先日、国際東京仏教塾の皆さんとの会合がありました。
昨年秋に在家得度してから早半年。中にはお寺に修行に行っている人もいらっしゃいますし、すでに単立寺院で出家して、仕事をしながら修行をしている方もいらっしゃいます。
私はまだまだ俗世に未練がある(笑)ので、在家の仏弟子としてふつ~に過ごしています。
話を聞いて「あれ?」と思う事がありました。
「雑用や作務ばかりで、なかなか修行(坐禅とか托鉢)させてくれない」という話です。
いや、雑用や作務って、修行じゃない?
寿司職人を目指しても、最初は皿洗いからだよね?
お勤めしても、最初はコピー取りとか、そのあたりからだよね?
★最近は、寿司職人でも最初から握らせないと居つかないので、結構最初からやらせるところもあるようですが。。。
★また、皆さんある程度お年を召しているので「先があまりないので、なるべく早く効率良く修行をしたい」と思っていらっしゃるのもわからないではありません。
という話を後で師匠にしたところ、「雑用も何もかも全部修行だ」と。
若い頃、三浦先生の朝の仕事は、橋本先生の診療所の準備(掃除して火鉢に火を入れて)だったそうです。
また、お孫さんが傘やお弁当を忘れるとそれを届けたり。
なお、これも何度か書いていますが、通いの弟子と住み込みの内弟子の話です。
通いの弟子は「何曜日の何時から稽古」と、稽古をつけてもらいますが、住み込みの弟子は稽古の時間はありません。
しかし、住み込みの弟子のほうが、上達は早いと言われます。
師匠の身の周りの雑用をこなしたり、側にいることで「空気」を共有できるからです。
また、近くにいれば(師匠も人間ですから)いいところも悪いところも見えてきます。大抵は「いいところ」ばかり見ていて、「悪いところ」を見てがっかりするのです。
近くにいる弟子はその両方を見ることができるので、一層近づくことができます。
私達はそこまではやりませんが、近い弟子というのは、相当細かい雑用までやります。
ビジネスライクに「習う時だけ先生」というのもアリかもしれませんが、「芸事」や「伝統芸能」「手技」などは、「空気感」も習う必要があるのではと思っています。