操体法大辞典

操体の専門家による、操体の最新情報など

操体で「快をききわけ、味わう」には。

操体でセルフメンテするなら、やはり一度専門家にみてもらうことをおすすめします。私とか(笑)。

 

というのは、私のところ

TEI-ZAN操体医科学研究所

https://www.teizan.com/

には

1.本を読んでもわからない

2.気持ちよさっていうけどわからない

3.動画を見てもわからない

 

という方が、多数いらっしゃるからです。

1ですが、ポピュラーな2冊(万病と実際)は、イラストがアバウトすぎるのと、一番皆さんが知りたい、スピードや力加減、タイミングが載っていません。

2ですが「万病・実際・ひとり」など、農文協から出ている操体の書籍は、創始者橋本敬三が「きもちのよさでよくなる」と、明言する以前のもので、メインは「楽か辛いか」「痛いか痛くないか」「痛みから逃げる」という、第一分析がメインです。

しかし読者は「操体って快」という目的をお持ちのことが多いのです。

楽か辛いかを比較対照して楽な動きを選択する操法なのですから

 

ここで「快」とか「きもちのよさ」を、期待しても、得られるわけがありません、という話です。

 

そもそも第一分析は「快」に関わっていないんですから。

万が一、きもちのよさに行っちゃったら、第二分析に切り替えて、対処するのみです。

 

また、きもちよさ、快というのは、その人にしかわからない「感覚」です。

 

なお橋本敬三先生も「この動きは大抵の人は気持ちいいっていうよね」という動診について書いている箇所もありますが、特筆すべきは、「きもちいいうごきをすればいい」とおっしゃっているだけで、

「どちらが気持ちいいですか」という、きもちのよさ、つまり快の二者択一をしなさいとはおっしゃっていないのです。

 

これを勘違いして「どちらかきもちいいですか」という、自分が聞かれたら答えられないような、あるいは自分がわかるからと言って、自分の感覚を被験者に押し付けるような指導者がいるので

 

「どっちが気持いい???わからない。。私には操体を受ける才能がないのか?」と、被験者を落ち込ませてしまうのです。

 

それでも「やっぱり操体を受けて、快を味わってみたい」と、私のところにいらっしゃるわけです(ありがたや)。

 

ここでは「操体臨床で味わう快」についてお話しします。橋本敬三は「人に迷惑をかけないこと」とおっしゃっています。

 

いくら自分が「快」でも、夜中に爆音で音楽をかけたり歌ったり、人を傷つけたりするのは、当たり前ですが、ダメです。

 

なお、私は数人知っていますが、身体能力がめちゃくちゃ高い人が、操体指導者に向いているかと言えば、そうでもありません。

 

そういう方は「快」をキャッチする能力が、生まれつき高いのです。

しかし、からだに不調を抱えている方は、そもそもその能力が弱っていることがほとんどです。

このような場合

指導者「この動き、気持ちいいでしょ(自分はわかる)??」

被験者「わかりません」

と、なったりします。能力が高い人は(特に生まれつきとか)、そうではない人のことが、自分は簡単にできるので、理解できないのです。

 

話が飛びましたが、実はこれから「操体の本を読んでもわからなかった」という方の個人レッスンが入っています。

 

手順を踏んで、「楽(な動き)」と「快(感覚)」の違いを理解していただき、快を味わうコツを覚えていただければ大丈夫です。

 

 

また、自力自動で行う操体法は、ただ動けばいいというものではありません。ポイントとして、ポジション、支点、意識、呼吸などの「押さえるところ」を押さえることが必須です。

 

例えば、関節が柔らかい人を仰臥膝二分の一屈曲位にとらせ、ただ単に膝を左右に倒せと指示した場合、柔らかいので膝が左右にパタパタ倒れ、楽も気持ちよさもない(つまり、ニュートラルな状態)ことがあります。

知り合いの先生が、新体操の選手とお相撲さんに操体を行った時、こうなって焦ったと聞いたことがあります。

 

こういう時どうするか?

 

ちゃんと指導するコツがあるのです。

 

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ツボ押しをしても治らないわけ。

こんにちは。TEI-ZANの畠山裕美です。

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先日の「塾SOTAI」で、半蔵さんから聞いた話です。

 

雑誌やネットによく「〇〇に効くツボ」とか載ってますよね。

 

まあ、押して悪いことはないと思いますが、果たして治るのか?というとナゾですよね。

 

つまり、何故鍼灸師が鍼を打ったり、操体の指導者実践者が、触れたり(皮膚へのアプローチは、鍼やお灸を用いずに行う経絡治療の一つに当てはまることもあり)すると、症状が改善したりするのでしょうか。

 

それは「押している」とか「動かしている」とか「触れている」のではなく、「効かせている」から。

 

よく、渦状波®︎の真似をして、指2本で皮膚に触れたり押したりして「効かない」と言っているケースを見かけますが、そりゃ当然です。

「効かせてない」から。

 

操体も、動けば治るわけではありません。動くだけで治ったら、みんな操体をやっているでしょう。

動いただけでは効果が出ないのです。

 

「効かせる」ことを知っているのが、プロです。

 

手技療法系で、独学では学べないのは、この「効かせ方」なんです。

 

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2022年11月(施術+ベーシック講習)予定

こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

 

はやいもので、11月になりました。

 

11月の「施術+ベーシック」受付可能日です。

予定 | 操体法 TEI-ZAN操体医科学研究所

★2022年11月1日現在

★印は追加

11月1日(火)
11月4日(金)午後のみ

11月8日(火)
11月10日(木)
11月11日(金)
11月12日(土)午前開始のみ★

11月15日(火)
11月18日(金)

11月22日(火)
11月24日(木)
11月25日(金)
11月26日(土)★

11月29日(火)

 

数年前まで「ほぼ日手帳」を使っていたのですが、もう少し自由に手帳を使いたいなと思い「バレットジャーナル」を実践しています。

 

コツですが、最初は「どんなノートにするか」で悩む(絶対悩みます笑)ので、100均で売っているようなノートでやってみることをお勧めします。

「なるほど」と思ったら、高いノートを悩んで買って下さい。

 

私が便利だなと思うのは

・ペンホルダーがついている(便利)

・しおりひもが二本ついている(二本のほうが便利)

この二点です。あと、「これいいな」と思って買ったら、紙の質がイマイチで、書きづらく、やめたこともありました。

12色のペンがついてたり、ステンシルがついているのもありました。

 

実は今日から新しいノートを使います

いつも使っているノート、何故かお値段は2000円なのに、送料が7000円かかる(ナゾ)らしいので、断念。代わりにロディアのゴールブック、色は紫にしました。

 

 

 

 


 

 

自分で行う操体と、他者に行う操体は、難易度が全く違う。

昨日は「塾SOTAI」でした。

色々な話題が出ましたが、

操体って、セルフケアできるから、操体を他者に行う(臨床)も簡単じゃない、って、ナメてる人多いよね」と言う話になりました。

 

橋本敬三先生も、患者さんには「簡単ダヨ」とおっしゃっていましたが、弟子には「こんな大変なことによく足を突っ込んだなあ」とおっしゃっていたそうです。(一生愉しめるからな、と加えたとか)。

 

操体

1.自分でやるのは、やり方が間違っていがいなければ、自分でできます

2.他者に行う場合は、相手の「感覚」分野に介入するので、自分でやるとはくらべものにならないくらい、「操体指導者としての勉強」が必要になります。

 

本人にしかわからない「感覚」の分野に介入するということは、想像以上に勉強が必要です。

 

「一か月で整体をマスター」とか、短期間で学べるとうたっているのは、やり方しか教えないから。

 

しかし、他の手技療法で一万時間くらいキャリアが有れば別ですが、やり方を習っただけでは使えません。

 

 

膝の痛みを若い頃から操体の考え方で予防する方法

こんにちは。TEI-ZAN操体医科学研究所の畠山裕美です。

 

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先程、靴を履き替えたところ、何だかひんやり??

足の裏を見ると、やってました。靴下に穴ぼこがあいてました。

 

自分で「やったね」とほめてあげたいのは「母趾球」のところに穴があいていたということ。つまり、母趾球をよく使ってたということです。

 

なお「靴下の穴」で思い出しましたが、仙台の方に聞いてみると(私は4人くらいに聞いた)「穴のあいた靴下」を「おはよう靴下」というんだそうです。

足の指が「おはよう!」って顔出すから??

 

母趾球は、操体においては、非常に大切なポイントです。

からだに軸を立てる時に必要だからです(この辺りは、第五分析の話になります)。

 

橋本敬三先生の本に「足心」という記載があります。「万病」の134ページに「つちふまずの前のほう、親指の付け根のちょっと内側のへこむところ」と書いてあります。

「足心」をつちふまずと書いてあるものもありますが、我々は橋本先生の説に従うことにしましょう。

 

そして、ここで示している場所は、母趾球のキワであるとも言えます。

つまり、橋本敬三先生がおっしゃっているのは、もろつちふまずではなく、もう少し前方の、母趾球のキワあたりになります。

これは、ほぼ母趾球と言っても良いでしょう。

 

操体で言うところの「手は小指、足は親指を運動力点作用点にする」という「足は親指」の「親指」っていうのは、もろ親指というよりは、↑このポイントだと言って良いでしょう。

 

図で1の縁のキワあたり。

 

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某武術などは、母趾球を細かくいくつものエリアに分けて、そこで体をあやつるそうです。

 

さて、長くなりましたが、

O脚の方の足を観察します。

よく、O脚は股関節がどうのこうの、とか言いますが、その前に、立って頂いて、体重が足底のどこにかかるか、ということをチェックすると、間違いなく足底の小指側です。

 

私がよくクライアントに説明する際に使う話がありますので、聞いて下さいね。

 

  1. 人間の手って、肩から肘までは一本の骨で、肘から下、手首までは橈骨と尺骨という二本の骨になっています
  2. 本来「手は小指」というように、手は小指側を運動力点作用点として使うのですが、親指をメインに使ってしまうと、橈骨と尺骨がいわゆる「ねじれ」をおこします。
  3. そのねじれが、テニス肘の原因になります
  4. 足も同じで、股関節から膝までは骨が一本で、膝から下は、脛骨と腓骨という二本の骨になっていて、足首に繋がっています。
  5. 足も「足は親指」というように、親指(正確には母趾球)を運動力点作用点とすべきですが、小指側を運動力点作用点にすると、脛骨と腓骨が「ねじれ」をおこし、それが膝の痛みに繋がってきます

つまり、手は小指側側(こゆびそくがわ)、足は母趾球側を運動力点作用点にしないと、そこに連なる二本の骨(手なら尺骨と橈骨、足なら脛骨と腓骨)が、いわゆるねじれ現象を起こすので、テニス肘や膝の痛みが起こるというわけです。

 

私もテニスエルボーの方はかなり診ましたが、ラケットを持つときに、ついつい親指で力んでしまうという共通点はかなりありました。

腱鞘炎などでも、例えば美容師さんの腱鞘炎などは、ハサミを親指でぎゅっと握る癖があったとか、そういうことが多いです。

 

操体というのは「からだの使い方、動かし方を知ることによって、疲れにくく、故障しにくく、運動効率がよく、なおかつ動作が美しいことを目指す」という一面もあるのです。単なる治療法ではないんですよ。元は「未病医学」ですから。。

 

 

以前、ある女性三人(親と姉妹)の立ち姿を見て「おおっ」と思ったことがあります。

親子で姉妹なので、体型が似ているのは勿論なんですが、三人ともぺたんこの靴を履いているのですが、三人ともつま先が外側を向いている(90度くらい)のです。

そして、傍目にみても、体重は小指側に乗っているのです。

 

★ヒールが低いとか、スニーカーであっても、つま先が開いていて、足底の小指側に体重がかかっていると、膝に来ます。

 

これは、今から気をつけないと、中年以降に膝に問題が起こります。

パンプスを履いて、ゴリラっぽくなってしまう時も、ほぼ100パーセント小指側に体重がかかっています。

 

足の小指側に体重がかかるのをどうやって阻止、修正すれば良いか。

それは、操体法で調整すれば、自然と整ってきます。

 

★セルフメンテナンスもできます。

そんな操体のセルフケアについて、秋の東京操体フォーラムで、実行委員全員が語ります。

 

www.tokyo-sotai.com

 

2022年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

 

全身のバランスを整えることによって、部分のバランスも整うのです。

膝だけを狙ったり、股関節だけを狙ったり、足首だけを狙ったりはしません。

 

 

第38回全国操体バランス運動研究会(zoom参加)

昨日はzoomで「第38回全国操体バランス運動研究会」に参加しました。

 

シンポジウム『操体法における「脱力」の捉え方』というプログラムあり、パネリストの先生方が、色々発表していましたが、奈良の北村先生が「小学生男児に立位で瞬間急速脱力させたら、全身の力を抜いて床に倒れてしまった」というような話をされていました。

 

私もそれはそうだなと思ったので、以前(新潟大会で、新潟の皆さんがやっていた)般若身経を、瞬間脱力でやっており、後屈時に瞬間脱力をしていたのを見て、危険だなと思ったことをチャットでコメントしました。

 

なお、第一分析(対になった動きを比較対照し、楽な方に動かして瞬間急速脱力)であれば、瞬間脱力でもよいかもしれませんが、第二分析(一つ一つの動きに快適感覚を聞き分け、味わう。動診では比較対照しない)では、瞬間的には抜けません。

 

というのは、「きもちよさ」を味わっている時は、瞬間的には脱力できない(すんごくキモチよさを味わっている時に、瞬間的に抜けませんよね)んです。

 

さてここで補足です。橋本敬三先生は「きもちいいほうに動かして」とはおっしゃっていますが、「比較対照する」とは言ってないんです。

 

・楽な動き(二つの動きを楽か辛いか、スムースかひっかかるかなどで比較対照し、楽な方、スムースな方を選択する場合、第一分析)は、瞬間的に抜いてもいいんですが「楽な動き」は、何度やっても「快」にはなりません。

★なので「楽と快は違う」ってクチを酸っぱくして言ってるわけです。

★「楽な方に気持ちよく」っていうのがダメなのは、こういう理由です。何度も言いますが、他の治療法や健康体操や養生法ならば「楽な方にきもちよく動く(整える)」って言ってもいいですが、「操体」「操体法」としてやるのであれば、それはペケです。

操体操体法をやっているとうたうのであれば、ちゃんと患者様を診ているとか、操体で臨床をやってるのであれば「楽(動き)」と「快(的感覚)」は、区別し、楽を通すなら、第一分析のやり方、快を通すのであれば第二分析のやり方(この二つは全く違います)をやる必要があります。

何故でしょう。この二つを曖昧にして

×「楽な方にきもちよく動いて」(楽な方がキモチイイとは限らない。むしろ楽でなんともない方が多い。快は比較してもわかりにくい。快は相対的ではなく絶対値ではかるほうがわかりやすいのです。また可動域が大きいのが快だとも限りません。これは操者の決めつけになってしまいます)

×「どちらがきもちいいですか」

 

というと、被験者(患者様)が迷ってしまい「わからない」ということになり「私には操体を受ける才能がないのか」など、ネガティブな気持ちを誘発してしまうからです。

 

○「どちらが楽ですか、つらいですか」(第一分析)

○「これ(一つ一つの動き)に、きもちのよさがききわけられますか?からだにききわけて、教えてください」(第二分析)

 

橋本敬三先生ご自身も「万病を治せる妙療法」の時代は、確かに「楽と快の違い」が明確にはなっていないような感じがありますが、82歳の時には三浦先生に、90歳、卒寿の祝いの席では弟子達に「楽と快は違う」呼吸は自然呼吸でいい(呼吸に意識を置きすぎると、感覚がおろそかになるから)」とおっしゃっています。

 

創始者が言ってるんだから「楽と快は違う」っていうことを、もうちょっと真面目に考えて欲しいですね(操体をやっていて、まだ曖昧にやってる人)。

 

×操体を長年やってる人でもありがちなパターンが

操者「どちらがきもちいいですか」

患者「う〜ん。わかりません」

操者「それじゃ、きもちよさを探して〜(色々動いてみて)」

(この場合、探してもわからないか、痛くなくてなところはわかる。きもちいいところは見つかりません)

患者「う〜ん。わかりません」

臨床玉砕。

 

また、私が聞いた話ですが、センセイがしつこく聞いてくるので、面倒くさいので「こっちです」と、適当に答えたという人も。

 

操者:患者さんがきもちいいって言ってくれない、動いてくれない(こう言う場合、大抵「操体のせい」にする)

操体のカミサマ:それは操体が悪いんじゃなくて、オマエの指導の仕方が悪いんじゃ〜!

 

となります。

 

話を戻しましょう。

 

その後は、加藤平八郎先生の講義でした。橋本敬三先生とは、会津中学(旧制中学。現高校)の大先輩と後輩の関係である加藤先生は、会津中学(高校)の同窓会にお供したことがあるそうですが、その時のエピソードなども伺うことができました。

 

私は三浦先生と一緒にzoomで参加していたのですが、三浦先生によると、橋本先生から「会津の話」は聞いた事がなかったそうです。加藤先生には、会津の後輩ということもあり、その辺りの話をされたのかな、と思います。

 

会津はご存知のように、明治維新後、逆賊として扱われました。会津中学(高校)も国からお金が出たわけではなく、地元の篤志家からの寄付で建てられたそうですし、私自身(これは戯言だと聞いていただければいいのですが)前世は『戊辰戦争で死んだ会津の坊さん(か、尼さん)』だったらしいので、色々あるわけです。

 

(おまけ)

なお、私は日本史が好きなんですが、何故か以前から「明治維新」が全く頭に入らなかったのですが、ある時「それはオマエが『戊辰戦争で死んだ会津の坊さんだったからだ」ということを知りました。それから、維新あたりのことが頭に入ってくるようになったんです。

 

そしてゲストで「正心調息法」の先生がお二人(姉妹らしい)で講義を。

私自身「正心調息法」って名前は聞いた事あるけど、よく知りませんでした。

 

「ポジティブに」「感謝」「グチを言わない」(すいません、サマライズしてます)という心の持ちようと、呼吸法を組み合わせたものです。

 

「ポジティブ」「感謝」「グチ言わない」っていうのは、操体の「想」にも通じますね。

 

正心調息法の創案者、塩谷信男先生は、橋本敬三先生より少し年下ですが、やはりお医者さんであり、橋本敬三先生も96歳のご長寿を全うされましたが、塩谷先生は、106歳のちょっと前に亡くなられたとか、いわゆる「手当治療」をして東大から追い出されたとか、松下松藏(ググってください)さんから「治すちから」を頂いたとか、90歳越してから本を書きまくったとか、かなりな人だったようです。

 

私も早速昨日まずはAmazonのアンリミテッドで関連書籍を数冊読んでみましたが、なんだか本当にぶっ飛んだ人だということが分かりました。

 

私自身、橋本敬三先生は結構ぶっ飛んでいると思っていたのですが、塩谷先生もかなりすごい人なんだなと思いました。

 

そして、早速数冊密林でポチってみました。

 

うちの師匠(三浦寛先生)も、かなりぶっ飛んでいますが、世の中にはまだまだ面白い人がいるもんです。

 

操体・操体法における「きもちのよさ」は名詞形で考えるとわかりやすい

操体における「楽」と「快」の違いを明確に示すことは、私の操体ライフワークの一つだと思っています。

 

★世間一般の事項や愛や人生におけることではなく「操体において」です。

これを混同して「世の中の事象全て」を「快」で考えてしまうと、ドツボにはまるので、やめてくださいね。今までも何人かドツボにはまった人を救出してきましたが、ここ、大事です。

 

というのは、私も最初操体を習った時(三浦先生ではない)、当時は当たり前だったのですが「楽と快」が混同されていました。

 

テキストを見ると「快方向に動かして脱力」と書いてあるわけです。

 

また、足趾の操法の趾廻しも、当時は二方向に回してみて「快方向を選択する」と書かれていました。

 

当然そのようにクライアントにもやってみるわけですが(実際やってみるとよくわかります)、

「どちらがきもちいいですか?」と聞くと、「う~ん」と、頭をヒネる人が多かったのです。

 

それが、ツキモノが落ちるように解消したのが、三浦先生(当時はまだ弟子入りしていなかった)に、趾廻しを体験していただき、当時の超無知な私(今思うと穴があったら入りたいくらい)は、よりによって三浦寛先生に「外回しと内廻し、どちらがきもちいいですか?」なんていうアホな質問をしてしまったわけです(はずかし~)。

 

三浦先生は、駆け出しの操体臨床家のアホ女がかわいそうだとおもったのか

「どっちもきもちいいよ」とおっしゃったわけです。

 

その時、私の中で「あ、どっちもきもちいいって、アリなんだ」と、スイッチが入りました。

 

 

話を戻しましょう。

 

「快は二者択一でなくともよい」と分かったのです。

 

それから、三浦先生に入門したわけです。

 

当時私は開業していましたし、講習もやっていたので、周囲からは反対されましたが、

その辺りは全部片付けて、身辺整理をして、三浦先生のところに入門したのでした。

 

そして、もう少し勉強すると「楽≠快」であること、可動域が広い、動きやすいことイコール快ではないことが分かってきました。

 

そしてさらに、「楽」な動きを問いかける動診操法(第一分析)と、「快」をききわけ味わう動診操法(第二分析)の違いを学びました。

 

この二つは、アプローチ法が全く違います。

 

そして、第二分析は『三密」じゃないですが、所作、言葉の誘導、意識、連動などを一度に使うので、本を読んだとか動画を見ただけでは、マスター不可能です。

 

私個人の意見ですが、第二分析をマスターすることが、最も難易度が高いのではないでしょうか。特に第二分析は「言葉の誘導」を用いたり、からだのさばき方や介助補助法をやるので、武術の修行と役者の修行をしているような感じです(私は好きでしたけどね)。

 

動診操法の前に、操体的なからだの使い方や、操体的な言葉の操り方や、操体哲学をみっちり学ぶわけです。2年3年はかかります。

 

なので「講習に1年参加すれば、開業してプロになれますか」なんていう甘い人は、脱落します。

 

つまり、第二分析(快をききわけ、味わう動診と操法)は、操体法東京研究会でなければ、学べないのです(卒業生以外が「第二分析」とか言ってたら、本を読んだとかそんな程度です)。

 

なお、楽と快の違いをわかりやすく説明しましょう。

「快不快」「楽か辛いか」という二者択一ではなく、「快と、楽と、不快」の三点で考えてみるのです。

 

以前、奈良の北村先生が「無の操体」という話をされていましたが、私は「無」というのは「楽でなんともない」「バランスがとれていてニュートラルである」とか「痛くない」「スムース」と考えてよいと思います。

 

ちなみに「痛くない」は「きもちのよさ」でしょうか。

痛くない、は痛くない、痛みがないだけであって「快」ではありませんよね。

 

それを「痛くない」=「快」って考えるのは、おかしいんじゃない?って言ってるんです。

 

また、操体臨床をやっていると「不快じゃないけど、きもちのよさと言われるとわからない」という感想は、よく聞くはずです。

 

ここで素人?は「あわわわ。患者さんがきもちいいって言ってくれないあわわわ」となるわけですが、プロは「そのクライアントが、第一分析でいけるのか、それとも第二分析で行けるのか」切り分けしながら臨床を進めていきます。

なぜなら、感覚は人によって違うから。

 

そして、ここで素人?がやるのが「きもちいいですか」といきなり聞いちゃうとか、「きもちよさの押し売り」です。

 

これを書くと毎回男性にドン引きされるんですが(笑)

「ヘタクソな愛撫を受けて、きもちいいかと繰り返し聞かれるような苦痛」

ですよこれは。

きもちよくも何とも無いのに「きもちいいか」と聞かれるのは、苦痛なんです。

繰り返し書きますが、

きもちよくないのに、きもちいいかって、聞かれるのは、苦痛なんです。
わからないのに聞かれるのも苦痛なんです。

 

★よく「他で操体を受けたら『どちらがきもちいいか』って聞かれたけど、わからなかった」「わからないので、自分は操体をやる才能がないのかと思った」という方は結構いらっしゃいます。操者・指導者の不適切な問いかけで、患者様、クライアントの自信を削いでしまい、操体に対する不安感を募らせてしまう場合もあるのです。

 

 

また、我々は、いきなり「きもちいいですか」とは聞きません。

この言葉の使い方は、相手の心に土足で踏み込むような聞き方です。

ちょ~失礼な聞き方です。

家族や恋人ならともかく、赤の他人に「きもちいいですか」と聞かれてホイホイ答えられますか?

「快」というのは、とてもプライベートな感覚なのです。

 

この場合ですが

「オマエがきもちいいか」と聞くのではなく、

「からだ」にといかけるのです。

 

なので「きもちのよさ」という名詞形を使うのです。

 

からだにききわけて。きもちのよさが、ききわけられますか?」

というようにです。

 

「オマエがきもちいいか?」じゃなくて「オマエのからだは、きもちのよさをききわけているか?」というように、間接的にからだに問いかけているのです。

 

そう、からだが主語なんです。

秋のフォーラムのテーマは

「自力自療で伝わるもの からだが主語になるための工夫」です。

セルフケアです。

 

私は用語解説と、操体概論的なことをちょこちょこ入れますよ。

www.tokyo-sotai.com

2022年秋季東京操体フォーラム | Tokyo Sotai Forum

 

 

 

快・楽・不快という三点セットで考える