昨日は二ヶ月ぶりに、易の学校に行って来ました(4月5月は休校)。
久しぶりの講義で、先生のお話はまさに「秘伝」で濃厚なもの。
時間があっという間に過ぎていきました。
終わってから帰り支度をしていると、受講生の一人が「先生、定時より5分早く終わってるよ」と騒いでいました。
私は「今日の授業はすごく濃厚だったから、5分早くとか関係ないですよ」と言いました。
私は師匠から「臨床は時間じゃなくて質だ。オレ達は時間幾らで臨床をやっているわけじゃない」と言われていますし、定例講習にせよ、中味が濃すぎて受講生がアップアップになったら「今日はこれまで」と切り上げます。
また、臨床も長時間かかることもありますが、それはからだの状況なのであって、長時間やったからどうこうというわけでもないし、10分で終わることもあります。
5分早く終わった、と言っていた方は「損か得か」で生きているのです。
確かに、普段の教室内での言動を聞いていても「損か得か」を感じます。
「正しいか、正しくないか」と「損か得か」で生きると、辛くなります。
この方は、多分辛いんだと思います。
特に、人間関係や、恋愛で「正しいか、正しくないか」と「損か得か」で選択すると、辛いことが起こります。
ちなみに、一昨日からこの本を読んでいますが、この方は「損か得か」で、生きている人なんだなと痛感しました。途中での、あまりのウソつきぶりにげっそりしましたし、権力のある年上の男性への取り入り方や、用済みになるとポイ捨てするとかというのは、はっきりいって不愉快です。って、こういう女性っているけど、ここまであからさまだとね。また、日本のマスコミの欺されやすさにもげんなり。
面白かったのは、舛添要一氏と一時付き合っていて(マスゾエさんから振られたらしい)、自分を振った男を蹴落として都知事になったということ。これは確かにすっきりしただろうと思います。
小池さんは、お分かりのとおり「損か得か」で都知事の座まで得たということです。
操体は「快か不快か」つまり「好きか嫌いか」で選択しますが、その根底には「人には迷惑をかけない」というルールがあります。
「好きか嫌いか」「快か不快か」で物事を選択し、人には迷惑をかけない(まあ、厳密に言えば、人間生きていれば他者に迷惑をかけているんですが)というのが、これからの生き方ではないかと思います。