアルと仏教の違いは、ここだとも言われている。「死や闇について、語らない」「ないもののように扱う」。
仏教は「生死」を考える。
★橋本敬三先生の言葉で「あの世はみんな行くところだから、きもちのいいところに違いない」というものがある。
そして、最近気がついたのだが、私がその女性に「イヤな感じ」を感じたのは「操体ってすばらしいものですね」という言葉の裏に「タダでやれば」というニュアンスだったのではないかと思った。
8月12日~14日は「操体夏季講座」です。
2019年夏季操体講座(お盆に操体@2019)詳細のご案内(2) - 操体法大辞典