こんにちは。仏弟子(曹洞宗で在家得度している。父母の実家は曹洞宗)畠山です。
実家の父が入っているお墓は近所にありますが、そこは何故か日蓮宗のお寺です。
父が亡くなった時、丁度「お墓がない!」という時で、ご縁があってそのお寺の墓地を分けていただきました。最近の東京のお寺は「宗派問わず」が多くなりました。
一方、ご縁があって、ある真言宗のお寺に行って来ました。わたくし、真言宗もかなり好きなんですが(同門T本君と、高野山東京別院で、金剛界と胎蔵界の結縁灌頂を受けてきたくらいです)、密教と言えば「三密」です(コロナよりもこっちの三密のほうがずっと昔からあります)。
これ、ホトカミに判りやすい説明が載っていますが、
「身密(しんみつ)・口密(くみつ)・意密(いみつ)」の3つを合わせて三密です。
操体・操体法を実際に用いるには「ことばの誘導」がとても大事です。
多くの人は「操体っていうのは、テクニックを覚えればできる」と思っているかもしれません。
勿論、セルフケアの場合は「自分のからだ」に問いかけるのですから、コツがわかれば大丈夫です(それでも操体は「からだ」に、客観的に問いかけるので、コツは必要です)。
問題は、他者に行う場合です。
実際、教室や講習では「お互い慣れた人」にやるので、みんな「ものわかりのいい被験者」になってくれます。
私も講習でよく見かけますが、操体をある程度勉強しており、連動もわかっていて、感覚のききわけに慣れている人が被験者役をやれば、わりとサクサクっと行きます。
しかし、実際に「操体を受けたことがない人」に対して、「操体に慣れていて感覚のききわけに慣れている人」のように接しても、期待したような答えはまず返って来ませんし、動いてくれません。
ここが、勉強のしどころです。
例えば仰臥膝二分の一屈曲位で、膝を右に傾倒(倒す)場合、
ド素人は「膝を右に倒して下さい」と言いますが、
操体のプロはもっと細かく説明します。
どうやって説明するかは(これは勉強してもらわないといけませんので)略しますが、
プロセスを数えると、膝を傾倒するということに対し、スタート点はここ、次はここ、その次はここ、そしてここ、そしてそこ、のように「連動」がアタマに入っているので、途中に「ゆっくり」とか、呼吸の指導をいれながら、全身形態の連動を促します。
なお、膝を倒して、というと、柔らかい人は、膝だけバタンと倒したり、逆に固い人は、からだごと転がったりします。こうなると、動診に行けません(汗)。
私が三浦先生から習ったのは、この辺りの「動いてくれない人を、どう操るか」ということでした。
操体の指導で一番難しいのは、手で触れずに、言葉の誘導だけで、被験者のからだを操るということです(気がつきました?被験者、ではなく、「被験者のからだ」です)。
「患者さんが動いてくれない」というのは、「操体初心者あるある」ですが、それは、言葉の誘導になにかあります。
というか「からだ」に伝わっていない可能性があります。
殆どの人は「被験者のアタマあるいはエゴ」(損得、正しい正しくないで判断する脳)に問いかけていますが、
そうではなく「からだ」に問いかけるのです。
この辺りをずっと勉強していたら、ヒプノセラピーなどで使う言葉の誘導なども大きなヒントになりました。
橋本敬三先生が「患者の意識を変える名人」だったというのは、多分この辺りにあったのではと思います。
三浦先生の言葉の誘導も、かなりこの辺りが入っていると思います。
以前、丸暗記は得意なので、三浦先生の誘導の文言はまるっと覚えて、実技でもそれを再現できる人がいましたが、どうも言葉が響かないということがありました。
よく観察すると、丸暗記の棒読みの一本通行なのでした。
要は、自分が一方的に、立て板に水的にぺらぺらと喋っているだけで、被験者及び被験者の「からだ」は「???」という感じです。
操者だけがわかっていて、ぺらぺら喋っていても、ダメなんです。
これを「どうやってからだに伝えるか」という勉強が必要です。
これは、私がかなり読んでいる大嶋信頼さんの小説です。
女子高校生が主人公の「小説」ということで、後回しにしていたのですが、この前時間ができたので、読んでみました。
素晴らしい本です。
本自体が、「催眠」のスクリプトになっているのですが、読むと「心が自由になる」という感覚が、よくわかります。
登場する「サラリーマンみたいな普通のおっさん」は、大嶋さんの本によくでてくる「催眠のお師匠さん」です。
多くの場合「催眠」というと、サルにされるとか、自分の恥ずかしい秘密を喋っちゃうとか、なんだかそんなことを想像することがありますが、ここで出てくる「催眠」は「なんにもしない」ということ。
セラピストのみならず、対人サービス業の方は、是非お読みになってみてください。