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操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体の本を読んでもやり方がわからない時はどうする?

操体法の実際 茶を喫す(操体談義)

操体の施術+ベーシック講習を受ける方の、ほぼ8割が
「本を読んでやってみたけどわからない」と、おっしゃる。
うん、本を読んだだけではわからないだろう。 

あとの2割は
操体は初めてだけど、どうせなら初めから、ちゃんと覚えたい」という感じだ。

皆さん、大抵は「万病を治せる妙療法」か「操体法の実際」を
読んでいる。

万病を治せる妙療法―操体法 (健康双書ワイド版)

万病を治せる妙療法―操体法 (健康双書ワイド版)

 

橋本敬三先生は、5歳を越してからは
「楽(な動き)ときもちのよさ(快適感覚)はちがう」
「動きより感覚の勉強をしなさい」
「呼吸は自然呼吸でいい(呼吸を意識すると、感覚のききわけが
おろそかになるから)」
という言葉を弟子に残しているが、残念ながら現在出版されている
橋本敬三医師の著書には書かれていない。

以下は操体が「楽」から「きもちよさ」(原始感覚)に変わった時の
出来事だ。
今昭宏先生の執筆による。 

>>

1983年5月11日の仙台の温古堂診療室の朝、私が温古堂勤務初日の出来事でした。

橋本敬三(翁)先生86歳と私26歳と三浦先生34歳、他に受付のみよちゃん、
事務参与、そして今は亡き佐藤武先生がそこにおりました。
最初の患者さん(おばあちゃん)がベッドに寝ました。 
私は足のゆらし操法(足指もみ)からスタートしました。すると突然、 
「他力は便うなー!今君は原始感覚を指導しろおー !」と翁先生に怒鳴られました。 
ものすごくびっくりしました。 
「気持ちのよさで治るんだから、そのことを患者さんに教えろ」。
ということでした。
翁先生がやれということですから、絶対服従です。

いつも火鉢の所に座って私のやっている操法を監視しているのですから
逆らうわけには行きません。 私はそんな翁先生の視線を感じつつ操法のとき
に患者さんに動きの感覚をたずねながら、
とにかく気持ちのいい動きと
たわめと脱力を心がけました。 

するとどうしても操体の本に出ている方法と違う方法をやらなければならなくな
って、 少し困りました。 

動く方向も回数もたわめる時間も脱力の仕方も全部を気持ちのよさ
に合わせてやる方法が続きます。 
翁先生もおもしろそうにそんな
やりとりを見ていました。 

しばらくためして私はそのことを翁先生にたずねてみました。 
質問の答えは大体わかっていました。 

でもあえて私は質問をしてみました。 

「先生、本には楽な方にとか3-4回とか息を吐きながらとかと書いてありますけど、
これは全部を気持ちよさに合わせてやっていいのですよね?」 
「それでいいんだ。気持ちのよさを味わうのが大事なんだ」 
翁先生は力強く答えました。 

そんなカミナリ事件をきっかけに、操体の本家である温古堂での技法が
目安としての方法を指導する技法から、
一歩進んで原始感覚主体の操法へと進化したのでし た。 

(「VisionS」 2005年秋号掲載) 

<<

「万病」は、操体の理論や、日々の生活のヒントには詳しいが、

実際の操法は、イラスト、それもデフォルメされたイラストなので、
操者がどうやって膝に介助を与えているのが、脱力後は手を放すのが、
それとも支えるのか、全く記載されていない。
また、この本をよく読むと「コツがある」と書いてあり、
他の本には「家庭でできるとしたら、クスグリ療法くらい」と、書いてある。
つまり、他者に操法を施すのはコツがいるということだ。
本を読んで、家族や友人にやってあげたいという気持ちはよくわかる。

もし、やってあげたいのだったら、一度専門家に習ってからにして欲しい。

加減がわからず、相手に怪我をさせてしまうとこわいから。
操体は安全だが、それは作法とルールを守ってこそなのだ。
実際「本を読んでやっている」のを見せて頂くと「危ないなあ」とか
「これじゃ、ますます悪くなるなあ」思うことがある。

操体法の実際」は、写真が載っているので、誰かにやってあげたいという方や、やり方を知りたいという方が購入する。しかし、写真では、分かりにくいのと、誰かを相手にした時、相手がなかなか自分の思うようには動いてくれないことがわかる。

写真 図解 操体法の実際 (健康双書ワイド版)

写真 図解 操体法の実際 (健康双書ワイド版)

それでは一人で行う、自力自動の操体
(ひとり操体、という方もいるが、私達はこのように呼んでいる)
はどうだろう。

実は、操者と被験者(受ける人)で行う操体をそのままやっても、
あまり面白くないしきもちよくもない。何故かと言うと、

きもちよさ、快適感覚の聞き分けには、

  • 操者の介助補助あるいは自らのからだを使った介助に相当するポジションをとる
  • 部分だけでない、末端から全身形態への連動、感覚をききわけながらゆっくり動くことが必要

多くの方々は、介助補助補助なし、部分しか、しかも早く動かしすぎている。なので、きもちよさをききわけにくいのだ。

★これは、レッスンを受ければ自分でできるようになる。
操体の施術+ベーシック講習」を受けた方は皆できるようになっている。

★ちなみに、健康で、身体能力が優れている場合「動いただけで全身が連動し、
きもちよさが即ききわけられる 

もうひとつ。
「どちらがきもちいいか」という勘違いをしている。
最近、操体を「からだをきもちいいほうに動かす」という認識の方が多いのだが、
操体は「診断(分析・動診)」と「治療(操法)」の二つのステップがある。
「きもちよく動かす」と言う言葉、聞き流してしまうかもしれないが、
よくよく考えると、
例えばぎっくり腰で来る方、
首を寝違えて来る方に対して
「きもちよく動いて下さい」といえるだろうか?

臨床をやっている(患者様を診ている)なら、そんなことは言えないはずだ。
そう言う場合は、操体の臨床をやっていない
か、セミナー屋さんだ

★ちなみに最初から『きもちよく動いて』、という指導をしている場合、
臨床をやっていないか、あるいは「患者さんのきもちよさがわかる」
特殊能力を持っているのである(世の中にはこういう方も存在する)。
こういう方は患者様の「きもちよさ」を瞬時にキャッチしているのである。
これを凡人が真似しても上手くいくはずがないのだ。 

★大抵の患者様は「きもちよく動いて」と言われても
「どうやって動けばいいんじゃ」 と、思うはずである。

また、どちらが楽か辛いかと、比較対照するのは分かりやすいのだが、
きもちよさというものは比較対照しにくいものなのだ。 

★ストレッチなどでは「きもちいいほうに伸ばす」という言葉を聞くが
これは非常に曖昧な言葉である。元気で健康な人なら、どんな動きをしても
伸びてきもちいいかもしれないが、どこかにトラブルを抱えている方は
そうはいかない。
きもちよさは「試してみなければわからない」のだ。
操体は、同じきもちよさでも「なんとなく」ではなく、
質の高いきもちよさを味わうことを目的としているので、
「きもちよさ」という言葉には結構敏感なのである。 

きもちよさ、は、感覚なので「きもちよくない(不快)、なんともない
(二ユートラル)、ちょっときもちいい、とてもきもちいい
(けど続けなくてもいい)、とてもきもちいい
(このまま続けて味わいたいというからだの要求がある)、
ものすごくきもちいい
(このまま味わっていたい
というからだの要求がある)」
というように、どれくらいきもちいいのか、というスケールで
計るほうがわかりやすいのである。

操体の診断(分析・動診)で、きもちよさをききわける場合は、
「この動き(一つの動き)に、きもちよさがききわけられますか?」と
問いかける。 「どちらがきもちいいですか」とは聞かない。

★「どちらがきもちいいですか」→患者、わからず→操者困る→
「きもちよさを探して」と言ってしまう→患者、よくわからないので
もぞもぞ動いてみる(動診になっていない)→操体ってわかんない・・

ということになる。

★つまり「どちらがきもちいいですか」とか「きもちよく自由に動いて」とか
「きもちよさを探して」という指導をしている場合、
『楽(な動き)と快(適感覚)の違い』が分かっていないのである。
 

なので「きもちよく動かす」前の前提条件として「ゆっくりうごかしてみて、きもちさがききわけられたら(味わってみたいというからだの要求を満たしていたら)、それを味わう」となる。味わうということは、そのままじっと味わっていることもあるし、きもちよさにゆだねて、きもちよく動くこともある。