何度でも言います。
操体では「きもちよさを探すのではなく、ききわける」のです。
たまたまネットで
「操体もやっている」ところで
操体は、きもちよさを頑張って探す
と、書いてありました(汗)
勉強している人ならば、どこが突っ込みどころかお分かりかと思います。
あの、操体あるあるで、「いろんな先生や、やり方があってもいいんじゃない」というのはペケです。
何故ならば、操体の基礎概念である「からだにききわける」という大切なことに反しているからです。
そもそも「からだにききわけて」というのは、橋本敬三先生の時代から続いている(第一分析時代からですよ)操体の伝統です。
「からだにききわけて」という言葉の主語は、「からだ」です。
「きもちよさを探して」という言葉の主語は、「自分」なんです。
「自分の動きとからだの動きは違う」
これは、我々が師匠である三浦寛先生から常々聞いている言葉ですが「え?自分の動きって、からだの動きじゃないの?」って思うかもしれませんので説明します。
こちらは以前東京操体フォーラムで半蔵さんが使った資料です。
操体と他の他力療法の違いがよくわかります。
一般の他力療法は、治療者と患者の一対一ですが、操体は、患者(本人)と「からだ」はベツモノとしています。人間、生きていると思考的なクセや、からだのクセが染みついているものです。そのクセ(思考)のスイッチを切って「からだ」そのものに問いかけようというのが、操体です。
そして、その「思考のスイッチを何で切るか」というと、快(きもちのよさ)や、第五分析の手法です。
そして、最近知ったのですが、最近の催眠療法は、我々がステレオタイプで想像するようなものではなく、通常の会話の中に「催眠」というキーワードを入れただけで、催眠モードに導入するとかできるそうです(大嶋信頼さんの本で読んだ)。
我々はからだのみならず、言葉も操るのですが、なんだか催眠療法というかヒプノセラピーにも通じるものがあるような気がします。
橋本敬三先生も、瞬時に患者さんの意識を変える名人だったそうですから、この手法は使っていたと推測します。
なぜ、同じ「操法」をやっても、効く人とそうでない人がいるのか。
テクニックは当然ですが「言葉」(言葉の波動も含む)もあるのではと。その証拠と言ったら何ですが、スペインの人に、日本語で話しかけても波動は通じるんです。
私達が「言葉」に注意を払い「何故『きもちよさを探して』という誘導が、操体の臨床としては妥当ではないか」ということです。
逆に「からだが主語だろうが、自分が主語だろうが、探そうが聞き分けようが同じじゃん」ではないのです。
が、言葉の重要な働きを「知っていて操体をやる」のか「知らないでやる」のとでは、差が生まれるのは当然です。
2019年 操体法講習のご案内 | 操体 三浦寛 人体構造運動力学研究所
操体法東京研究会の定例講習に参加した方は、実技に入ると「言葉の誘導をうるさく言われるなあ」と思うかもしれませんが、私達実行委員も講習の中でばっちり鍛えられてきました。
逆に言えば「自分の言いたいように言っていいですか」と、言葉の誘導や使い方をマスターできなかった人は、コケてます。
なぜ、コケるかというと「からだを操る言葉」をマスターしていないから(つまりは中途半端ということ)。
これは、橋本敬三先生にはじまり、53年操体臨床に携わってきた三浦先生の経験や、私自身も操体を25年やっていて「あ、これが体感語だな」というのがわかるようになってきました。
そうなんです。操体臨床には、テクニック的なものも必要ですが、言葉の誘導も結構必要なんです。
「言葉ありき」なのです。