操体法関連以外

- 作者: 佐藤富雄
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2006/10
- メディア: 単行本
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人に危害や心痛を与えるようなウソはやはり良くない。
この本は「ウソ」と書かれてはあるものの、脳の働きを考えて『口ぐせ』(よい口ぐせ)で成功しよう、という本である、しかし、ウソはウソでも、ほら吹き男爵や、映画「ビッグ・フィッシュ」(映画館で見たが、泣いた記憶あり)のように、幸せなウソ(というか、事実を素敵にデコレーションして、周囲の人を楽しませる)もある。
シラノ・ド・ベルジュラックのように、死の間際まで、一つの恋のために『ウソ』をつくという話もある。
また、「言葉は運命のハンドル」(これは操体の教えでもある)というように、自分の発した言葉で脳がコントロールされ、発した言葉の通りになってしまうという話も聞く。さらに、ウソをついて誤魔化すのではなく、自分自身が「大いなる勘違い」を一生する、というのもある。
操体でいうところの「想」のコントロール法としての「言葉の統制」とも関連するだろう。例えば、朝機嫌が悪くても笑顔で『おはようございます』と言えば、心も明るくなるのは言葉の働きだし、嬉しくなくても鏡をみてにっこりすれば、やはり気分が明るくなるだろう。
作者が言っているのは、つまり、こういう『ウソ』なのだ。
逆に、清廉潔白で絶対ウソをつけずに、身の破滅へと向かう、そういう映画があった。
ファンタシーを評して「空想物語」とか「ウソのねつ造」のは、まったく見当外れの話だし、世の中のフィクションを全部「創作」すなわち、ウソだという人はいないだろう。
しかし、えん罪というか無実の罪(?)を被せられた事というのは、相手を許していても、ずっと覚えているものです。
小学校3年の時、校庭で遊んでいて、、ボールが顔に当たり『○○さんが投げたのが当たった!』と泣き騒いだO木N子ちゃん(私はモノを投げるのが不得意だったし、勿論投げてません)。やってもいないのにN子ちゃんの取り巻きに『あやまんなさいよ』と、言われ仕方なく謝ったことがある。
N子ちゃんは何年も前にお嫁に行っているから、今頃、高校生か大学生位の子供がいてもおかしくない。小学校の時、そんなウソをついても、人間は大人になるのだ。何故その時彼女がウソをついたのか、というのは、後になって、小さな妬みだったという事を知った。
つくなら、素敵な「ウソ」をつきたいものです。